たどり着いたところは貸しアパートのようで。
太一くんは今ちょっとした理由で家出をしてるんだそうだ。
その理由を聞きたかったのだけど、声が出ないからそれも叶わず。
入れよ、と言われて部屋に足を踏み入れれば。
目の前に漆黒のピアノがあった。
「すげーだろ」
まるで自分の子どもを紹介するかのように、誇らしく。
こくん、と頷けば、笑顔になる。
部屋はピアノだけで殆どを占めていて。
どこで寝てるんだろうとキョロキョロすれば、奥の方にいくつかドアがあるのが見えた。
ああ、あそこで寝てるのか。
そのドアの傍に立てかけてある黒いもの。
不思議に思って近づき、しゃがんで見てみる。
埃っぽくて、変な形のそれ。
これはなんだろう、と首を傾げて太一くんを見れば。
「それはギターだよ。お前知らねぇの?」
こくんと頷くと、結構有名なんだけどなーなんて言いながらギターを手に取る。
ジーッ、と音を立ててケースを開ければ、出てきたのは木で出来た不思議な形の楽器だった。
弦が張ってある。
太一くんが抱えるとちょっと大きいな。
ギターを抱え太一くんが指先で弦を弾くと、綺麗な音が流れ出した。
うわ、スゲー。
「俺は趣味程度にしかやってないから全然だけど」
これが簡単なコードな、と言ってジャラン、と掻き鳴らす。
よくよく見てると、弦を押さえる左手の位置を変えて音を出しているらしい。
右手も時々動くけど、殆どが左手だ。
どうやんのどうやんの?
それって俺でも出来るのかな??
そわそわと太一くんを見てみれば、弾いてみるか?と手渡される。
太一くんにしては大きかったそれ。
でかい俺にしたら、思っていたより小さかった。
ええと。
「まずは、ここと、ここと、ここ。そう、それでC」
C?
「あ、わかんねぇか。Cっていうのは音階だ。長瀬は楽譜読めんの?」
楽譜。
そういう授業もあったけど、嫌いだった。
読まなくても耳で聞けば覚えられたし。
ふるふると首を横に振れば、あそう、とあっさりとした返事。
「読めなくても耳がよけりゃあっという間に覚えるだろ。これを歌に合わせて弾けばもっとよくなるんだ」
何で?
「伴奏がつくから」
ああ。
そらで歌うよりラジオと一緒に歌う方が気持ちいいのと同じかな。
「ほら、ラジオとかテレビと一緒に歌うと上手くなった気、するだろ。アレと一緒」
あ、太一くん同じこと考えてる。
何だか、嬉しい。
ぶんぶんぶん、と縦に首を思いっきり振れば、動作がでけぇよ!と叩かれた。
ごめんなさい。
「わ、落ち込むなよ!別に怒ってねぇよ」
え、そうなの?
だって殴るから、悪いことしたのかと思って。
「これが俺の愛情表現ってやつだ」
言いながらもう一発。
・・・・・・結構痛いよ、太一くん。
太一くんは夕食を出してくれた後、ギターのことを沢山俺に教えてくれた。
触れば触るほど、いっぱい発見があって。
こんな音も出るんだ、こんなことも出来るんだ、と感動しっ放しで。
感動する度に、太一くんにべしりと殴られた。
でも顔が笑ってたから、ああ愛情表現だ、って分かって。
にへら、と笑えばわしゃわしゃと髪の毛を撫でられる。
わわ。
「お前、犬みてぇ」
犬。
犬って。
俺、人間なんだけど。
「膨れんなよ。一応褒めてんだよ」
ホント?
犬みたいって、褒め言葉なの?
そうなんだー。
じゃあ、嬉しい。
再びにへら、と笑う。
そしたら太一くんも一緒に笑って。
じゃあ次はここな、とギターに視線を戻した。
出会って、一週間後。
俺のギターの腕前はかなり上達したらしい。
まだよたよたでたまに間違えるんだけど、太一くん曰く、歌とギターが何となく合ってりゃ上出来、だそうで。
褒めてくれるのが嬉しくて、たくさん歌った。
ギターを掻き鳴らして、歌って歌って、歌って。
誰が聞いてくれなくても、太一くんが聞いてさえくれていれば、楽しかった。
唄っていたいよ。
ずっと、隣で。
光一には抱かなかった感情が溢れる。
でも、それを伝える術がなくて。
太一くんが俺と同じことを思っていてくれればいいのに、と。
ただそれだけを思っていた。
ある日。
俺はいつものように歌っていた。
太一くんはちょっとトイレ行ってくる、と居なくなって。
普段ならすぐに帰って来るはずなのに。
今日は30分しても帰ってこなくて。
不思議に思ってギターを抱えたまま太一くんの行った先を追いかければ。
壁に拳を突きつけたまま俯いている太一くんが居た。
どうしたの?と聞ければよかった。
でも、聞けないから。
近づいてぱす、と肩を叩けば、バッと勢いよく振り向かれて。
その表情がとっても、悲しげで。
じぃっと見返せば、太一くんの身体越しに何かが見えた。
「バッカ、見んな長瀬っ」
小さな身体で隠そうとするも、身長差には到底敵わずに。
俺の目に飛び込んできたのは文字の書かれた紙切れだった。
『国宝ピアニスト国分太一、第10回定期演奏会開催』
あ、太一くんだ。
ぽけ、と口を開けてそのポスターを見る。
その写真は確実に太一くんで。
違うのは今みたいなラフな服装ではなく、きちんと整った衣装であること。
すげー。
太一くん、かっこいいな。
羨望の眼差しで太一くんを見れば。
酷く痛い顔になったから、ビックリする。
「・・・んな顔で見んな」
なんで?
