兄ぃが久しぶりに帰ってきて。
長瀬と茂くんも交えて夕食という名のどんちゃん騒ぎ。
食うだけ食ってそのまま帰った薄情なお隣さんの背中を文句付きで見送りつつ。
酒飲んで気持ちよさそうにテーブルに突っ伏してる兄ぃに毛布をかけて。
散らかった食器だの食いカスだのをキレイに片付けて。
元通りピカピカになった部屋に満足する。
一応借りてる側なわけだし、そこんとこしっかりしないとね。
時計を見れば既に日付は変わっていた。
明日も学校だ。
行っても行かなくてもさして変わりはしないけど。
ソファに座って寝てる兄ぃを見る。
今はこの人の収入でなんとか生活をやり繰りしてる(兄ぃが働く前は坂本くんに出してもらってた)けど。
俺、兄ぃが何の仕事してるとか、どこで働いてるとか、そういうこと全く知らない。
弟失格かも。
でもでも、兄ぃだって聞いたって教えてくれないし。
俺だけが悪いわけじゃないし。
・・・・・・多分。
そんなことを考えながら、ふと思う。
何で兄ぃは家を拠点にして働かないのだろう、と。
まぁ今は不況真っ盛りだし、仕事場がないっていうのはきちんとした理由になるけど。
それにしても2週間や3週間平気で空けるほど遠くに行かなくても。
寂しいわけじゃない。
だって俺もう高一なわけだし。
でも、でもさ。
住む場所あるんだから、そこに腰据えたっていいのに。
飯なら長瀬や茂くんの分とまとめて作ればいいから面倒じゃないし。
宿代だってウチならタダだし。
前にそう言ったら、兄ぃは言葉を濁して苦笑した。
何でもハッキリ言う彼にしては珍しく。
お前がどうしても居てくれってせがむなら、なんて言い出したからそんなことない!と突っぱねた俺。
それを見てけらけらと笑う兄ぃの顔が、どうしてか悲しそうに見えた。
・・・・・・もしかして俺、兄ぃに何かしちゃったのかな。
じぃっとでかい背中を見る。
小さい頃からあれを見て育ってきた。
男の背中は語るものだって誰かが言ってたけど。
如何せん、兄ぃの背中は俺に語りかけてきたためしがない。
「・・・・・・んぅ」
微かに唸って身動ぎする兄ぃ。
今起こしてベッドに寝せないともう起きないだろうから。
「兄ぃ、ここじゃなくてベッド行ってよ。風邪引くでしょ」
言ってゆさゆさすれば、とろんとした瞳が薄っすらと開いて、俺を見た。
「・・・・・・ぉお」
がしがしと頭を掻きながらゆったりとした動作でベッドに向かう。
その様子を見てたら、くるりと振り向かれた。
合わさる目線。
訝しげに光る兄ぃの瞳に首を傾げれば。
「・・・・・・見んな馬鹿」
と、兄ぃはそんな冷たい台詞を面倒くさそうに吐いて寝室のドアを閉めた。
え。
え・・・っと。
「お、俺、兄ぃが寝室にちゃんとたどり着くかどうか見てただけだよ!」
何を言ったらいいかわかんないから、ただそれだけを。
自分が思っていたよりかなり動揺した声で。
だけど、寝室から言葉は返ってこなくて、背筋が冷たくなる。
・・・もしかして、嫌われてる?
俺、兄ぃに嫌われてんの?
だから、あんまり帰って来ないの?
