翌日。
茂くんは通院を条件に一時帰宅を許された。
久々に帰る家に、何だか嬉しそうで。
いつもより饒舌に喋る茂くんの話に相槌を打っていた。
負担になるかな、と案じていた買い物にも付き合ってくれた。
病み上がりだし流石に荷物は全部俺が持ったけど。
家に帰ってすぐさま昼食の用意をする。
普通にご飯食べられるんだろうか?と首を傾げていた俺の横で、茂くんはしきりに和食が食べたいと言った。
だから、本当に和食の献立で。
ご飯に味噌汁、鮭に副菜。
それをお盆に乗せて運べば、にこにこの笑顔で迎えられる。
食べながらも茂くんは饒舌で。
実は俺がバイトを休んでいたことも、ずっと傍についてたことも知ってたらしい。
ありがとう、と言われて満更でもなかった俺は。
照れを隠すために、別の話題に切り替えることにした。
「あ、アンタさぁ。俺先生に怒られちゃったのよ?」
「なんでや?」
「この病気、通院して薬服用してたら緩和されるらしいじゃないの。ちゃんと病院行くように言って下さいって」
ちゃんと行きなさいよ、と保護者のような口調で。
それに笑顔で答えてくれるんだろうと、勝手に思い込んで顔を見れば。
茂くんは少し辛そうに笑みを湛えて。
ふるふる、と言葉を口にしないまま首を横に振った。
「何でよ」
「嫌や。病院は行かん」
「病気なんだから、行かなきゃ駄目でしょ?」
「行かん。あんなとこ、もう二度と行ってたまるか」
ぎゅう、と膝の上で握られる手。
病院が嫌いってわけじゃないみたいだ。
それよりももっと大きな、別の理由があるのか。
けど、そんなことを言っている場合じゃない。
「・・・あのねぇ。我が儘言ってられる状況じゃないのよ?先生とも約束してたじゃ、」
「行かん言うとるやろ!!」
バン、とテーブルを強く叩いて、茂くんが怒鳴った。
こうやって感情を露にする彼を見るのは初めてで。
きゅう、と胸が締め付けられる感覚に襲われる。
「・・・なんで?」
「何でもや」
「理由がないと納得出来ない」
だって。
通院しなかったら、またあんなことが起きるんだろ?
急に倒れて、病院に運ばれて。
手術室に真っ直ぐ運ばれたから、軽い病気ではないはずだし。
その度俺は幾度となく心配を重ねるんだ。
これからどのくらい、俺はアンタの傍で泣いていけばいいんだよ。
「心配しなくてええ。僕が倒れてももう来なくてええから」
それだけを言って、茂くんは黙々と食べる行為を再開した。
心配しなくてもいい、なんて。
出来るわけないじゃん。
仮にも一緒に住んでて、こうやって話してて。
身近に居る人が倒れた時、傍に居てあげたいって思うのは駄目なことなのか?
「茂く・・・」
「それに」
言って、俺の方を真っ直ぐ見る。
「他人のお前には関係ないことやろ」
悲しげな視線が刺さって。
それでも、茂くんの顔は必死に笑顔を形どっていた。
・・・でも。
その言葉は、どれだけ笑顔で言ったとしても。
どれだけ優しい声色だったとしても。
今の俺にとっては酷く残酷なものだった。
「・・・関係ないって、なんだよ」
「松岡」
「関係あんだよ!俺にだってちょっとくらいは!」
身内でもなんでもないけど。
血の繋がりなんてこれっぽっちも見当たらないけど。
茂くんに救われた俺にとって、その手が全てで。
無くなると、困るんだよ。
すっげぇ、困るんだよ。
悲しみと怒りが混じって、声が震える。
気を抜けば泣き出しそうになる、そんな自分を見られたくなくて、俺は立ち上がった。
「どこ、行くん」
「出てく」
「・・・行く宛てはあるんか」
「関係、ないんだろ」
俺のこの言葉で、茂くんの表情はさぁっと曇った。
言ってしまった俺も、罪悪感に苛まれる。
だけど、ここにはもう居られなかった。
幸せな日常。
たった二週間だけだったけど、幸せだったよ。
俺の世界からアンタがいなくなるのは辛いけど。
もう大人だし、バイトも見つかったし。
何とかやっていけるはずだから。
「・・・二週間、お世話になりました」
他人行儀な風にそう言って。
俺は茂くんを振り返ることなく、何も持たずに家を飛び出した。
外は、雨。
傘も持たなかった俺はびしょぬれになりながら歩いていた。
行く宛てなんてもちろん、ない。
・・・そんな、さぁ。
茂くんの病気を、なかったことになんか出来ねぇよ。
治るもんなら治って欲しいし。
ずっと、この生活が続けばいいなって思ってた。
・・・俺だけ?
茂くんはそうやって思ってくれてなかったってことかよ。
畜生。
ぐるぐる考え事をしてたからか、俺の注意力は散漫になっていた。
しかも天候は雨。
運悪くスリップしてしまったのだろうトラックに、気付くのが遅れて。
耳に焼きつくようなブレーキ音に顔を向けた瞬間。
ヘッドライトの強い光に目が眩み、そのまま前からの物凄い衝撃に身体がふっ飛んだ。
痛いはずなのに、感覚が無く。
壁に強か身体を打ちつけた後、ずるりと倒れこんだ。
誰かの慌てた声と、駆け寄ってくる足音。
知ってるような感じの声色。
なんて、言ってんだろ。
よく、聞こえねぇや。
身体を動かそうと試みるも、びくともせず。
ただ、意識だけがその場に残って。
その微かに残る意識の中、ふわふわと。
あの人ちゃんと病院行ったかなぁ、なんて呑気なことを考えてた。
あんだけ拒否ってたんだからきっと行ってねぇわな。
帰らないと。
出てくっつっちゃったから、気まずいけど。
俺が何食わぬ顔で戻ったら、あの人だっていつも通り俺におかえり、って言ってくれる。
・・・多分。
病院だって嫌がったって何したって無理矢理引っ張って連れて行きゃいいんだ。
耳元で生きろって何度も繰り返してりゃ、嫌でも覚えるだろう。
あんな頑固なヤツ、他に誰が引っ張ってやれるっつーんだよ。
どこ探したって俺しかいねぇだろうが。
だから、帰るんだ、よ。
雨が降り注いで、目が霞む。
何か、あったけぇ。
あの人の手が、俺を撫でる感触が蘇る。
走馬灯がこれかよ、なんて悪態をついてみたけれど。
あったかかったなぁ、とか。
優しかったなぁ、とか。
幸せだったなぁ、なんて。
悲しかった思い出を吹っ飛ばして、意外といい思い出が多いことに気付いて。
あの人に会えてよかった、って思えたら。
へら、と。
顔が自然に笑えた。
それが、俺の20年の人生のあっけない幕引きだった。
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2007.5.4