定期演奏会を開くってことは、凄い人なんでしょ?
皆の前で演奏して、賞賛の拍手貰って。
すっげぇ、羨ましい。
だから、
「五月蝿ぇ!弾けねぇんだよピアノが!自分が思っている音が出ねぇんだよ!畜生、勝手に定期演奏会開催の承諾しやがって、俺がどんな気持ちで身隠してると思ってんだ・・・!」
ガツガツ、と。
容赦なく怒りに任せて壁を拳で叩く。
あ、あ。
滲む、血。
ダメだ。
太一くんの、大事な、手が。
壁に当たる前にそれを自分の手で包み込めば、そのまま打ち付けられる。
い、ってぇ。
痛みに耐え切れずへたり込むと。
「なが・・・っお前、なに、やってんだよ!」
太一くんがしゃがみ込み、慌てて俺の手を取って、悲しそうにする。
まるで自分が傷ついたかのように。
だけど、俺は嬉しかった。
確かに手は痛かったけど、太一くんの痛みがちょっとは分かった気がするから。
変、かな。
でも、顔は笑顔になる。
太一くん。
手、潰さなくてよかった。
包まれていた手を解いて、太一くんの手を再び包む。
そっと、優しく。
血まみれの手が少しでも癒えるように。
「・・・・・・なが、せ」
声が出れば、たくさん言いたいことがあるのに。
何にも、出来ない。
俺が出来るのは行動することだけで。
太一くんがそれを分かってくれるように、何度も、怪我をした手を擦った。
どれくらい経っただろう。
ずっと、二人でそうしていたら。
「・・・・・・俺、さ」
ぽつり、と太一くんが声を漏らしたから、耳を傾けた。
小さい頃からずっと、ピアノと一緒でさ。
物心ついた時からピアノを触ってて。
あ、でもそれは別に辛かったとかじゃなくて。
逆にもっともっと弾きたくなって。
それが職業になればいいなぁなんて簡単に思ってたんだ。
だけど、どんどん上れば上るほど不安になって。
周りのプレッシャーに押されて、だんだん好きなことが出来なくなって。
ふと、思ったんだ。
俺は一体何の為にピアノを弾いてるんだろうって。
そう思ったら、弾けなくなってた。
音は出るんだけど、こう、乗らないっていうか、楽しくないっていうか。
周りから見ればそんなに変わらないらしいんだけど、俺にとっては大問題で。
だから、こっそり身を隠した。
しばらく自分の中のピアノを見つめなおそうと思って。
「そしたらさ、お前が居たんだ」
ピアノが弾けなくてぐるぐる悩んでいた俺の目の前に。
形振り構わず唄う、長瀬が居た。
それを見た時、ああ、歌が好きなんだなぁ、って気持ちがじわじわと伝わってきて。
昔の俺もあんな風だったのかな。
じゃあ、今の俺は?
あの頃のように笑ってピアノを弾いているだろうか?
「気づいたら声かけてた。羨望の眼差しで見られるの覚悟で。そしたらお前俺のこと何にも知らなくて」
それが嬉しかった、と太一くんは笑った。
ああ、だから初めて会った時、嬉しそうだったんだ。
ごめんね。
「・・・悪かったよ」
太一くんの気持ち、考えてなくて。
「んな顔、すんなよ」
でも。
大好きなことが出来なくなるのは、不安だし悲しいよ。
俺も声が出なくなった時、すっげぇ不安だった。
胸がきゅうっと締め付けられて、最悪の事態がぐるぐる頭に巡って。
太一くんはずっと、そのままだったの?
隣に居ながら弾けなくて弾けなくて、苦しんでたの?
俺、また気づかなかった。
気づかないで、笑顔ばっか見てた。
馬鹿だ。
「あーもうやめやめ!湿っぽい話はこれで終わり!帰んぞ長瀬!」
え、帰るの?
俺まだそんなに歌ってないよ?
「帰ってから部屋で、一緒に演ろうぜ」
俺はピアノで、お前は歌で、と。
ちょっとだけぶっきら棒に太一くんが言った。
ピアノ。
俺が来てからまだ一度も聞いたことが無い、太一くんのピアノ。
それが聞けるんだ、と思ったら、顔が緩んだ。
「そんな嬉しいか?」
嬉しいよ。
太一くんのピアノ、聞きたいし。
さっきより少しだけ、元気になった気がするもん、太一くん。
ピアノが好き、って気持ち、俺にも伝わってくる。
最初からそうだった。
俺にピアノを紹介する時、すっげぇ誇らしげだったもん。
だから。
早く帰ろう太一くん。
ぐいぐいと彼の服の端を引っ張れば。
「急かすな馬鹿!俺の服が伸びんだろー!」
なんて言いながらも、太一くんは笑顔になった。
そう、笑顔だったんだ。
NEXT
2007.5.25