○月○日
世間は案外狭かった。
人って知らないうちに引き寄せられるもんなんだろうか。
























































































































































晴れた空が窓からくっきりと見える。
開けた隙間から優しい風が入ってきて、心地よい。
俺は机に座って使い古したペンを手に取り、原稿に向かっていた。
久々に筆が乗っている。
すらすらと思ったことが形に出来るのが気持ちよくて、夢中でカリカリとペンを動かしていた。





ご機嫌な俺と対照的に、床にはイモムシ状態のいのっちが居って。
細身の身体をごろんと横たえ、つまんねーを連呼している。
言葉の意味は分かってます。
こんなに晴れた日なのにどこにも出かけないことに不満なのである、この男は。





アウトドア派のいのっち。
インドア派の俺。
家の実権を持っているのは、俺。
ということは。
言わずもがな、行動を決めるのは俺であって。
暇を持て余したいのっちは、とうとうイモムシになってしまったのであった。










「あー・・・誰か来ねぇかなぁ」
「呼ばんでよ。せっかく原稿いい具合で進んどるんやから」
「ケチー」
「何とでも言え」






会話を打ち切り、原稿に集中すれば。
イモムシいのっちはコロコロと転がり壁にぶつかって痛がり出した。
痛ぇよ岡田ーとじたばたじたばた。
それをしかとすれば、今度は体育座りでいじけ出した。
岡田は俺のことが嫌いなんだ、とか。
冷たいぞお前はロボットかメカ岡田ー、とか。
そのうち呟きも消え、しん、と静まり返る。
ようやく静かになったか、と安心した俺の耳に聞こえてきたのは、鼻を啜る音。





















・・・・・・おい。














椅子をくるりと回していのっちの方を見ると、立てた膝に顔を埋め、それを腕で隠しているいのっちが見えた。
いじけた子どもやん、それ。
溜め息をついて近寄り、背中を叩いてやる。





「何泣いとんねん阿呆」
「・・・痛い」
「どこぶつけたん?」
「ここ。頭んとこ」





さすさすと頭のてっぺんを撫でて、痛いところを知らせてきたから。
少し、考えた。
子どもないのっちには、子どもの対応や。
そう思い、痛いといった部分に手を当てる。
小さい頃泣いていた俺に、おかんがしてくれたおまじない。
これ、原理的には全く意味のない行動なのに、小さい頃は何故か痛いのが無くなった気がして不思議だったんだよな。





「よしよし。痛いの痛いの飛んでけー」
「・・・・・・」
「・・・飛んでったやろ?」
「・・・うん」





そろそろと顔を上げたいのっちは、笑顔。
にひっと笑ってるから、ホッとした。
けれど、いのっちの笑顔がふと考えている表情になって。
ふい、と顔を天井の方に上げ、急に俺の頭の上にバッと手を翳した。





「・・・?どないしたん?」
「今痛いのが飛んでっただろ?」
「おん」
「岡田今上の方に飛ばしたから、落ちてくるかもしれねぇじゃん」





そんなことを真顔で言い出すもんだから、吹き出した。
何その思考。
いのっちは何を笑われてるのか分かってないみたいにキョトンとしてるし。
剛くんや健くんと一緒に遊ぶようになってから、ますます子どもっぽさに磨きがかかったというか。
二人にはお兄ちゃん振る分、その反動で余計に子どもっぽくなってる気がする。
・・・いいのかな、これ。
そう首を傾げていたらインターホンが鳴った。
誰やろ。
玄関に向かった俺がドアを開ける前に、いのっちの声。





「長野くんだー!」
「・・・何で分かるん?」
「山口商店の馬鈴薯コロッケの匂いがした!」
「・・・・・・はぁ」





くんくんと鼻をひくつかせるいのっち。
真似をして匂いを嗅いでみれば、確かに揚げ物の匂いがする。
覗き穴から外を伺うと、にこやかな男の人が立っていた。
先日、病院で出会った精神科医。
いのっちの元主治医、長野くんだ。
そういえば住所、教えたっけ。
呼ぶなっつった俺が呼んどるやん。
あー・・・いのっちには言わないでおこう。
がちゃりとドアを開けたら、長野くんが口を開く前にいのっちが飛びついた。
坂本さんとは違って、長野くんはがしっとそれを受け止める。
しかも片手で。
もう片手は上の方にコロッケを避難させていた。
さ、流石、手馴れとるな。






「元気そうだね、よっちゃん」
「うん!俺、すっげぇ元気だよー!」
「はいお土産」
「わーいv」






長野くんから紙袋を受け取ると、いのっちはコロッケ〜と楽しそうに歌いながら奥に引っ込んでいく。
コロッケ、好きだったんやな。
それにしても、お礼も言わないで行くなんていのっちらしくない。
代わりに俺が目の前にいる長野くんにぺこり、と頭を下げた。






