[M side]





茂くんが来てから、10日後。
俺の容態は坂道を転げるように悪化を辿り。
小さい発作が頻繁に起こるようになった。
ああ、もうそろそろ死ぬんだなぁ、って他人事のように思う。
お医者さんから先が長くないことを告げられたのか、兄ぃも茂くんも仕事を休んで俺の傍についていてくれた。
太一くんと智也は学校に行ったらしい。
放課後一緒に飛んでくるから待っててな、と茂くんの優しい声が降ってくる。
なのに、俺は呼吸をするのに精一杯で。
懸命に頷けば、兄ぃの手が優しく俺を撫でる。
茂くんと、兄ぃ。
朝ご飯も昼ご飯も、俺のベッドの横で二人で食べていた。
俺も食べたかったんだけど、酸素マスクを外すと辛いから。
ただ、二人をじぃっと見ていたら。
兄ぃが笑って、昌宏食べたそうにしてんなぁって言って。
茂くんがそれに続いて、それだけ元気やったら大丈夫やな、と微笑む。
二人ともたくさん笑って俺の傍に居てくれた。




































「ただいまー」




















廊下から、声。
太一くんだ。
珍しく普通の玄関から受付を通して来たみたいで。
やっぱ俺こういうの苦手、と苦笑しながらカバンを棚の上に置いた。





「お帰り」
「お帰り太一。今日はどないやった?」
「もうへとへとだよ。部活の練習半端ねぇし」
「ほれ、水」
「さんきゅー」





太一くんは兄ぃが放ったペットボトルを上手くキャッチして、そのフタを開けてごくごくと喉を鳴らしながら中身を身体に流し込んでいく。
あれ、部活の練習って6時くらいまでじゃなかったっけ?
まだ4時を過ぎたところなのに、なぁ。






「・・・ぃち、くん」
「お、昌宏。ただいまー」
「・・・ぉか・・・りぃ・・・」
「お前辛そうだなぁ。無理して喋るんじゃねぇぞー」





言った太一くんにわしゃわしゃと頭を撫でられる。
兄ぃと違って少し小さい手。
そういや太一くんが俺にこんな風にしてくれるのって珍しいかも。
ふにゃんと笑えば、太一くんも笑う。
そんで、引き続いて茂くんと兄ぃも頬を緩めた。
まるで家に居るみたいだ。
ちょっと皆が優しすぎる気もするけどね。
病室に居るのに、家に居るような感じ。
いつもは好きになれない白も、今日はどこか綺麗で。
居心地が良くて、その空気に身を任せる。
俺、やっぱ家族が大好きなんだな、って思う。
・・・面と向かっては言えないけど。



















「智也は?」
茂くんがはた、と思いついたように太一くんに尋ねる。
「アイツもうすぐ帰って来ると思うよ。今日テストだって言ってたけど」
「また0点取って満面の笑み浮かべて見せてくるんじゃねぇか?」
「んもー、ちゃんと怒ってよ茂くん!」
「ええやん、0点の1回や2回」
「・・・いつもだけどさぁ、茂くんは智也に甘いよねー」
「何、妬いてんの?太一」
「妬いてませんけどー」







どっからどう見ても妬いてるよ、太一くん。
茂くんも確かに甘いところはあるけど。
っていうか兄ぃ、人弄って喜んでるよね。
そして、智也。
早く帰って来いよ。
俺が昨日教えたテスト、一番に持ってくるって約束したんだから。
それに俺、お前がたくさん笑ってるの見んの一番好きなんだ。
どんだけ落ち込んでても、どんだけ傷ついてても。
お前が馬鹿みたいに笑って、阿呆みたいにご飯かっ喰らってるだけで。
家族全員が救われた気持ちになるんだから。














































































































































































































でも。
いつまでたっても、智也は俺の病室には帰って来ず。
時間だけがどんどん過ぎていく。
横になっていた俺はふわりと眠気を感じ始めていた。
昌宏寝てええよ、と茂くんが俺の布団を叩く。
けど、まだ、智也が。
目でそれを訴えれば、兄ぃが大丈夫だと言わんばかりに笑った。
その後ろで、太一くんが走っていく。
智也、迎えに行ってくれたのかな。
戻ってきたら起こしたる、って茂くんの言葉を信じて。
ぱたり、と俺は目蓋を下ろした。
そのまま吸い込まれるように夢の中に落ちていく。
・・・このまま目、覚めなかったらどうしよう。
そんな不安をも打ち消すほどの、眠気だった。





















































































































































































