思えば。
俺は、誰かのためにこの場所で歌い続けていたのかもしれない。
俺が城の人間を疎んでいるのは、理由がある。
それは誰にも、一番信頼を置いている親友にすら、打ち明けたことは無かった。
けど、歌い手として城の人間から望まれた時につい、カッとなって口にしてしまった。
これ以上、あの場所に居る奴らに何も取られたくないと思ったから。
俺の母親は、普通の家庭に育ち、普通の結婚をして俺を産んだ。
しかし、父親は俺が3歳の時に家を出て行った後から、彼女の普通だらけの人生は一変した。
噛み合っていた歯車がずれた、と言った方が正しいのかもしれない。
俺が5歳になったその年、彼女は国王に見初められ、俺を捨てて城の人間になった。
大きな緑色の宝石のついた指輪をはめ、白い馬車に乗って、幸せそうに旅立っていった。
国王の跡取りを産むためだと、やってきた男にそう諭された覚えがある。
まだ小さかった俺は、その言葉を理解することは出来ず、その男に食ってかかり。
無理矢理母親から引き剥がされ、地面に顔から落ちた。
その時、ガラスの破片が刺さって、俺の左目は見えなくなって。
それでも構わずに俺は、母親を取られたと散々泣き喚いて周囲の人たちを困らせた。
でも、自分を捨てた母親を恨むことは出来なかった。
あの人はきっと、突然訪れた逆境に耐え切れなくて、幸せに縋りたかったのだろうと。
大きくなるうちにそう理解して、日々を過ごしていた。
幸い、暮らしには事欠かないほどの金を貰っていたから、不自由を感じたことは一度も無かった。
けれど。
俺が成人し、家事を全て一人でこなすことに慣れた頃、突然母親が帰って来た。
小さい頃の記憶っていうのは凄まじいな、と思う。
一目見ただけですぐに彼女が母親だと分かったのだから。
ただ、実際の母親は記憶の中の彼女よりも酷く痩せ、疲弊しきっていたのだけれど。
すぐに床に就かせ、医者を呼ぼうとした俺を彼女は引き止め。
もう自分には時間が無いのだと打ち明けて、傍にあった椅子に座るよう促された。
言われるままに座った俺に、彼女は謝罪の言葉を口にする。
お前を捨ててしまってすまなかった、と。
彼女の弱さを理解していた俺は、別に謝らなくてもいいと、すぐに彼女を許した。
城に行き子どもを産んだ後すぐに、彼女は不治の病を患って子どもから引き離されたのだという。
彼女がその子に会ったのは生まれた時に子どもを抱いた、その一瞬だけ。
長い治療生活の効果も虚しく、寿命は尽きかけていて。
彼女は、本当はそのままあの城で死ぬつもりだったと俺に言った。
けれど死ぬ前にどうしても伝えたいことがあって帰って来たのだと、彼女は間を潰しながら必死に言葉を紡いで。
それがあまりに苦しそうだったから、俺は声を出さないように言ったのだけど、全く聞かずに。
ただ、こう言った。
『毎日10時になったら、城のリンゴの生る木の下で歌を歌って。あなたの好きな歌で構わないから』
彼女の言葉を聞いて、俺の頭の中はクエスチョンマークでいっぱいになる。
決まった時間に歌を歌うことが、彼女にとって死に変えてまでも俺に伝えたかったことだなんて。
もっと他にあるだろう、と思った。
自分のことや、城にいる子供を案じることだって、あったはずなのに。
しかし彼女はそれだけを俺に伝えると、少し眠るわと言ってゆったりと目を閉じた。
それが、俺の母親の最後の言葉になった。
唯一の身内を失って、俺は本当に一人になった。
否、本当は天涯孤独になったわけじゃない。
城には俺と腹違いの弟が居るはずだった。
けれど、誰一人として彼女の葬儀に顔を出すものは居なかったのだ。
世間体というものがあるのは、知っている。
それでも、仮にも自分の母親が死んだのに、誰も顔を出さないという態度に、俺の怒りは高まり。
極めつけは葬儀の一週間後、代理で現れた男が言った一言。
『貴方がこの方の血を引いているということは、くれぐれもご内密にお願いします』