「ありがとうございます、お土産まで貰って」
「いいよいいよ。よっちゃん好きなんだ、山口商店のコロッケ」






誰が作ってるのかは知らないみたいだけど、と小さい呟き。
言った長野くんの表情がほんの少し寂しげで。
いのっちの過去に何か関係あることなんやろうか、と思う。
・・・知りたいとは思わないけど。






「とりあえず、立ち話も何なんで、どうぞ」
「ありがと。お邪魔します」






長野くんの立ち振る舞いは完璧だった。
靴はきちんと揃えるし、挨拶も礼儀もきちんとしている。
それだけだと息が詰まりそうになるのに、にこやかな笑みが全てを緩和していて。
一緒に居たくなるような雰囲気を纏っている印象を受けた。
俺はキッチンに行ってお茶を準備する。
居間では早速いのっちがコロッケを齧っていた。
それを笑顔で見守っている長野くん。









・・・なんだか。
二人で居ることが普通、って感じで。
入りにくいなぁと思っていたら、いのっちがこっちを見て。
コロッケを片手に俺の方に向けて手招きをした。










「岡田来いよー、コロッケ美味いぜ」
「おん」






いのっちの手招きに連れられるようにして近寄る。
俺は二人の前にお茶を出して、いのっちの隣に座った。
手渡されたコロッケを受け取って、口に運ぶ。
揚げたてのそれを齧るとさくっと音がして、追って肉汁が溢れ出す。
うお。






「お、ホンマや」
「だろー?でも40円なんだぜ」
「マジで?!安いやん!」
「岡田って変なところで大阪人出るよなー」
「ものは安いに越したことあらへん」
「今度一緒に買い物行こうぜ。そんで八百屋のおっちゃんに向かって値切ってみて」
「えー・・・あのオッサン怖いからいややー」
「じゃあ商店街のオバちゃんが店連ねてるところでいいからさー」
「・・・オバちゃんも、なぁ」
「岡田なら大丈夫だって!ニコッとすればイチコロだよ」
「そんないい男ちゃうもん」
「長野くん、岡田っていい男だよねぇ?」
「そうだね。男の俺から見ても格好いいよ」
「ほらー!」







俺が褒められたのに、まるで自分が褒められたみたいに喜ぶ。
満面の笑み。
それを見て、長野くんもふわりと笑った。
どこかホッとしたような笑顔。
この人を見ていると、笑顔にはたくさんの種類があるんだなと思うのだ。
喜怒哀楽を素直に表現するいのっちと違って、長野くんは笑顔で喜怒哀楽を表している感じ。
精神科医だから、いつでも笑ってなきゃいけないんだろうか。
それはそれで辛い、な。







「・・・長野、さん」
「よっちゃんと同じでいいよ、岡田」
「じゃあ、長野くん」
「なに?」
「・・・そんな風に笑うの、辛くないですか・・・?」







俺の言葉に、長野くんの目が丸くなる。
言ってから気づいた。
もし彼の笑顔が自然なものだったら、失礼な問いだ。







「す、すいません。何か俺、凄く失礼なことを」
「・・・いいんだ。ちょっとビックリしただけだよ」








昔同じことを言われた、と苦笑いされる。
俺みたいに失礼な人がいたんだろうか。
だけど、長野くんはほんの少しだけ嬉しそうだった。
懐かしむような目。
その横でコロッケを食べてるいのっち。
げふ、と咽たから、背中をぽんぽん叩いてお茶を飲むよう促した。
そこでふと、気づく。









長野くんの中には、過去が生きてる。
俺の中にも、過去が居る。
けど。
いのっちの中の過去は、殆ど無い。
自分から話すことは全部、長野くん絡みで。
彼以外との思い出は、口にしない。
例えば、この前作ってくれた美味しいナポリタンの作り方だ。
いのっちは知らない、と即答したそれ。
普通、自分が自信を持っているレシピの出所を忘れるだろうか?













