入院して、一ヶ月。
病院の服も、毎日の服薬も生活の一部分になった。
これが、元の俺の世界。
白くて一人で、いつも薬の匂いが耐えない世界。
元々、そうだったから、平気だ。
思いながら、ベッドに身体を横たえる。
白。
白、白、白。
その中に映える、紫。
「マボーーー!!」
「うぉっ」
急に抱きついてきた大きな身体。
ビックリして声を上げれば、慌てたように謝罪の言葉が返ってくる。
智也。
俺に出来た、初めての弟。
兄弟の中で一番年が近かったからか、始めに一番仲良くなった。
マボ、と勝手にあだ名を付けて呼んだ張本人だ。
俺としてはお兄ちゃん、だとか兄貴、だとか。
そんな風に呼んで欲しかった、なんて思ったりもしたんだけど。
今では、それが妙にしっくりくる。
お兄ちゃん、って柄でもねぇし、な。
智也の手には色鮮やかな紫の花。
名前は、なんだっけ。
忘れたけど、これだけは知ってる。
智也が自分の小遣いから出して買って来てくれてるということ。
毎日、毎日。
そんなに多く貰ってるわけでもないのに。
いいよ買わなくて、と言ったら、マボの病室は殺風景だから、と。
これくらいしか俺には出来ないし、とそう言って。
笑いながら、ちょっとだけ、落ち込んだように。
大きくなった身体を猫背にして、俺を見てへへ、と声を上げたのを覚えている。
花にかかっていた包装を乱暴に破くと、花瓶の中の花を取り出し、花屋で買って来たそれのまま、花瓶に突っ込んで。
にかっと笑って俺の横に腰掛けた。
部屋の隅に落ちているカバン。
さっき抱きついた時に投げたんだろう。
忘れないようにしろよ、と言えば、頷く。
可愛い弟。
俺が死んだら一番悲しんでくれるだろう、と思う。
優しくて、真っ直ぐで。
だからこそ、もう俺のところに来るべきじゃないと、思うのだ。
その優しさと真っ直ぐさは、別に向けろよ。
そう、心で呟きながら。
「智也」
「なに?マボ」
「もう、ここには来んな」
言った瞬間。
智也の表情がさぁっと目に見えて曇った。
分かりやすい、なぁ。
「なん、で?」
「・・・五月蝿ぇんだよ、お前が居ると」
どうにか絞り出した理由。
本当は、そんなことなんてないのに。
よく食べて、よく喋って、よく笑う。
何にでも素直に生きている智也が、俺は大好きだったから。
しん、と病室が静まり返る。
落ちた肩と、俯き加減になった顔。
泣き出しそうなそれは、ぶんぶん、と横に何度か振られて。
一生懸命な、笑顔になった。
「マボ」
「・・・・・・なんだよ」
「俺、マボが好きだよ」
マボが俺のこと嫌いになっても、俺はマボが好きだから。
それだけは、絶対だから。
「だから、そんな顔、しないで」
そう、必死に言葉を綴って。
耐え切れなくなったのか、口元がきゅうっと歪んで。
ぱたり、と涙が零れた。
じわりと胸が熱くなる。
白の中に映える、紫。
俺の好きな色。
智也が流している涙は、自分の悲しみじゃなく。
きっと、俺の代わりに。
『まぼ!』
無邪気な声。
いつもならそれに答えて一緒に遊ぶのに。
俺はその日、酷く悲しみに溢れていた。
どうしようもなく、泣きたくなった。
生きて欲しいと俺に言った両親が、逝ってしまったこと。
ずっと傍に居た人が、居なくなったこと。
それが、辛くて。
『・・・・・・っおかあ、さん』
体育座りで顔を膝に埋めながら、誰にも気づかれないように小さい声で泣いていたら。
智也は俺の横に座った。
『・・・まぼ』
ぴと、と。
俺の身体に自分の身体をくっつけて。
『ともも、かなしい』
そう言って、横で大声を上げて泣き出した。
まるで自分のことみたいに。
そんな智也につられて、俺も。
心臓に負担がかかるのは分かってたけど、大声で泣いた。
二人揃って泣いている姿に茂くんは酷く動揺して。
兄ぃは俺を、太一くんは智也を。
ぎゅうっと無言で抱きしめてくれたのを覚えている。
いつも。
智也は自分のことより俺のことを考えてくれていた。
きっと、家族の中の、誰よりも。
「・・・・・・智也」
遠慮がちに名前を呼べば、バッと顔を上げて。
涙の浮かんだ目を向けながら笑う。
「俺はマボにたくさんのこと、教えてもらったから」
茂くんの小さな努力とか。
ぐっさんの小さな癖とか。
太一くんの小さな優しさとか。
みんなのいいところを、一つずつ。
何一つ見ようとしなかった俺に、教えてくれたから。
「この花とお見舞いは、その恩返しなんだ」
俺が優しくなったのはマボのおかげなんだよ、と。
言って、またにかっと笑顔を見せた。
真っ直ぐなそれ。
嫌いになることなんて、到底無理だった。
面会時間終了のアナウンスが鳴る。
バタバタと慌ただしく準備をして、智也が立ち上がった。
「マボ。明日また、来るよ」
「・・・・・・」
「花も、買ってくるよ」
「・・・・・・勝手にしろ」
「うん」
勝手にする、と笑って。
地面に落ちていた自分のカバンを拾い、何度か叩いて埃を落とす。
少し前まで一緒に行っていた学校。
せめて卒業くらいはしたかったなぁ、なんて思ってた時もあったけど。
「・・・学校、楽しいか?」
するりと言葉が出た。
俺と智也の間で、学校の話は初めてかもしれない。
学校に行けなくなった俺に気を使ってか、智也の口からは一切この話題は出てこなかったから。
智也は俺の言葉にビックリしたような表情になって。
それから、満面の笑みになる。
「全然。俺、馬鹿だから怒られてばっか」
見てコレ0点!と自信満々に見せられた答案用紙。
皺だらけのそれ。
多分、カバンの中でぐしゃぐしゃになっていたんだろう。
っていうか0点って。
ある意味、清々しいけど。
「お前、10点くらいは取れよ」
「無理!」
「ちょっと見してみ」
ばしっとそれを奪い取り、読んでみて唖然とする。
「・・・なぁ、『義務』の反意語は『ムギ』ってなんだこれ」
「え、ムギじゃないの?」
「逆さから読んだだけじゃねぇか」
「えええー」
おかしいなぁ、と首を捻る智也。
それを見てると、何だか笑えてきて。
ふ、と声を漏らせば、一緒に智也も笑い出す。
「次来た時は俺が教えてやるよ」
「ホント?ってかマボ、出来んの?」
「少なくともお前よりはな。それに俺、一応先輩よ?」
任せなさい、とえらそうに言ってみれば、智也は笑って。
じゃあこれ置いてく、と0点の答案用紙を俺の枕元にぺし、と置いた。
0点。
俺がもし採点者だったら、30点くらいやるのにな、面白いから。
「じゃあね、マボ!」
大声でそう言って、ぶんぶんと大きく手を振る。
すぐ後に、遠くで看護婦さんに咎められる声が聞こえたけど。
多分、明日も智也は同じことをするだろう。
それに、俺はたくさん救われている。
今までも。
そして、これからも、きっと。
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2007.6.30