即位の儀式まで、後一日を切った。
よっちゃんの容態は日々悪化の経路を辿り、注射の本数も増えていく。
最初は一つで事足りていたそれが、今では最低三本必要になる。
けれど、今使っている薬は禁忌の物。
あまりの効力の強さに、よっちゃんの身体への負担もまた大きいから。
確実に延命をするためには、その痛みに耐えて貰う必要があった。
「・・・っ・・・って、ぇ」
我慢強いよっちゃんですら耐え切れない痛みに、俺は何も出来なくて。
図書館で膨大な数の本を読み漁っても、改善策は得られず。
ただ出来るのは、痛む箇所を横で擦ってあげることくらいだけだった。
細い手足に、細い身体。
痩せこけた頬には影が落ち、顔は痛みによって青褪めている。
なのに、目だけはギラギラと光っていて、まるで別人のようだった。
儀式の日までは絶対に生きなければという、強い想い。
それだけが、今の彼を支えていた。
「・・・あと、すこし」
「・・・うん」
「ひろし、くん、」
日が暮れて、闇が部屋の中を満たしていく。
その中で苦しそうに言葉を紡ぎながら、よっちゃんは必死に手を持ち上げる。
ぎゅうっと握ると、ふにゃ、と笑う。
こんな時まで、笑わなくてもいいのに。
額に浮いた汗を拭い、ぱさぱさな黒髪をそっと撫でてやった。
段々と痛みに慣れてきたのか、それとも薬が効いてきたのか、よっちゃんの呼吸が穏やかになっていく。
大丈夫だよ、とハッキリした声が聞こえて、俺は彼の顔を見る。
さっきよりは幾分か楽な表情をしている彼は、俺にあのね、と言葉を紡いだ。
「博くんに、渡しておきたいものが、あるんだ」
「何?」
「上から二番目の、引き出し、開けて」
言われるがままに引き出しを開けると、中に小さい宝石箱が入っていて。
掲げて見せたら、よっちゃんは首を縦に振った。
確か、よっちゃんの母上が彼を生んだ時に作った記念品、だったはず。
近寄って手渡すと、蓋をぱかりと開けて、中から指輪を取り出した。
緑色に光る、大きな宝石がついたそれ。
「これね、母上の形見なんだ」
「うん」
「博くんが今まで俺に使ってくれた薬代、これで十分に払えると思う」
「・・・・・・!」
「ここを掃除しに来た女中から聞いたよ。博くん、城の医者辞めて俺の治療に没頭してくれてたんだね」
ごめんね、と。
よっちゃんはすまなそうに謝って、俺の手を取り指輪を乗せた。
・・・俺は。
俺はこんなものは要らなかった。
金を貰う為に、あなたの治療に専念していたわけじゃない。
そう、突っぱねるのは簡単だったけれど。
彼の気が済むのであれば、形だけでも受け取っておこうと思った。
形見として、自分の手の中に置いておく為にも。
「・・・ありがとう、よっちゃん」
「うん」
細い目が無くなるくらいに、よっちゃんは笑ってみせる。
ホッとしたような笑み。
想い残しが一つ、減ったからだろうか。
それでもなお、彼の笑顔には陰りが見えている気がした。
「何か欲しいものとか、ある?」
「・・・あのね」
「うん」
「・・・ううん、何でもない」
言いかけて、よっちゃんは言葉を濁して笑う。
きっと、俺に言っても不可能な事柄なんだろう。
結構頑固な性格で、こうなってしまうとどうやっても聞き出せない。
俺はもう一度よっちゃんの黒髪を撫で、その話を終えることにした。
見渡すと、枕元にある水差しの中身が減ってきている。
今、彼の容態も安定しているし、足してくるくらいなら大丈夫だろう。
「よっちゃん、水持って来るね」
「うん」
「すぐ戻ってくるから」
「・・・うん」
どことなく不安げなよっちゃんを残すのはちょっと忍びなかったけれど。
急いでいけばすぐだ、と思い、水差しを持つ。
貰った指輪は、失くしたら困るから薬を置いている場所にそっと置き。
俺は足早に部屋を出た。
用件を手早く済ませようと思い、自然と早足になる。
角を二つ曲がれば給湯室に辿り着く。
その途中で、前から来た人にどん、と勢いよくぶつかり、俺は思い切り転んでしまった。
水差しが落ち、その拍子に中に残っていた水がこぼれる。
急いでいて注意力散漫になっていたのはこっちだ。