まさか。
考えすぎだ。
でも、合ってしまう辻褄に身体が震える。
兄ぃが俺のことを嫌ってて。
だけど責任があるから金を持って家に戻ってくる、とか。
仕事は離れた場所で。
少しでも俺から離れるために。
やだなぁ。
そんなのヤダよ、兄ぃ。
考えて怖くなって。
そしたら急に一緒の家にいるのが苦しくて。
早く家の外に出ようと玄関に走って、音を立ててドアを開けた。
そのまま走り出そうとした俺の目の前に見知ったものが映ったので足が止まる。
アパートの手すりに寄りかかる猫背気味の背中。
くゆる煙。
ふわりとそれは宙に溶けて。
暗闇の中、ぽつんと一つの赤い灯りが見える。
それを発している当事者は、ドアを開けた俺を見てあぁ松岡か、と微笑んだ。
なんで、いんの。
やべぇのに。
俺、今誰にも合わせる顔がねぇのに。
っつーか。
それでなくても泣きそうなのに。
この人の存在が俺の涙腺をもっと緩ませる。
いつも、笑ってくれるから。
何があっても、何をしてても。
『・・・どないしたん、その顔』
『喧嘩、した』
『随分と男前になったなぁ松岡。絆創膏貼ったるからおいでー』
『・・・・・・何で何も言わねぇの』
『ん?』
『先生方は皆、俺が全部悪いからって説教して、相手には何にも聞かないで家に帰して』
『・・・・・・ほうかぁ。偉いなぁ松岡』
『ど、どこがだよっ』
『お前はいっつも言い訳せんから。相手のこと先生に話さんかったんやろ?』
『・・・・・・説明すんの、面倒くせーし』
『ええ子ええ子』
『・・・・・・っガキ扱いすんなよっ!』
その存在はいつも、優しい。
「・・・しげる、くん」
喉を振り絞って必死に平静を装おうとするも、声は正直に震えて。
俺、ダメだ。
ここにいたら自分を保てなくなるから、ダメだ。
どうにかして誤魔化してここから逃げようと頭をフル回転させている俺に。
茂くんは表情をそのままに手招いてきた。
「・・・・・・何?」
「ええから。僕の横においで」
言われて戸惑いながらもひょこひょこと隣に行く。
うわ、この人酒臭ぇ。
風が気持ちええわぁと目を細める茂くんを見ながら、手すりに肘を置いた。
無言の空間。
騒がしい俺にとって、今はそれが心地よかった。
逃げる気持ちはどっかに失せて。
ぽす、ぽす、と何度も背中を叩く手があったかくて、優しくて、嬉しくて。
俺こうされんの意外と好きだったんだって、思ったら。
すとん、と。
我慢してたものが地面に落ちた。
「・・・茂、くん」
「ん?」
「兄ぃが、家に、いないのって、なんで、かなぁ?」
一気に言ったら泣き崩れそうだったから。
自分のペースで途切れ途切れに。
胸の中でぐるぐる回ってた疑問を吐いた。
喉が詰まったようになって、苦しい。
ぐす、と鼻が鳴る。
これじゃあ泣いてるも同然じゃん。
俺の馬鹿。
「・・・・・・あにぃ、おれのこと、き、らいに、なっちゃったの、かなぁ」
ダメだ。
そう自覚した時にはもう既に涙が零れていた。
拭っても拭っても、出てきて。
諦めて零れるままにしたら、小さく嗚咽が漏れる。
ふー、と煙を吐く音。
その後俺の背中に茂くんの手が優しく触れた。
ぽすぽす、と。
小さい子を宥めるかのようなそれ。
「・・・・・・っこどもじゃ、ねぇんだよ・・っ」
「僕から見れば十分子供や。おっちゃんココにおったるからすっきりするまで泣けばええ」
「・・・っくっさぁ・・・」
くさいけど。
くさいんだけど、妙に心に響く言葉に、俺は我慢を解いて泣いた。
そういや前にもこうやって思いっきり泣いたことがあった。
こんな風に誰かに優しくされながら。
おっきい手が俺の背中を撫でてた。
いつ、誰がそうしてくれたのは覚えてないけど。
大丈夫だと。
俺が居るから大丈夫だと。
力強く笑ってくれてたことだけ、覚えてる。
誰?
アンタは一体、誰?