目蓋を閉じて暗くなっていた視野が、次第に明るくなっていって。
開けていった景色の中に、見覚えのある姿。







そこには、体育座りで項垂れている少年が居た。









ガタイだけがでかくなって、いつの間にか俺を追い越してしまった。
末っ子で、甘えん坊で、元気な弟。
これって幽体離脱とかってやつだろうか。
非科学的現象にお目にかかってるわけなんだけど。
何にせよ、俺は智也の傍に立っていた。
手にはいつも持ってきてくれる紫の花が握られていて。
買ってから暫く立っているんだろう、少し萎れかけている。
近づいてみれば、時折すん、と鼻を鳴らしていて。
智也は顔中がぐっしゃぐしゃになるくらいに、泣いていた。









































































「・・・ま、ぼぉ」






































































小さな声で俺の名前を呼ぶ。
ああ、そういえば。
智也俺の病気のこと、何にも知らなかったんだっけ。
治るから大丈夫だって教えられてて。
それを信じて、ずっと。
































































「治らないなんて、嘘、だ・・・ぁ」











































































智也の呟きは、悲鳴のようにも聞こえて。
俺はすとんとヤツの横に腰を下ろした。
背中を叩こうとした手が、すかっと手応えが無く落ちる。
お前が俺を慰めてくれたように、俺もお前を慰めたいのに。
今の俺にはそれが出来ない。
傍に居てやることしか出来ないけど。






どうか。
俺が死ぬことくらいで、世界全てに絶望しないでくれ。
お前の周りには優しい家族が居て。
これから、たくさんの道がお前を待ってるんだから、と。
ただ、祈った。
























































































































































































































[Tomoya side]







朝起きて、いつものようにご飯を食べていたら。
今日は皆で昌宏と一緒に居てやろうなって、茂くんが悲しそうに笑って。
俺が今日だけじゃなくてずっと一緒にいるよ、って言った瞬間、家の中の全員の表情が曇った。
そこで初めて告げられた真実は、酷く現実的で。
それでいて、夢のような話だった。






マボが居なくなる。
俺の世界から、マボが。
こんなにも簡単に居なくなってしまう。
だって、昨日まで笑ってたんだ。
お前明日テストなのに大丈夫なのかって心配までしてくれて。
テストに出そうなところを赤丸で囲んだりしてくれて。
頑張れよって背中を叩いてくれた。
そんなマボが、居なくなる。
消えちゃうんだ。
まるで、ゲームのデータみたいに。
そう思ったら、行けなかった。
マボの居る病室に足を踏み入れることが出来なかった。
踏み入れたとしても、いつも通りに笑える自信が、無い。
それどころか、わんわん泣いてマボとか茂くんとかを困らせてしまいそうで。
だから、行けなかった。
ここで座り込んだままで居るのが良いことだとは思わないけど。
でも。





涙が、止まらない。
拭っても拭っても止め処なく流れる。
こんなに泣いたのはいつぶりだろうか。
考えてみて、行き着いた先は。
小さい頃、マボが来てからまだそんなに経ってない頃。
落ち込んでるマボと一緒に、大声でわんわん泣いたことだった。





ほら。
俺の中の思い出にはいつも、マボがいる。
だからこれからも、マボが居てくれなきゃ駄目なんだよ。
マボ。







































































































































「智也!!」


















































































背中からでっかい声がして、ビックリして振り向けば。
肩で息をしている太一くんが立っていた。
汗を腕で拭いながらすたすたと俺の傍に歩いてきて。
そんで、ぺしっと頭を平手で叩かれた。





