願わくば。
あの子に幸せという名の羽を与えてください。
てんしのねがいごと
これで何度目だろうか。
お前なんて死んだ方がいい、と。
男は罵倒の言葉を容赦無く快彦に浴びせた。
彼のお母さんは亡くなり。
お父さんも、どこかに行ってしまった。
新しく父親と呼ぶのだと教えられた男は、彼のことを酷く嫌い。
何度も暴力を振るった後、少年を家から放り出した。
バタン、と大きな音を立ててドアが閉まる。
外は暗くとても寒くて、雪がふんわりと地面に向かって降りてくる。
彼の格好は外出するには酷く薄手だった。
ここに居てはいけないのだと思い、足を進めたけれど。
暫く何も食べていなかった彼が、寒い空気の中身体を自由に動かせるはずもなく。
家が見えなくなった辺りの電柱の下で、ぱたりと倒れてしまった。
身体が、動かない。
薄く降り積もった雪が、頬に当たる。
時折通り過ぎる車が身体に雪の風を吹きかけてきて、凄く寒かった。
同じくらい寂しくなって、我慢出来ずに涙がこぼれる。
「・・・ふぇ・・・っ」
おかあさんもおとうさんも、どうしていなくなったの?
よしは、ふたりのことがだいすきだったのに。
いっしょにすんでたおうちだって、だいすきだったのに。
いまはもう、かえりたくない。
だって、かえったらまたいたいことされるから。
・・・おなか、すいた。
おかあさんのつくった、おむらいす、たべたいなぁ。
快彦は小さい身体を丸く丸く縮こませた。
母親が作ったオムライスを思い浮かべようとして、けれど遠い昔の記憶だったため上手くはいかず。
おかあさん、と小さく呟くと、それきり動かなくなってしまった。
雪はゆっくり、彼の上に降り積もっていく。
それから10分後。
坂本が煙草を吸いながらその場所に通りかかった。
コートにマフラー、そして手袋の完全装備。
かなりの寒がりだということが伺える。
彼は買い物袋をぶら下げ、ふぅっと煙を吐き。
はた、と。
電柱の傍の地面が盛り上がっているのに気づいて、目をやった。
「・・・なんだ、ありゃ」
近寄って見て、それが小さな子どもだと分かると、坂本はがしゃりと買い物袋を取り落とし。
そして、丸くなっている少年にかかっている雪を払い、抱き上げた。
ひんやりと冷え切った身体。
顔も寒さで青褪めている。
服からはみ出した腕にはいくつもの痣があり、坂本は眉を顰めた。
「おいっ!生きてるか?!」
声をかけるも、少年からの返事は無く。
小さな手を取り、脈を測ると、辛うじて彼がまだ生きているのが分かった。
坂本は首に巻いていたマフラーを外し、少年に巻きつける。
それから、買い物袋を腕に通し、空いた手で彼をぎゅうっと抱きしめた。
熱を分け与える為、出来るだけ自分と触れ合うように。
吸っていた煙草を足でもみ消し、彼は急ぎ足で家路に向かった。
快彦が目を覚ました場所は、外よりも幾分も暖かいところだった。
小さなストーブが真っ赤になって働き、上に乗っているやかんが音を立てている。
家の中は辛うじてストーブによって暖められている状態で。
あまり良い暮らしをしているわけではなさそうな雰囲気を纏っている。
自分が眠っているのは柔らかいベッドで。
辺りを見渡すと、ソファの上に寝ている男を見つけた。
この人が自分を助けてくれたんだろうか、と快彦は思いながらじぃっと男の顔を見た。
途端。
坂本の目がぱちり、と開き、快彦を見るなりホッとした表情になる。
つかつかと近寄ってくる彼に怒られるかと思った快彦は頭を抱えて小さくなった。
「ごめんなさいっ!」
「え?な、何が?」
「・・・だって、よし、おうちでてきたから。つれもどしにきたんでしょ?」
悲しそうな声色で一生懸命にそう言う快彦を見て、坂本は彼の髪の毛を優しく撫でる。
快彦にとって、それは久し振りに貰った優しさで。
俯けていた顔を坂本の方に向け、彼の手から離れるまいとそれに擦り寄った。
大きな手はどこか、父親のものに似ていた。
「大丈夫。ヨシはここに居ていいんだよ」
「・・・ほんと?」
「おう。俺は嘘、つかない」
坂本の言葉に、快彦はホッとして、ゆったりと縮こませた身体を伸ばした。
小さな身体はほんのりと熱を持っていて、彼が発熱していることを知らせている。
「もう少し、寝とけ」
「ねても、いいの?」
「いいよ。起きたら飯にしような」
「・・・うん」
坂本の言葉に、快彦はふにゃん、と初めて笑って見せ。
布団の中に埋もれて、数秒もしないうちにまた眠ってしまった。
その様子を見つつ、坂本は彼の頭を撫で続ける。
先ほどの彼の言動と、擦り寄ってきた時の必死さがあまりにも悲しくて。
快彦を起こさないように優しく優しく、坂本はその行為を続けた。