次いで渡された、厚みのある紙幣。
それを見た瞬間に、俺の怒りは頂点に達した。
代理の男に紙幣を投げつけ、殴りかかろうと飛び掛ったところを親友に止められた。
城の人間に手を出してしまえば、当然罪人になる。
そんな常識は頭の中に植え付けてあったけれど、それすら吹き飛ぶほどの怒りだった。
自分にとって唯一と言っていい、身内。
顔を見たことの無い城の人間ならまだしも、母親まで居なかったことにしろ、なんて。
俺の全てを否定されたような、そんな気がしたのだ。
それ以来、俺は城の人間を疎むようになった。
疎みながらも、母親の望みだった歌は続けていた。
最後の力を振り絞って言った、彼女の唯一の我が儘は聞きたいと。
城の近くには色々な噂が飛び交っていて、自分には弟が居ることを知った。
でもそれ以上は、正直知りたいとも関わりたいとも思わなかった。
俺が名乗り出ていったところで、誰も信用しないだろうし、弟も困るだろうと思ったからだ。
後継ぎ争いで二人の王子が争っている。
そのどちらか、もしくはどちらともが自分の弟なのだろう。
元気に、幸せに暮らしているのならそれでいい。
それだけで、十分だった。
父親の残していった形見の時計で、10時になるのを待つ。
針がぴたりと12の数字を指すと、息を吸い込み、声を吐いた。
俺の好きな曲なんて、2つくらいしかない。
しかも、歌詞があやふやで、日に日によって違う。
そんな俺の歌を、城の人間が気に入ってくれているのが不思議で仕方なかった。
『もう治らないと診断されてからは、国からも父親からも関係を断絶され、あの離れで死ぬのを待っているだけ』
あの医者の言葉が蘇る。
死の宣告を受け、それだけで全てから切り離された快彦の境遇は、どこか俺に似ていて。
事情を聞いた時俺は、居ても立っても居られなくなった。
快彦が俺の歌に救いを求めているのなら、出来る限り力になりたいと思った。
こんな歌でいいなら、いくらでも歌ってやるよ、と。
そう、思った。
「〜・・・っいてっ」
歌が二巡した辺りで、後頭部にこつん、と硬いものが当たった。
降ってきた場所に目を向けると、ぴょこ、と覗き込んで笑っている快彦が見える。
人差し指を下に向けて動かしているところを見ると、どうやら下を見ろ、ということらしい。
地面に目をやったら、小さな黄色のキャンディが一つ落ちていて。
拾い上げて快彦に見えるように振ると、あげる、と声が返ってきた。
声が聞こえるならジェスチャーで会話する必要無いじゃねぇかよ。
「俺は甘いものが苦手なんだよ」
「そうなんだ。じゃあ、何がいい?」
「別に何も要らねぇ」
「それは困る。俺の感謝の気持ちはどう表現すればいいんだよ?」
困ったような表情でそう言う快彦に、俺は思わず怯んでしまう。
捨て犬みたいな目、しやがって。
まるでこっちが悪いことをしているような、そんな気持ちになるのだ。
キャンディの代わりになるようなもの、と俺は考えを巡らせる。
そして、ふと思いついたものをそのまま口にした。
「・・・煙草!」
「たばこ?」
「お前の、あの、専属の医者に言やぁ分かる。煙草がいい」
「わかった!今度からたばこにするね!」
さっきまでの困った顔はどこへ行ったのか疑うくらいに。
快彦はにっこにこしながら俺に向かって手を振った。
それに手を振って答えてやると、更に彼の笑みが深くなる。
単純な、在り来たりな動作なのに、それだけで少し心の中があったかくなった。
今までは誰かのために歌っては居なかった。
ただ、母親の最後の望みを叶えるために自分を駆り立てていただけで。
けれど、今は快彦のために歌っている自分が居る。
自分が必要とされているのだと、思える場所を見つけたから。
俺はこれからも毎日、快彦のために歌を歌おうと決めたのだった。
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2008.10.5