「痛・・・・・・」
「お前は、こんなとこで何油売ってんだ馬鹿!昌宏が待ってんだぞ!!」





マボが待ってる。
あの病室で。





「・・・・・・俺を?」
「お前以外は全員もう揃ってんだっつの!後はお前だけなの!!」





いくぞ、と。
差し伸べられた手。
それを受け取れずに、項垂れれば。
ふぅっと面倒くさそうな溜め息の後、どすっと座る音。
横には、涙目の太一くんが居た。





「太一、くん」
「あーもう馬鹿!お前ばっかズルイから俺も泣く!!」






俺の方が涙腺緩いんだからな、と。
言いながら太一くんはぽろりと涙を落とした。






その姿を見て、思う。
最初からマボの病気のことを知って、それでも笑っているのはどんなに辛いことなんだろう。
笑って、笑って。
マボに至って普通の自分で居るように見せる。
俺にはそれがきっと無理だった。
皆はそれを知って、あえて俺にはマボの病気を話さなかったんだ。





















































































































































「・・・・・・俺、な」






ぽつり、と太一くんが口を開く。







「っていうか、家族全員がさ。お前の素直な感情表現が羨ましかったよ」






楽しい時には笑って。
ムカついた時には怒って。
悲しい時にはわんわん泣ける。
そんなお前が羨ましくて仕方なかったのだと、太一くんは言った。
それと、と付け加えるように言葉を続ける。






「そんなお前に、たくさん救われてんだ」





お前が笑うから、つられて笑う。
お前が怒るから、一緒になって怒る。
お前が泣いたら、それに紛れて泣くことが出来る。






「今だって、俺、泣くつもり、全然、無かったのに」





泣いたら昌宏が困るって、分かってんのに。
お前が泣いてんの見て、すっげぇ泣きたくなった。






「・・・きっと、皆同じなんだよ」
「・・・・・・?」
「昌宏も、達兄も、茂くんも、お前が病室に来んのを待ってんだよ」





一人で、こんなところで見えないように泣くなんてずりぃぞ、と。
太一くんは涙の痕を消すように、がしがしと腕で顔を拭きながらそう言い。
俺の方を見て、もう一発頭に平手打ちをかまして、立ち上がった。





「行くぞ」
「・・・でも、俺、泣くよ・・・?」





わんわん泣いて、きっと皆を困らせる。
死なないでって喚いて、病院の迷惑にもなる。
茂くんや達也くんや太一くんみたいに、笑えない。
それでも、行っていいの?
そう尋ねれば、ぱっかんと頭を叩かれてついでに頬を抓まれる。





「いってぇ・・・っ」
「誰も泣くななんて言ってないだろ。笑ってろとも言ってないし」
「・・・え・・・」
「お前はいつものまま、素直なまんまで居ればいいんだよ」















それが、皆の救いになるんだから。



















言われて、ぐいっと腕を引っ張られて無理矢理立ち上がる。
この小さい体のどこにこんな力があるんだろう。
手を繋がれて、ぐいぐいと引っ張られるようにして、俺は太一くんと一緒に病院に向かった。































































































































たどり着いた病室は。
いつもの、白い空間で。
ただ、真ん中に横たわってるマボの傍には見守るようにして茂くんと達也くんが居た。
太一くんがただいま、って言ったら、二人の顔が上がる。
そして俺を見て安堵の表情を浮かべた。
べしっと太一くんに背を叩かれ、恐る恐る口を開く。





「遅くなって、ごめんなさい」
「ええねん。事故とかやなくてよかったわ」
「茂くん過剰心配しすぎ」





いつも通りの達也くんの突っ込みに、少しホッとして。
太一くんと一緒に、部屋にあった椅子に腰掛け、ベッドの上のマボを見た。
青白い顔で目を閉じてそこに横たわっている様子に、思わず涙腺が緩んでしまう。
あんだけ泣いたのに、まだ出るんだ、涙。
涙が枯れるなんて、嘘だ。
ぐしぐしと腕で目元を拭って、手に持っていた花を茂くんに手渡せば、花瓶入れ替えてくるわ、と病室を出て行った。
達也くんはそろそろ腹減ってきたな、と言って、財布を持って茂くんの後を追うように居なくなった。
















部屋には、俺と、太一くんと、マボ。
ゆったりと動くその胸元をじぃっと見つめていれば、不意に。










「あ、そうだ。お前、テストどうだったんだよ」











と、太一くんが口を開いた。
その言葉に、俺はマボに言いたかったことを思い出して、あ、と声を上げ急いでカバンを漁る。


























・・・・・・ねぇ、マボ。
俺、マボにビッグニュースがあるんだ。
もしかしたら、明日雨が降るかもしれない。
いや、雪降っちゃうかも。
それくらい凄い、お知らせがあるんだ。



























