○月○日
いのっちがウチにやってきて丁度10日目。
何にもない休日。
ぽろぽろ、と。
小さく聞こえてくるギターの音に俺は目を覚ました。
眩しい光に目を細めつつ、枕元にある目覚まし時計を見る。
9時35分。
普段ならとっくに起き出して外に出ている時間。
でも、今日は休むことにした。
俺は行くつもりだったんだけど、いのっちが寂しいを連呼するから。
一日くらいならええけど、と妥協して今日がある。
いつもは朝から憂鬱な気分で起き上がるけど、今日は何もないから朝がとっても気持ちいい。
優しげなギターの音に乗って、あったかい声が響き。
それと一緒に、何か美味しそうな匂いが俺の鼻をくすぐった。
なんやろ。
気になって起き上がり、居間に向かった。
「あ、岡田おはよう」
「んー」
夢中になってギターを弾いていたいのっちは、俺に気づくと明るく挨拶。
俺はそれに唸って答えただけだったのに、いのっちは勝手に満足したらしい。
ご飯があるのよ、とにっこにこしながらテーブルを指差した。
そこにはチーズを貼り付けて焼いたパンと、ウインナー付きの目玉焼きが鎮座していた。
成る程、さっきの匂いはこれだったか。
腰掛けてパンを齧っていると、傍にかたんと牛乳が置かれ。
置いた本人を見たらあはっと笑って、俺の向かい側に腰掛けてきた。
「・・・・・・いのっち」
「なに?」
「料理、出来たんやな」
「そうだなー。一応は出来るよ」
「ふーん」
「美味しい?美味しい??」
「うん」
料理は出来るのに、鍋の買い物は出来ないってどういうことや。
・・・と、こっそり思いながらウインナーを箸で突付く。
あ、ちゃんとタコさんになっとる。
何か、可愛いな。
「あ、笑った、岡田」
知らず知らずのうちに俺は笑っていたらしい。
頬杖をついたいのっちの嬉しそうな言葉で気づき、恥ずかしくなった。
「・・・んなもんいちいち指摘すんな」
「だって嬉しいんだもん」
「こっちは恥ずかしいんや」
「そう?いいじゃーん」
にこにこしながらそう言うから、反論する気も無くなる。
どうやら止める気は無さそうだし。
俺はため息を一つついて、食事を再開した。
外に出る時はいつもパンとコーヒーだけだから、こういうちゃんとした朝ご飯は久しぶりで。
久々に朝ご飯を美味しいな、と思った。
卵の黄身を割ると、半熟の中身がとろりと溢れてくる。
絶妙やん、いのっち。
それを千切ったパンで掬い、口に放り込んでから牛乳を流し込もうとして。
いのっちと目が合った。
「・・・何?」
「岡田ってさぁ、何やっても格好いいよなー」
「・・・・・・へ」
「起き抜けも、飯食ってる時も、何か決まってるっつーか。うん、格好いい」
そう言ってへらり、と笑うもんだから、ちょっと照れる。
男から格好いいって言われてもどうかとは思うけど、いのっちの言い方は棘が無くて、素直だから。
俺はちょっと考えて、悪戯してやろうとにっこりと営業スマイルを浮かべ。
「ありがとう、いのっち」
と言ってやった。
そしたら。
いのっちはぽふっと赤くなって。
ひとしきりオロオロしてから、膝に手を当てて一言。
「結婚してv」
「・・・何言うとんのや」
「いや、何となく」
「いのっちっていっつも突拍子もないよな」
「考えて物言って無いからね」
「自分で言うな自分で」
ぺしり、と叩くと、またあはっと笑う。
構ってもらうのが嬉しいんかな。
さっきまでやってたギターもほったらかしだし。
じーっと見られて食べるっていうのは少し心労なんだけど。
結局、全部食べ終わってご馳走さまを言うまで、いのっちはずっと俺を見てにこにこ笑っていたのだった。
何だか、なぁ。
食べた後の食器を洗っていると、またいのっちがやってきた。
まるで飼い主好きのワンコやな。
好かれてるのはいいけど、ちょっとしつこいかも。
・・・なんて、言ったらきっと拗ねるんやろうな。
「なぁなぁ」
「何?」
「お昼ご飯、俺が作ってもいい?」
「・・・ええけど」
俺の了承を貰うと、いのっちはやったね、と言ってキッチンを出て行った。
・・・それだけ?