いいだけ泣いて、ようやく落ち着いたところで。
「よぉ今まで泣くの我慢しとったなぁ。偉いなぁ松岡」
急に褒められて、その内容に目を見開く。
「・・・・・・っなんで、お前に、んなこと」
「わかるんや。お前らのことは前から知っとったから。さっき坂本ん家にお世話になっとったゆうたやろ」
「・・・・・・ぅう」
そういやそうだった。
坂本先生の家ってそんな離れてないし。
茂くんが見てたっておかしくない。
おかしくない、けど。
「・・・・・・ストーカー?」
「ち、ちゃうわ!松岡は特に有名やったもん!」
慌てて否定する茂くん。
有名と言われて悪い気はしない。
「なんて?」
「家事全般得意なスーパー幼稚園児て」
「まぁ、俺くらいになるとね!そんなの日常行為になっちゃうのよ!」
思いっきり泣いたからか、テンションが元に戻る。
んははは、と笑えば茂くんも笑った。
「その顔や」
「んー?」
「松岡はそうやってわろてればええ」
な、と言いながら煙草を咥え、煙を吐き出す。
何度となく繰り返されるあまりにも臭いその台詞と動作に。
不覚にも落とされてしまいそうになったのは、俺だけの秘密。
照れくさくて額に突っ込みを入れれば、大袈裟に痛がってくれた。
ああもう確かに。
小さいことでうだうだしてんのは俺らしくねぇやな。
そう思って、手すりをがしっと掴んで盛大に息を吸い込んだ。
「・・・・っっ兄ぃのバカヤローーーーっ!なんで、なんで帰ってこねーんだよーーー!!!」
「おー青春やな高校生」
「でも好きだーーーーーっ!!」
「うわーこっちまで照れてくるわぁ。なぁ山口」
「おう」
「ぅうぉわぁっ?!!!!」
変な声を上げて振り向くと。
茂くんの隣にさも今までずっといましたよ的な雰囲気を纏いながら佇む兄ぃが。
ビール片手に意地の悪い笑みを湛えて俺を見ていた。
顔面の温度が急上昇する。
「ななななな、なんでいんのよっ!!」
「水飲もうと思ったら話し声が聞こえて、ついふらっと」
「ついって!!っつーかどこから聞いてたの兄ぃ!」
「お前が泣き出した辺りからかな」
「ちょっ、それってほぼ全部じゃん!なんで茂くんも黙ってたんだよ?!」
「僕も気づかんかってん」
「どんだけ鈍いんだ気づいとけよお前はーーーーー!!」
すっぱーんと。
本日第一回目のツッコミを茂くんの額にかました。
「・・・さて、と。僕はそろそろ帰るかなぁ」
額を擦りながら茂くんは携帯灰皿で(俺が強制的に持たせた。アパートが汚れるから)煙草の火を消して手すりから身体を離す。
あ。
なんか言わなきゃ。
ありがとう、とかごめん、とか。
一生懸命彼に対して言い慣れていない言葉を口にしようと躍起になれば。
茂くんはにぃと口の端を上げて。
「後はお二人さんだけでどうぞ」
と言い残すと、ふらふら部屋に戻っていった。
どんだけ格好つけてんだよ。
ある意味寒いぜ茂くん。
ってかお礼。
・・・・・・今度でいいか。
二人っきりになって。
ちょっと気まずさを持て余していたら。
「・・・・・・松岡」
「なによ兄ぃ」
ぽつり、と名前を呼ばれたから拗ねたように返事をしてみれば。
「さっきの回答。俺が家に居ないのは単に実入りのいい仕事が離れたとこにあるから」
「・・・・・・うん」
「あと、」
言いかけて、ちょっと躊躇う。
頭をガシガシと掻いて、ぐしゃりとビールの缶を握りつぶした。
怖い、兄ぃ。
「なに?」
「俺はお前、好きだよ」
さらり、と。
葛藤していた割にはとてもあっさりと。
兄ぃはそう言って、眩しいくらいに笑った。
「これからはもっとたくさん帰ってくるな」
「・・・・・・うん」
「仕事の休みが取れたらちゃんと連絡するし」
「うん」
「それと」
「?」
「耳真っ赤、松岡」
「・・・・・・!ばっ、う、五月蝿ぇよいいだろあーもうそうだよ照れてんだよ悪ぃか兄ぃ!」
「んはははー」
「んもー酔ってんでしょー風邪引くから帰るよ!」
「へいへーい」
兄ぃの背中をぐいぐい押して。
俺はいつもの世話焼きな弟に戻る。
信じてればいいんでしょ。
嘘、つかないって言ってたもんね、兄ぃ。
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2007.3.3