カバンの中身を全部床にぶちまけて、あるものを探す。
教科書の間に挟まっていたそれは、くしゃくしゃになってたけど。
シワを伸ばして、太一くんとマボに見えるようにそれを掴んで差し出した。
真っ赤なペンで大きく点数を書かれた、それを。







俺、馬鹿だから、教えてもらってもすぐ忘れちゃうんだけど。
昨日夜頑張って徹夜して。
マボが教えてくれたとこ、全部暗記して。






そしたら、ほら。
出来たんだ、テスト。






「見て、これ80点!!!」
「お、すげーじゃん智也!茂くんっちょっ、来て!」
「どないしたん?」
「俺、80点取った!!」
「おぉ〜凄いやん智也〜!」





太一くんと茂くんに揃って頭を撫でられて、嬉しくなる。
達也くんも帰ってきたら撫でてくれるかな。





「マボが、俺に教えてくれたとこが殆どだったんだ」
「昌宏が?」
「うん!昨日、マボがね、」





どうやって教えてくれたのか。
赤丸を付けてくれた教科書を見せて、説明したかったのに。
出したかった言葉は喉に引っかかって出てこなかった。




















































































































『よし!これで完璧!ヤマが当たれば70点は固いなー』
『ホント?』
『うん。まぁこれ全部覚えたらの話だけど』
『じゃあ俺、頑張る!!』
『おう!あ、ちゃんと俺に一番に見せに来いよお前』
『70点取れたら褒めてくれる?』
『褒めてやる褒めてやる。いっぱい頭撫でてやるから来いよ』
『うん!!』








































































































笑いながらそう言って。
赤丸だらけの教科書を俺に手渡してくれた。
一番に見せに来たら撫でてやるって、言ってくれたマボ。
そのマボに、まだ俺は何も言ってもらってない。
さっきから目を閉じたままで。
多分、俺のテスト用紙もまだ、見えてないんだろう。









「・・・マボ、起きてよ」







俺、80点取ったよ。
マボが言ってたより10点も多く取ったんだ。
取れたら褒めてくれるって、言った。
約束したじゃん、マボ。
褒めてよ。
そしたら俺、次も頑張るから。






「マボ・・・っ」





寝ているマボを揺り起こそうとしたら、後ろからガッとそれを阻まれる。
がっしりとした腕。
売店から帰ってきた達也くんだった。
加えて、横から太一くんにべしっと叩かれる。





「馬鹿ヤロ」
「太一くん・・・」
「起きるまで待ってろ、智也」
「達也、くん」
「智也やって、無理に起こされてええ気分せぇへんやろ?」
「・・・・・・うん」





しょんぼりと項垂れてマボを見たら。
小さな唸り声を上げ、ゆったりと目を開けた。
あ。






「マボ!!」
「あーあ、お前が五月蝿いから起きちゃったじゃん」







太一くんの呆れたような声。
ごめんね、と謝れば薄い色の目が俺の姿を映して、ふわりと笑う。
慌てて手に持っていた答案をマボに突きつけるようにして見せれば。
大きく目が見開いて、それがにぃっと嬉しそうに微笑んだ。
そして、小さくマボの手が上がる。
体を縮めるようにしてその下に入り込めば、ぱすっと手が俺の頭の上に乗って。
ぎこちなくではあったんだけど、マボの手は確かに俺を撫でてくれた。






「マボー・・・俺、頑張ったよ」
「・・・・・・ん」
「次も頑張るから、また出るとこ、教えてね」









言いながら。
俺はボロボロと涙を零していた。
知ってる。
マボがもう死んじゃうこと、知ってるけど。
それを知ってそのまま諦めることなんて、出来ないから。








俺の言葉に、マボはふわっと笑って頷いてくれた。
それが叶わないことなんて、分かってる。
でも、思うくらい、したっていいじゃん、ねぇ。






俺はしゃがみ込んだまま、顔面ぐしゃぐしゃになるまで泣いて、泣いて。
そんな俺を、マボはずっと撫で続けていてくれた。
ずっとこの時が続けばいいのに。
そう、思いながら、俺はたくさん涙を零した。





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2007.7.28