謝ろうと顔を上げると、そこに居たのは昌行で、何故かホッとした。
「いてーな・・・お前、ちゃんと前見て歩けよ」
「ごめん。急いでたから」
慌てて水差しを拾い上げ、壊れていないのをチェックしてから立ち上がった。
仏頂面の昌行の肩を叩き、もう一度謝る。
「ごめん、怒った?」
「別に怒ってねぇよ。元々こういう顔だし」
「そっか」
「うん・・・なぁ、博」
「何?」
「お前、すげぇ顔してんぞ」
「・・・はは」
怪訝そうに覗き込まれて、俺はただ笑うしかなかった。
凄い顔。
そうかもしれない。
よっちゃんの寿命を延ばす為にあらゆることをしてきた俺の精神は、もう普通の人間のものでは無くなっている、そんな気がする。
あの子を生かせれば、それでいい。
それを妨害するものは全て排除してきた。
何も省みることなく、後悔からも目を逸らして。
俺を見る昌行の目が、ふ、と緩んで、ぽん、と手のひらが俺の頭に乗る。
「たい焼き買って来たぞ。快彦の部屋で待ってるから、早く来い」
「・・・うん」
慰められるのかと思ってたから、すとん、と気が抜けた。
他愛も無い会話。
でも、これが俺の欲しかった言葉なのかもしれない。
変に慰められたり、咎められたりしていたら、きっと俺は彼に怒鳴り散らしていただろう。
ぽかん、としているうちに、昌行はすたすたと部屋に向かって歩いていった。
「・・・あ、水」
気付いて、慌てて給湯室に駆け込み、水差しの水を足す。
ふと、鏡に映った自分を見て、苦笑した。
昌行の言うとおり、確かに今の俺は凄い顔をしている。
目の下に隈はあるし、頬も一ヶ月前よりは大分こけていた。
よっちゃんのことばかり考えて、自分のことには全然気を使ってなかったっけ。
鏡に向かって笑顔を作ってみる。
酷い顔で笑っている自分を、よっちゃんはどんな気持ちで見ていたんだろうか。
「・・・・・・博」
背中から声をかけられ、振り向けば准一さまが立っていた。
不安そうな表情に、戸惑いの混じる瞳。
いつも何か悪いことをした時に、こんな顔で俺のところに来る。
水差しを置き、そっと手を広げて笑うと、ホッとした顔で近寄ってきた。
「どうしたんですか、准一さま」
「・・・俺、前に酷いこと言った。ごめん」
「わざわざ謝りに来なくてもいいのに。俺は気にしてませんよ」
「・・・うん」
黒髪を撫でながらそう言えば、准一さまは頷いてから下を向いた。
きっと、彼が謝りたいのは俺じゃなくて、よっちゃんだ。
でも、来てはいけないと言われてしまった手前、行くに行けなくなったのだろう。
手には萎れかけの黄色い花が握られている。
よっちゃんが一番好きな花。
今は時期じゃないのに、季節外れのそれをわざわざ探して。
言葉は無くても、彼の全身がよっちゃんに会いたいと訴えていた。
「・・・会いに、行きますか?」
「でも・・・」
「責任は俺が取ります」
准一さまを連れて行ったことでよっちゃんに怒られたとしても、いい。
城の人間に咎められたとしても、俺が失うものはもう何もない。
会わせてあげたかった。
仲のいい兄弟がお互いに何かを抱えたまま別れていくのは、見たくなかったから。
それに。
『他に、何か欲しいものとか、ある?』
『・・・あのね』
『うん』
『・・・ううん、何でもない』
多分、よっちゃんも准一さまに会いたいと、俺に言いかけたんだ。
自分で言った手前、言うに言えなかったんだろう。
腹違いの兄弟ではあるけれど、何処か似ている様子に、俺は笑ってしまった。
「何で笑うんだよ、博」
「流石兄弟だな、と思ったんです」
「へへ、そうでしょ」
俺と兄さまは兄弟だもん、と准一さまは笑う。
幾ら母親が違っても、何処か奥で繋がっている二人。
よっちゃんの意思は准一さまが継いでくれる。
多分そう思ったからこそ、よっちゃんは即位の儀式までの延命を望んだのだと。
俺は、今更ながらに気付かされた。
あの子の中で、准一さまの存在は希望でもあったのかと。
延ばされた准一さまの手を取り水差しを持って、俺達は部屋へと向かった。
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2008.12.27