拍子抜けして、暫く行動出来なくなる俺。
そんな俺の耳にギターと歌声が響いてきた。
優しい旋律に乗って、いのっちの柔らかい声が楽しそうに歌う。
聞き覚えの無い曲。
・・・いのっちが作った歌だろうか。
洗い物を終えて、今度は俺からいのっちのところに行く。
床に座り込んでギターを弄っているいのっち。
俺を見るなり岡田だー、と演奏を止めようとしたから、続けて、と促した。
優しい歌。
可愛い恋愛の歌で。
思わず手を繋ぎたくなるような気持ちになる、歌。
メロディが分かりやすいから、二番に行く頃には俺も鼻歌で参加してた。
突然歌いだしたから驚いたんだろうけど、いのっちはすぐにぷわっと笑い出す。
嬉しくて仕方ないって感じ。
時折ハモったり、分かる部分を恐る恐る歌詞付きで歌う。
いのっちは歌が上手いから、綺麗にハモる。
そういえばこうやって歌ったの、久しぶりかも。
隣に響くから迷惑だと思って。
せっかく持ってきたギターも埃を被ってた。
よかったなぁ、いのっちに弄って貰て。
「これ、いのっちの曲?」
「そうだよ」
「ええ曲やんなぁ」
「あは、そうかなぁ」
「うん。すっごい好き」
素直にそう伝えると。
いのっちはまたぽふっと顔を赤くして。
オロオロして、一言。
「結婚してv」
「・・・その考え無しにもの言う性格、直した方がええで」
「やっぱり?」
「おん。褒めたのに全部台無しや」
「そっかー」
あはあはと笑い出すいのっちに、俺も笑う。
日向みたいな笑顔。
一緒にいるとどこかホッとする。
何もない休日。
一人だった時は寂しさとか虚しさなんて感じなかったけど。
いのっちが来てから、そういうものを少しずつ感じるようになってきた。
これは進歩、なのだろうか。
それとも。
昼食は宣言どおり、いのっちが作ってくれたナポリタン。
これだけは大の得意らしく、絶対美味いから!と自信満々だった。
実際、すっごく美味しかったし。
どこで覚えたん?と尋ねたら、忘れたーといのっちは笑った。
普通覚えてると思うけどな、こういうのって。
ちゅるちゅると音を立てて食べるいのっちを見ながらそんなことを思えば。
こっちを見ていのっちが一言。
「やっぱ岡田は何やっても決まるなぁ」
そんでもってウットリと頬杖をつくもんだから、困った。
いのっちが女やったらよかったのに。
・・・なんて、思ってる俺も困ったもんだ。
どれだけ寂しい男やねん。
「岡田格好いいー!」
「あーはいはい。ええから口の周り拭けや」
「え、ついてる?」
「おん」
子どもみたいないのっちにティッシュの箱を手渡し、俺は食事を再開する。
またもじぃっと見つめられるから、見んな!と一喝して。
そしたら、ちぇ、と本当に詰まらなさそうにいのっちは口を尖らせ。
立ち上がって食べ終わった皿をキッチンに運び、洗い出した。
しょぼん、と効果音が聞こえてきそうな背中。
ま、まるで俺が悪いみたいやん。
でも俺は別に悪いこと言ったわけじゃないし。
皿洗いをしているいのっちを無視して食事を続けていたら、ぷわ、と何かが飛んできた。
真ん丸なシャボン玉。
ひとつだけじゃなく、いくつも。
嫌な予感がして振り向けば、いのっちがとてつもなく楽しそうな表情でそれを作っていた。
ちょ、お兄さん。
「見て見て岡田ーすげぇだろー!」
「何しとんねんいのっちー!」
「何ってシャボン玉だろー。あは、ちょっとこれアイツらにも見せに行こ」
手に洗剤液をつけたいのっちはそう言うと、どたどたと玄関に向けて駆けていく。
ぱたぱたと彼の手からは水滴が落ちている。
いのっちはそのままドアを開けて出て行ってしまった。
あのね、はしゃぐのはいいんだけど。
床とか家具とかにシャボン玉がついてヌルヌルになるんですよ。
ため息をついてそれらを布巾で拭いていたら、隣から何やら怒鳴り声。
・・・あれはもしや坂本さんの声じゃ。
暫くしてガチャッとドアの開く音。
そこには、悲しそうな表情のいのっちが居た。
手は何故かキレイになっていて、それで後頭部を痛そうに擦っている。
「岡田ー!アイツら居なかったー」
「幼稚園行っとんのやろ」
「そんでもってまーくんに家汚すなってぶん殴られて手ぇ拭かれちったー」
「当たり前や」
そう言ってのければ、つん、と口を尖らせる。
そんなお馬鹿ないのっちの鼻の頭には小さなシャボン玉がついていて。
何だかピエロみたいで可愛くなって、思わず笑ってしまった。
