○月○日。
今日、帰りがけに変なもん拾った。
太陽がまだ沈む気配を見せない頃。
俺は人通りが少ない道を敢えて選ぶようにして岐路を急いでいた。
手には昨日完成させた原稿入りの茶封筒。
家を出た時とさして変わらない状態のそれ(変わるとすれば開封済みか否かというところだろうか)を半ば抱きしめるようにしながら。
『君の文章は知的だが面白味に欠ける。情景描写は上手いが人物同士の会話がどうもぎこちないんだよ』
今日回った3社のうち、最後の会社で言われた言葉が頭を駆ける。
人物同士の会話。
痛いところを突かれたな、と思った。
人付き合いの苦手な自分にとって、会話を書くということは意外に難しい。
他の人が書いた本を読み、そこからフィーリングで考えていくしか方法がなかったのだ。
デビューを夢見て大阪から出てきた日から今日で丁度一ヶ月。
東京なら誰か拾ってくれる人が居るだろうと、高を括っていた。
でも。
「実際はそんな上手くいくわけない、よなぁ」
はふ、とため息をついてそう呟けば、虚しさがじわじわと押し寄せてくる。
俺だって人間だ。
ロボットじゃない。
人付き合いは苦手でも、失敗すると悔しいに決まってる。
ぎゅう、と握り拳を作って力を込めた。
今ならたーっぷり俺を落とした会社への文句、吐けるわ。
・・・・・・相手が居れば、の話だけど。
自分で思って自己嫌悪。
ああ、どうして俺は人と交わるのがこうも下手くそなんだろう。
・・・いやいや、これはもう考えたことじゃないか。
どうしようもないから、人と関わりが少ない物書きの仕事を選んだのに。
結局、人とのコミュニケーションは必要だっていうことか。
はぁ。
落ち込みながらも足はしっかりと家に向かっていて。
遠くに俺の住んでいるアパートが見えてきた。
ぼろっぼろなんだけど、家賃が安いからここに決めたのだ。
管理人さんも意外と優しい人だし。
カンカンと音を立てて階段を上っていく。
俺の部屋は234号室。
二階の一番階段寄りの部屋だ。
階段は人の部屋の前を通ることなく続いているから、誰かに遭遇する確率が低い。
俺にはうってつけの場所だと思っている。
ポケットから鍵を取り出しながらドアに近づいた。
ぐに
ん?
何か地面の感触がおかしい。
俺、何か踏んだ・・・?
そう思って下を見れば、俺の足元に見覚えのある知らないものが。
っていうか、人、が。
「ぅっえええええぇえええぇぇ?!!!」
ビックリしすぎて飛び上がり思わず叫ぶ。
人て!
ガムとかゴミとかう○ことかだったら分かるけど人間て!
しかもうつ伏せに倒れてるし!
俺が踏んだのはどうやら彼の手だったらしい。
見事に靴跡がついている。
ど、どうしよ?!
えと、と、とと、とりあえず。
「・・・・・・あのー、大丈夫、ですかぁ?」
思っていたよりも間抜けな声色で俺はうつ伏せの彼にそう問いかけてみた。
・・・が、返事が無い。
うつ伏せになっていた身体をどうにか仰向けにして、再度尋ねるも同じ。
下ろされた目蓋。
ちょっと睫毛長い。
太い眉に、半開きの口。
着こなされたTシャツに、ダメージジーンズ。
耳を澄ませば微かに寝息が聞こえてきて、ホッと胸を撫で下ろした。
人んちの前で死なれたりしたら暫くトラウマになるからな。
彼の頬をぺちぺちと叩き、起きろーと言ってみる。
そうしたら、ぱかりと目が開いた。
・・・・・・開い、た?
そう形容するのを躊躇うほど、彼の目は細く出来ていた。
彼はまるで小さな子どものようにキョトンとした表情を浮かべ、むくりと起き上がると周りをキョロキョロと見渡す。
一通り目を向けた後、その視線は俺に行き着いて。
マジマジと上から下までじっくりと見られ、居心地悪く思っていれば。
細目の男は笑顔でゆったりと口を開いて。
「どうも、流離いの旅人です」
「嘘やろ」
男の言葉に、俺は迷わず即答で否定のツッコミを返した。
流離いの旅人(自称)の彼は井ノ原快彦と名乗った。
珍しい名前だから偽名かと思ったら本名だという。
立ち上がった彼を見ると、背はすらりと高く、スタイルも抜群だった。
条件的には格好いいのだろうけど、和み系の顔が良い意味で全てを台無しにしている。
とてもお腹が空いていることを訴えられたので、困った挙句に家に上げてやることにした。
本人は気づいてないけど、俺さっきこの人踏んじゃったし。
話してみるとかなり気さくな性格で、笑顔が素朴でほんわりと和む。
そんな人に悪人は居ないだろう、なんて思ってしまった。
それに。
いのっち(最初井ノ原さんと言ったらいのっちって呼んで、と言われたからこれに統一しようと思う)はどこか他の人と違って。
上手くは言えないのだけど、喋りやすかった。
俺の間を妨害することなく楽しむように会話のリードをしてくれる。
喋るように急かすわけでもなく、喋らせないように畳み掛けるのでもなく。
丁度いいタイミングで俺に振りながら、会話を作っていく。
口数はいつもと変わらないんだけど、何だか楽しかった。
お茶があったから適当にそれをいれて。
向き合うように座り、俺は胡坐、いのっちは体育座りで落ち着く。
