茂くんの家にお世話になることになってから、丁度10日目。
どうにかバイトを見つけ、昼はそこに通いつつ、夜は家で過ごしていた。
彼はとにかく世話の焼ける人で。
放っておくと片っ端から何かひっくり返したり倒したり。
ぼんやりしてるもんだから、せっかちな俺がいちいち口を出す。
結構辛辣なことも言ってるはずなんだけど、いつもいつも笑顔で。
すまんなぁ松岡、とのほほんとした言葉をくれる。
一体この人は何をやってる人なんだろう。
俺が出て行く時も、帰ってくる時も家に居て。
いってらっしゃいとおかえりを満面の笑みで言ってくれるけど。
バイトが休みの日もふらりと散歩に行ってくる以外は家の中に居る。
・・・・・・今時内職稼業?
その日も。
彼のおかえりを密かに楽しみにしながら俺は帰宅した。
誰かが居る。
いつしかそれだけが俺の心の支えになってたから。
「ただいまー」
ちゃんと聞こえるように声を上げて。
でも、返事は返ってこなかった。
代わりに聞こえてきたのは彼の声ではなく、ギターの音。
不思議に思って中に入れば、ベランダに出てぽろぽろとギターを爪弾く茂くんがいた。
「ただいま」
「おー、お帰り。今日は早かったなぁ」
覗き込んで二度目のただいまを言えば、にこにこしながら俺を見上げて。
爪弾いていたギターを一度止める。
空いていた隣に腰を下ろして、彼の手に納まっているものを見た。
「何、茂くんそれ弾けるの?」
「ぉん。僕の趣味や」
言うなり再びぽろぽろと弦を爪弾き始める。
聞こえてくるのは、一昔前に流行った曲。
え、古くない?
「・・・もうちょっとマシな曲弾けよ」
パッと見流行に乗れてるようには見えないけど、なんて。
余計な一言を付け加えた俺を見て、またにっこりと。
「この時代の曲がええんや」
最近の曲はがちゃがちゃして、歌詞もよくわからんものばっかやもんと。
嫌いやないけどな、と変なフォローまで付け加えて茂くんは優しく言った。
「そういうもんかねぇ」
「そういうもんや」
「ふぅん」
曲が風に乗って俺の耳に届く。
ギターの音色なんて誰が奏でても同じだ、って思ってたけど。
茂くんの奏でるそれは、ふぅわりと優しさを帯びていて。
人柄がたっぷり染み込んでるんだな、って感じるほどにあったかかった。
歌は上手い方じゃないけど歌詞を知ってたから、小さく口ずさんでみれば。
楽しそうに俺を見やって、奏でる音。
男二人ベランダに座って何やってんだか。
・・・だけど、居心地はやっぱり悪くなくて。
バイトの疲れも、夕食の準備も忘れて、二人で歌っていた。
俺もさ、今の曲より昔の曲の方が好きだよ。
どこかアンタに似てて、聞くとホッとするんだ。
こっそりとそんなことを思いながら。
そんな日常の中。
茂くんが倒れたのは、翌々日の夕方だった。
ぎゅうっと胸元を握り締めて。
苦しそうに、でも俺を心配させまいと笑って。
身体を半分に折り曲げて、そのまま地面に倒れこんだ。
持っていたギターはがこん、と鈍い音を立てて彼を追うように落ち。
部屋の中で立っているのは俺だけになった。
俺は物凄く不安で不安で。
気づけば声を振り絞って茂くんの名前を呼んでいた。
冷静にならなきゃいけないのは分かってる。
でも、思いと裏腹に焦燥感がどんどん募っていく。
どうしよう。
この五文字が頭の中をぐるぐる駆け巡る。
泣き出したい衝動をどうにかして押さえ込み、ポケットに入っていた携帯で救急車を呼んで。
それに乗って一緒に病院に搬送された。
茂くんが死んだら、俺はどうなるんだろう。
病院の暗い廊下で俺が考えていたことは、そんな自己中心的なもので。
でも、想像出来なかった。
彼が消えてしまった後の自分の姿を。
あまりにも居心地がよくて、しっくりきてて。
そんな世界があっという間に消えてしまう恐怖は、初めてじゃなかったから。
余計、怖くなる。
ぎゅうっと自分の手を握り締めて、小さくなって。
手術室の前のソファに座って、茂くんが出てくるのを待っていた。
死なないで。
死なないでよ茂くん。
俺、まだたくさん言えてないことがある。
何にも恩返し出来てないのに。
このままさよならするなんて、ずりぃよ。
手術室のランプが消えて。
出てきた茂くんを見送っていた俺は、最後に出てきた先生に呼び止められた。
何とか峠は越しました、と。
その言葉に酷く安堵している自分が居た。
そして付け加えるように、きちんと病院に通うよう注意してください、と注意も受けた。
どうやらかなり前から病気の症状は出ていたらしい。
薬を飲んでいればいくらか緩和されるみたいで。
俺はその言葉に大きく頷いて、茂くんのベッドを追って足を進めた。
何、言ってやろう。
起きたらとりあえず、文句たくさん言って。
病院にちゃんと通うように小言も言って。
そんで、ほんのちょっとは優しくしてあげよう。
病み上がりって、意外と気弱になっちゃうもんだから、さ。
・・・別に、心配してるわけじゃ無い。
うん、違うんだ。
それから、二日後。
俺にとっては長い長い二日間で。
バイトも休ませてもらい、病院に泊り込んだ。
仕事をしてても何も手につかない気がして。
それよりは傍に居て、死なないように見張ってる方がいいな、と思ったんだ。
だから、全然眠れなかった。
飯なんか喉も通らなかったから、コーヒーを無理矢理流し込んで。
どんだけ影響受けてんだよと毒づいてみても、身体は正直だったようで。
軽く、自己嫌悪。
夢の中と現実をゆったり行き来していた俺の目の前で。
ぱちり、と茂くんが目蓋を上げた。
何か、言わないと。
思って声を出そうとすればするほど、喉の奥が詰まったように苦しくなる。
急に倒れたからビックリしたじゃん。
まぁでも茂くんなら大丈夫だと思ったけどね、しぶとそうだから。
俺?心配なんてするわけないっしょ。
今だってバイト終わってここに来て丁度寝るところだったのに起こしてくれちゃってさ。
どうしてくれんのよ、俺の睡魔、どっか飛んでったじゃん。
頭の中の俺はスラスラと饒舌に言葉を並べていくのに。
現実の俺は、その言葉の代わりにあ、と震えた情けない声を短くあげただけで。
それ以上口を開けずに俯けば、手の上に落ちてくる冷たいもの。
うわ、だっせぇ。
「・・・まつおか」
「ぁんだよ・・・・・・っ」
「何、泣いてんねん・・・阿呆」
「五月蝿ぇな・・・っアンタが泣かしたんだろ・・・っ」
いなくなったらどうしようかと思った。
笑ってくれなくなったらどうしようかと思った。
独りになったら、どうしようかと思った。
溢れていた不安が、涙と共に外に流れ落ちる。
「・・・・・・よ、かったぁ」
思わず漏れてしまった言葉に、茂くんは凄くビックリして。
だけど、その後で嬉しそうに笑って。
ごめんなぁ、といつもの呑気な声でそう言って、俺の頭をぐしゃぐしゃに掻き混ぜた。
この手。
茂くんのこの手だけが、今の俺を支えている。
細くて頼りないんだけど、それでも。
俺はこれに縋りつく以外の術を、知らない。
NEXT
2007.5.1