快彦は夢を見た。
自分が暗い闇の中に立っていて。
少し離れたところに、白い翼を持った男の人が立っている。
彼はふわりと穏やかな笑みを浮かべて快彦を見た。
『だぁれ?』
『俺は天使。よっちゃんの願い事を叶えるためにやってきたんだ』
天使と名前を聞いて、快彦はずっと昔に母親に読んでもらった絵本を思い出した。
ふわりと靡く白い羽。
頭の上には輝く輪。
いつも変わらず優しい微笑みを浮かべている。
全てがその絵本通りで、快彦の顔がぱぁっと笑顔になった。
『てんしさん、おなまえなんていうの?』
『俺?俺はヒロシっていうんだよ』
『てんしのひっくんだね!』
名前を聞いて無邪気に微笑む快彦を見て、ヒロシは一層優しく微笑む。
その黒髪を撫で、しゃがみ込んで目線を合わせた。
『早速だけど、よっちゃんの願い事は何?』
『ねがいごと?』
『そう。願い事、三つだけ叶えてあげるよ』
『うーん』
快彦は腕を組んで考え込んだ。
小さい子には願い事、という言葉が難しすぎたのかと思い、ヒロシは言葉を変えて話すことにした。
『よっちゃんの好きなことや、欲しいもの、何でもいいから言ってみて?』
『すきなもの・・・たべたいものでもいいの?』
『うん、いいよ』
『じゃあ、オムライス!オムライスたべたい!』
『わかった』
頷くと、ヒロシは人差し指を立て、くるくると回して快彦を指した。
その指先からは光が溢れ、彼を包み込んでいく。
『これで目が覚めたらオムライス、食べられるからね』
天使の声をどこか遠くで聞きながら、快彦はゆったりと意識を手放した。
快彦が目を覚ますと、部屋にはいい匂いが漂っていて。
むくりと起き上がれば、坂本が起きたか、と優しく微笑んだ。
それがどことなく夢の中の天使に似ていて、快彦は嬉しくなる。
キッチンでは坂本が何か料理をしていた。
遠くから見て、黄色いものが見えた快彦は、まさかと思い声を上げる。
「それって、オムライス?」
「そうだよ」
「うわぁー!ひっくんのいったとおりだー!」
「・・・ひっくんって、誰だ?」
「あのね、よしのゆめのなかに、てんしさんがでてきてね、オムライスたべれるよって、いったの!」
嬉しそうに話す快彦を見て、坂本はそうかよかったな、と相槌を打ってみせた。
ニコニコと笑う少年にオムライスを手渡しながら、坂本は自分が自己紹介をしていなかったのに気づく。
「俺の名前は坂本昌行だ」
「まさゆき・・・まーくん!」
「・・・まーくん?」
「うんっ、まーくん!」
随分可愛らしいあだ名を付けられたもんだと、坂本は苦笑した。
そういえば子どもと触れ合ったのもかなり久しぶりだということにも気づく。
人と交わるのが苦手な自分が、自然と彼と対話していることが不思議で。
嬉しそうにいただきます、と声に出す彼をじぃっと見ていた。
快彦はスプーンでオムライスをすくい、口に運ぶ。
もぐもぐと口を動かし、飲み込んで、満面の笑みを浮かべた。
「おいしいー!」
「そうか」
「うん!まーくん、おりょうりじょうずだねー!」
「まぁ、好きだからな」
坂本はそう言うと、快彦の髪の毛を手で撫でる。
さっきそれをした時と同じように擦り寄る少年を見て、ほんの少し悲しそうな表情を浮かべながら。
コイツはどれだけ優しさに飢えていたんだろうと、坂本は思う。
痩せ細った身体に、たくさんの痣。
ごめんなさい、と。
叫ぶように言ったその言葉は、未だに耳に張り付いて離れようとはしなかった。
この小さな少年は自分が守ってやりたい。
そんな決意を固め、坂本は口の周りにケチャップをつけてオムライスを頬張る快彦を優しく見守っていた。
「あ、まーくん」
「何だ?」
「まーくんは、お願い事、ある?」
唐突な快彦の言葉に、坂本は目を丸くした。
お願い事って。
「・・・何で?」
「よしね、みっつまでおねがいごとできるから、まーくんのおねがいごと、かなえてあげる!」
「そう、だなぁ」
坂本はそれが子どもの冗談だと分かっていたが、考えるフリをしてやろうと少し考えて、あることを思い出した。
彼はかなり有名な実業家で、それなりに富も地位も持っていた。
・・・数年前までは。
自分が信じていた友人に裏切られ、大量の金銭が流出し。
あっという間に借金まみれになった。
今はどうにかして食い繋いでいるも、生活は厳しく。
常に借金取りに後をつけまわされている状態。
それが無くなればどんなに素晴らしいだろうと、そう、思ったのだ。
「借金がなくなったら、嬉しいな」
「シャッキン?」
「うん。でも、ヨシの願いなんだからヨシが好きなことを願えばいいよ」
坂本が言って快彦の頭をわしわしと撫でれば、少年はぶんぶんと首を横に振った。