まるで。
長野くんに会う前のいのっちの記憶が全部無くなってしまっているようで、悲しくなった。































「・・・岡田?」
















いのっちに呼ばれてふと我に返る。
心配そうに見つめてくるから、何でもあらへんよ、と笑って見せた。
俺が不安そうにしてたらいのっちまで不安になるみたいで。
気まずくなって彼の頭をわしわしと掻き混ぜたら、気持ちよさそうに目を細める。









・・・なぁ、いのっち。
自分の大事な記憶、どこ置いてきたん。





























































「「イーノーハーラー」」
「あ、剛ちゃんと健ちゃんだー!」








双子ちゃんの声に、いのっちは急に元気になって立ち上がり、家を飛び出していく。
まるで風のような素早さに、長野くんと俺は顔を見合わせて苦笑した。
ドアの向こうでは楽しそうな笑い声。
今日は公園で遊ぼうぜ、といのっちが仕切っている。
兄貴風を吹かすのが楽しくて仕方ないんだろう。






「いっつもああなの?」
「はい」
「よっちゃん、お兄ちゃんみたいだね」
「そうなんです。・・・その分、家では前より甘えるようになっちゃったんですけど」
「そうなんだ」
「はい・・・あの」
「ん?」
「これって、良いことなんでしょうか?」






思い返せば、長野くんに出会って。
いのっちには隠された過去があることを話されてからというものの。
無意識的に俺は、いのっちの様子を気にかけていた。
時折、心配になるのだ。
自分が、今の環境が、いのっちにとって悪影響になりはしないかと。
俺は出来た人間じゃないし、もしかしたら知らないうちにいのっちの気に障ることを言ってしまうかもしれない。
彼の過去を知らない分、どうすることも出来なくて、歯痒かったのは確かだ。
俺の問いに長野くんはふわりと笑った。
お母さんのような、あったかい笑顔。







「岡田は、優しい子だね」
「・・・へ?」
「いつもよっちゃんのことを一番に考えてくれてる。今も、この前も」
「・・・そんな」
「だから、思ったんだ」







井ノ原が出会ったのが君でよかった。
前に言われた言葉をもう一度、長野くんは口にした。
口にして、お茶を手に取りごくりと一口飲み込む。
長野くんはふぅ、と一息ついてから、俺の方に目を戻した。
















「今日来たのは、よっ「ギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」








真剣な表情で話し始めた長野くんの言葉は、隣からの悲鳴で掻き消される。
え、ええ?!
隣って確か。
坂本さんの顔を思い出す前に、本人が必死の形相でこっちに駆けてきた。
目が血走って涙目になっている。
物凄いスピードで俺の後ろを陣取り、ぐいぐいと背中を押してきた。
えええええ。







「な、何があったんですか?!泥棒?それとも強盗??」
「違う違う違う黒光りのゴのつくアレが出たんだよ俺の部屋から何でだ一日一回きちんと掃除して綺麗にして生ゴミも袋3重にして縛って捨ててるのに何で出るんだーーー!!!」
「ゴって・・・あぁ、ゴキブ」
「あああぁ言うなその名前を聞いただけで鳥肌が立つっていうかいいから早く退治しろーー!!」
「何で俺がそんなことせなあかんのですか」
「うううー・・・よーし、今月の家賃30%カットだったらどうだーー?!」
「・・・もう一押し」
「足元見やがってこの野郎分かったこの際50%オフにしてやるどうだこれでやる気出ただろっていうか出せそんでぶっ潰せ!!!」
「よっしゃー!」








丸めた雑誌を片手に意気揚々と家を出ようとした俺の背中辺りで。
ふと、違和感。
くるりと振り向けば、二人が見詰め合っていた。
ええー?!












「・・・坂本くん?」
「え、お前もしかして長野?」










・・・どうやら知り合いらしい雰囲気。
せ、世界は狭いなぁ。
さっきまでの必死の形相はどこへやら、坂本さんはにこにこして話し出す。
長野くんも、って、あれ・・・?
何だか普段着のような笑顔だ。
いのっちの前でも、俺の前でも一度もしなかった表情。
素、と言えば一番しっくりくるだろうそれに、俺は驚いた。
この人、こういう顔も出来るんや。








「うん。何だ、こんなところに住んでたんだ」
「おう。っていうかここ、俺のアパート」
「何そんな財力いつ持っちゃったの?」
「宝くじと兄貴の遺産全部はたいて買った」
「・・・既に年金生活?」
「んなわけあるか!って、ああーすっげぇ久しぶりで話したいこと溜まってんだけど!」
「俺も。坂本くん携帯の連絡先も繋がらないから死んだのかと思ってた」
「おい人を勝手に殺すな」








わいわいと盛り上がっている二人。
・・・えーと。
そこ、一応俺ん家なんですけど、ね。
なんて、邪魔をする勇気も無く。
とりあえず俺は坂本さんからの任務を遂行することに専念しようと決意した。
今月の家賃が半分になったら、いのっちにコロッケを買ってあげよう。
そんなことを思いながら、俺は丸めた雑誌を片手に坂本さんの住む部屋に足を進めるのだった。







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2007.10.28