当の本人は何故笑われているのか分からず、訝しげな表情を浮かべる。
それがまた面白くて、俺のツボに入った。
「あっはっはっは、いのっち可愛え〜」
「んもー何で笑ってんだよ岡田ー」
「存在が癒されるわー阿呆で」
「・・・褒められてるのか貶されてるのか分かんねぇ」
ぷぅっと膨れていたいのっちだったけど。
俺があまりにも笑い続けるから、何かのスイッチが入ったみたいに笑い出して。
気づけば洗剤の泡だらけの部屋で、二人揃って笑っていた。
阿呆みたい。
でも、悪くない、かな。
うん。
どっちかと言えば楽しい、かも。
ご飯も終わり、シャボン玉騒動も終了。
またポロポロとギターを弾き出したいのっちの音を聞きながら、俺は机で原稿のネタ出しをする。
主人公はいのっちのような天真爛漫な男がいい。
モデルになってもらってるんだから、有効利用しないと。
って、本人はすっかりそのことを忘れているようだ。
実は俺も忘れてたりして。
いのっち、モデルって感じしないからなぁ。
「岡田ー」
遠くからいのっちに呼ばれた。
ギターの音は止まない。
心地よいギターの音色に耳を澄ませながら、んーと唸ってみせれば。
「剛と健が帰ってきたらシャボン玉していいー?」
「・・・外でならええよ」
「じゃあ洗剤使っていいー?」
「水で溶いて使うんやで、勿体無いから」
「・・・そういうの分かんねぇから任せるっ」
「へ?ちょっ、いのっち!」
勝手に任命され、抗議の声を上げるも、それは歌声でかき消された。
俺一応仕事中なんやけどなぁ、なんてぼやきながら。
でも心のどこかでは少しウキウキしながら。
俺は立ち上がり、キッチンに行って、シャボン玉の液を作るのだ。
まるで子どもの頃に戻った気分。
コップにシャボン玉液を作ってからそういえば、と押入れを開けて、ダンボールを取り出す。
実家から出てくる時に、面倒くさいから色んなものを詰め込んだダンボール。
確か中にそういうものが入っていたはず、と座り込んで中身を漁れば。
「・・・ビンゴ」
俺の手には古ぼけたシャボン玉セット。
こんなもん使うかよ、といつか捨てようと思っていたもの。
中に入っている洗剤は使えなくても、この吹き出す用の棒は使えそう。
それに、しても。
「なんや、色々入れてきたなぁ俺も」
小さい頃から、本を読むのが好きで。
親が買って来たおもちゃには見向きもしなかった。
他の人が遊んでいても、はたまた誘われても。
ただただ俺は、一心不乱に本を読んでいたのだ。
早く続きが読みたくて仕方なかった。
人と遊んでいても常に、本の続きばかり気になって気は漫ろ。
いつしか俺と遊ぶ人は居なくなっていた。
だから、入っているおもちゃは殆どが未開封。
親もいつしか俺におもちゃを買うのを止め、本を与えた。
いつか、寂しくは無いの?と尋ねられた時。
俺は迷いも無くこう答えた。
『本があればええ。俺は本があれば一人でどこへでも行けるんや』と。
今も。
俺はそう言い切れるんだろうか。
本があれば、他には何も要らないなんて。
「おー!何それ何それシャボン玉作るやつじゃん!」
「・・・いのっち」
背中からの声に振り向く。
いつの間にかギターの音は止んでいた。
それに気づかないほど俺は自分の世界に滑り込んでいたらしい。
いのっちはにょきっと覗き込み、ダンボールの中を見てぷわっと満面の笑顔になる。
「他にも色々あんなぁ。うわ、これ超懐かしい!俺も長野くんとこれでよく遊んだ!」
「そっか」
楽しそうに言うと、いのっちはダンボールの中身を取り出していちいち思い出を語りだした。
その全てに「長野くん」が出てくることに首を傾げた。
長野くんって誰やろ。
聞こうと思ったけど何か聞きそびれた。
まぁ、でも。
いのっちならオモチャを与えたらボロッボロになるまで使ってそう。
泥にまみれて遊んで、元気よくただいまって言って。
・・・俺も。
俺ももしそうしていたら、今みたいな悩みを抱えないで済んだのかもしれない。
ぎゅうっとシャボン玉セットを抱きしめる。
「・・・岡田?」
不思議そうないのっちの声。
おん、俺も不思議や。
なんで、こんなに悲しいんだろう。
今まで悩んだり後悔したりしたことなんて、無かったのに。
不安だった。
人の輪の中に入ることで、周りの人と同じようにならなければいけない。
少しでも違うことを言えば排除される。
白い目で見られることには耐え切れない。