礼儀程度に狭くてボロなアパートですが、と言えば俺の住んでるところよりマシだよ、と返される。
「ここより悪いって、一体どこに住んどるん?」
「あは、流離ってるから家が無いの」
「成る程・・・っていのっちそれホームレスやん」
「そうとも言うね」
あはあはとホームレスにしては楽しそうにいのっちは笑った。
どんな反応やねん。
ホームレスって金に困ってたり自らの人生に失望したり自分の居場所に迷ったりとまぁ事情はそれぞれだろうけど、そういうもんちゃうのかな。
でもいのっちは至って楽しそうで。
生きてるのが楽しくて仕方ないって感じに笑う。
「・・・いいなぁ、いのっちは」
ぽろりとこぼれた本音に、いのっちは首を傾げて俺を見つめた。
「何が?」
「いや、心底楽しそうやから」
「あはーそう?まぁ楽しいんだけどね、実際。空は青いし、緑は生き生きしてるし、岡田に会えたし」
さらりと言ってのけたいのっちの台詞の中に自分の名前が入っていてビックリする。
「・・・俺に会えたのも嬉しいの?」
「そうよー・・・って岡田は俺と会えて嬉しくないわけ?」
それはちょっと悲しいぞー、といのっちは本当に悲しそうな表情になったから、ぶんぶんと首を横に振ってみる。
嬉しいか嬉しくないかって言ったら、まぁ嬉しいし。
いのっちが来てから会話が楽しくなった。
あんだけ人と関わるのが面倒くさいっていうか、苦手だった俺が。
彼と出会ってまだ2時間くらいしか経ってないのに、そう思うなんて凄いことだと思う。
加えて。
いのっちがぱぁっと笑い出すと心が和む。
さっきまで荒み切っていた気持ちがゆっくりと薄れていくような、そんな笑顔。
今なら俺を落とした会社にありがとうって言える気がする。
俺の原稿をわざわざ見てくれてありがとう、って。
机の上に置いた茶封筒の中身を取り出す。
時間をかけて書いた、文章。
大事な大事な、俺の処女作だ。
悔しさに任せて捨ててしまおうと思ってたけど、とっておくことにした。
「なにそれ」
興味津々に覗き込んでくるいのっち。
「俺、小説家になりたくて、東京出てきたんよ」
「へぇ、凄ぇなー」
俺の手から小説の原稿を奪い、パラパラと捲っている。
それを見ながら、俺はひとつため息をついた。
「でもそれ、今日出版社行って読んでもらって、返された」
「なんで?」
「文章の中の人物が交わす会話がぎこちないって。俺、人と話すの苦手やねん。だからだと、思う」
言われたことを思い出して少ししょんぼりする。
直すのが難しい欠点。
人と話せばいいのだけれど、なかなか急に上手くなるものでもないし。
すると、いのっちはキョトンとして俺を見た。
「俺と話してんじゃん」
「いのっちは・・・何ていうか、話しやすい」
「そうかー?俺も他の人も結構同じだと思うけど」
がしがし、と頭を掻き、こてんと首を傾げる。
「・・・いのっちは人と話すの大好きそうやもんなぁ」
「うん、大好き!」
にへ、と笑って言いながら頷く。
その笑顔が、ふぃっと急に曇った。
「・・・でも、同じくらい嫌い」
「へ?」
「だって、人って思ってることと言ってること、別々なんだもん」
「・・・そう、やね」
そう。
それが苦手で。
人の言葉だけでは人の奥底が見えてこないから、会話をするのがどうも苦手なのだ。
けれど、驚いた。
会話の大好きないのっちが俺と同じようなことを思ってるなんて、思わなかったから。
急にしょんぼりとしてしまったいのっちの頭をよしよしと撫でれば。
曇っていた表情が、ぱぁっと明るくなる。
「だけどやっぱ、人と話すって楽しい。岡田のことも分かったし」
「そっか」
「うん!」
・・・うん。
いのっちには人と話すのを嫌いになって欲しくないな。
お日様のような笑顔が一番似合う、子どものような、大人。
あ、そうだ。
「いのっち」
「何?」
「あのな、俺の小説のモデルになってくれへん?」
「・・・へぁ?」
変な声を上げ、呆然として俺を見つめるいのっち。
口開きっぱなしなんだけど。
そりゃ、そうか。
突然だし。
「住むとこ、無いんやろ?」
「う、うん」
「食べ物も、欲しいんやろ?」
「そーだねぇ」
「ならその二つ提供したるから、暫く俺んち居て」
「な、何を急に岡田さん!」
「呼び捨てでええよ」
「いや、お、岡田ぁ!急に言われてもビックリなんだけどー!」
「やーよかった。早速書き始めようっと」
「え?!もう俺承諾すること決定?!」
「駄目?」
「いや、駄目じゃ、ねぇけど」
っていうか助かるって言えば助かるんだけど、とブツクサ言ってるいのっちを置いて。
俺は机の上の書き損じの原稿用紙を取り出して、早速思い浮かんだことをその裏に書き始める。
しばらくいのっちはブツブツ言ってたけど、早々に諦めたのか、部屋の隅にあるギターを手にとって爪弾き始めた。
物を書いている俺を気遣ってか、インストの柔らかい音色の曲で。
心の中でいのっちの心遣いに感謝しながら、俺は鉛筆を夢中で動かす。
かくして。
俺といのっちの不思議な生活が幕を開けたのだった。
NEXT
2007.8.26