だから、いっそのこと誰にも目を向けられないように。
向けられたとしても、それに自分が気づかないように。
本の中に逃げることで、人と関わるのを避けた。
本当は、俺も。
「岡田ぁ?」
変わらず不思議そうないのっちの声。
そして、俺はぎゅうっと抱きしめられた。
洗い立ての服の匂いに、柄にも無く泣き出しそうになる。
大きな手は、俺の頭を軽く二、三度叩く。
まるで、子どもを宥めるように。
「遊ぶのに年なんて関係無いんだよ」
「・・・・・・」
「遊びたかったら遊ぶ。自分の時間が欲しいならそうする。それでいいじゃん」
「・・・おん」
「俺見てみー?この年になっても遊び盛り!・・・って、見習っちゃダメだけどねー」
「・・・・・・ぷっ」
思わず吹き出してしまった俺に、いのっちはホッとした表情を見せる。
ふにゃんとした笑顔。
和み系の顔。
言ってないのに、俺がどうして落ち込んでいたのかを汲み取ってくれた。
いのっちパワーや。
「「イノハラー!」」
外から元気な双子ちゃんの声がして。
それに反応していのっちがはーい!と元気な声を上げる。
そして。
「さて、行こうか准ちゃん」
格好つけてそう言うと、いのっちは立ち上がり、俺の腕を引っ張った。
早く早く、と。
まるで散歩に行きたい大型犬のように。
俺はさっき作ったばかりのシャボン玉液入りのコップを持ち、落ち着けや、と声をかけた。
そんなものでいのっちが落ち着くはずも無く。
持ち物は全部俺に任せ、嵐のように吹っ飛んでいった。
「剛ちゃんっ健ちゃんっシャボン玉しよー!!」
「イノハラげんきだなー」
「シャボンだますきー!」
「俺は健ちゃんと剛ちゃんが好きー!」
俺が外に出ると、いのっちが双子ちゃんに引っ付かれて嬉しそうにしていた。
それだけで何だか楽しくなる。
「おいお前ら!カバン部屋に仕舞ってから行けー!」
がちゃり、と隣の部屋のドアが開いて、坂本さんが険しい顔で現れた。
どうやら双子ちゃんがカバンを玄関に置きっ放しにしたらしい。
それを見て、いのっちがわざとらしく耳を塞いだ。
「まーくんが怒ったー!」
「まーくん言うな井ノ原!!」
怒りっ放しの坂本さんに、いのっちに引っ付いていた双子がわらわらと集まる。
集まって、坂本さんの服を引っ張った。
「まーくんもやろー」
「やろー」
ね?と同時に首を横に傾げる双子ちゃん。
しかめっ面の坂本さんは、それを見て軽く溜め息をついた。
「・・・終わったらちゃんと仕舞うんだぞ?」
「「うんっ!」」
「よしっ」
ようやく笑顔になった坂本さんに、三人はぷわっと笑顔になる。
もちろん、俺も。
全員が笑顔になったところで、シャボン玉が始まり。
双子ちゃんといのっちがぷくぷくとシャボン玉の数を増やしていくのを、俺と坂本さんとで並んで見ていた。
父兄参観みたいな図やなぁ。
普通はいのっちもこっち側に居るはずなんだけど。
彼は双子ちゃんの傍でしゃがみ込んで、同じ目線で遊びを実行中である。
「・・・でかい子どもだな」
坂本さんも同じことを考えていたらしい。
腕を組み苦笑気味にそう言うのに、俺も似た表情で頷いて見せた。
「岡田もやろうよー」
「はいはい」
「まーくんもー!」
「はやくー!」
「分かった分かった」
誘われて一緒にしゃがみ込み、手渡されたシャボン玉用のそれをぷぅっと吹いてみる。
ぽこぽこと出来上がるシャボン玉。
小さな子が楽しむ遊びだと思っていたそれ。
やってみると、結構面白い。
そろそろと空気を入れてシャボン玉を大きくすると、双子ちゃんが目を丸くした。
「すげー」
「オカダすげー」
「よーし、俺もでかいの作る!岡田貸してー!」
「はいよ」
返したそれにシャボン玉液をつけ、いのっちが俺の真似をしてぷぅっと膨らます。
けれど、欲張って膨らませすぎた所為か、ぱっちんと割れてしまった。
んぷぎゅ、と変な声を上げるいのっち。
「あーあ」
「イノハラへたくそー」
言いながら、双子ちゃんはきゃっきゃと笑い出し。
坂本さんもいのっちの顔を見て笑い。
俺も、一緒に笑顔になって。
しょぼくれていたいのっちも、ふにゃんと笑顔になる。
人と関わるのがこんなに楽しかったなんて、知らなかった。
いのっちを介して分かることがたくさんあって。
何にもない休日が、こんなにも楽しくなる。
――――――ありがとな、いのっち。
心の中でそう、呟いた。
NEXT
2007.9.26