「いいの!よしね、オムライスたべれたからもう、いいんだぁ」
「あーもう、口の周り付いてんぞ」
「えへへ。ありがとー」
幸せそうな快彦の口の周りを拭きながら、坂本は笑う。
借金があってもいい。
この子さえ笑っていれば、俺は。
そう、心の中で思いながら。
『ひっくん!』
快彦は夢の中で天使を見つけ、嬉しそうに駆け寄った。
振り返ったヒロシはにっこりと微笑んで彼を抱き上げる。
あったかいその腕の中は、どこか母親に似ていた。
『こんにちは、よっちゃん』
『こんにちはっ!あのね、おねがいごと、いーい?』
こてん、と首を傾げてヒロシを覗き込む。
それが可愛くて、ヒロシはふんわりと笑みを深くした。
『いいよ。何?』
『あのね、まーくんのね、シャッキンっていうのをなくしてほしいんだぁ』
『まーくんって、今一緒にいる男の人だね』
『なんでわかるのー?』
『天使だから、よっちゃんのことは何でもお見通しなんだよ』
『へぇー!』
感心した声を上げる快彦である。
ヒロシは彼をそっと腕から下ろし、前にしたように人差し指をくるくると回して魔法をかけた。
光に包まれた快彦は楽しそうに笑う。
『きれいだねー!』
『次によっちゃんが目を覚ます時には、まーくんの借金は全部無くなってるからね』
『うん!ありがとう!』
天使の言葉にお礼を言って、そこでぷつんと記憶が途切れた。
その日から。
坂本の家に来る借金取りは一人も居なくなった。
最初は半信半疑だった坂本も、数日立つうちに段々と状況を理解出来てきたらしい。
ありがとう快彦、と彼を抱き上げ、ぎゅうっと抱きしめた。
とても嬉しそうな表情に、快彦の顔も綻ぶ。
「よかったね、まーくん!」
「おう!お前のおかげだよ!」
「よしじゃないよ、てんしさんの、ひっくんのおかげだよ」
「そっか・・・じゃあ、次会った時は俺の代わりにいっぱいありがとうって伝えてくれ」
「うんっ!」
元気よく返事をする快彦。
しかし、彼は未だにベッドの中に居た。
医者はとっくに元気になってもいいはずだと言うが、快彦の微熱は引かず、日に日にゆっくりと体力も落ちている。
坂本はそれを心配して、色んな医者を探しては彼を診てもらったが、全員言うことは同じだった。
あくる日、快彦が酷い熱を出した。
それを見た坂本は、大急ぎで医者を呼びに外に出た。
外は視界も霞んで見えるほど酷い吹雪で。
その中を坂本は手探りで進んでいく。
どうにか医者の居るところへ辿り着き、最後の道路を渡ろうとして。
彼は、クラクションの嵐と共に、吹き飛ばされた。
それは一瞬の出来事だった。
じわり、と白い雪に赤い血が広がっていく。
それでも、坂本はどうにかして医者に会わなければと、身体を起こした。
家には苦しんでいる快彦が居る。
医者を呼べば、あの子は助かるんだと、そう信じて。
『ひっくん!』
いつもと変わらない快彦の声に、ヒロシは振り返った。
振り返っていつものように笑顔を作ろうとして、失敗する。
彼の目からは涙がぱたりと落ちて、快彦の頬に当たった。
『あのねっまーくんがひっくんにありがとうっていってって、いってたよ!』
『・・・そっか』
『どうしたの?どっか、いたいの?』
『・・・違うよ』
『じゃあ、なんで、ないてるの?』
首を傾げる快彦と同じ目線になるよう、ヒロシはしゃがみ込む。
キョトンとしている黒い瞳は、心配そうで。
ヒロシは本当のことを話そうと、口を開いた。
『・・・俺、知らなかったんだ』
『なにを?』
『願い事を全部叶えたら、よっちゃんを俺の住んでるところに連れて行かなきゃならないんだ』
悲しげに、苦しげにそう訴えるヒロシを見て、快彦はふにゃんと笑う。
そして、そっとヒロシの頭を撫でた。
『なかないで、ひっくん』
『・・・よっちゃん』
『よしね、ずっとまーくんにめいわくかけてばっかりだから、ひっくんといっしょにいきたい』
ずっと微熱が続いて。
快彦のために、坂本は自分の持っている限りのお金で医者を呼んだ。
せっかく無くなった借金はまた増えて。
それでも、坂本は医者を探すのを止めなかったのだ。
新しい医者が来る度にお金がかかっていることを快彦は案じたが、坂本はそんなこと気にするなと笑った。
お前が元気になるならそれでいい。
借金なんて働けばいくらでも返せるもんなんだ、と。
『・・・でも』
『あのね、よしね、ほんとうはしななきゃいけなかったの』
死ねばいいのだと言われ、寒空の下に放り出された時にそう思ったのだと、快彦は言った。
その言葉に悲しみを感じず、ヒロシは首を傾げる。
話をしている快彦は、ずっと笑顔で、どこか楽しそうだったから。
『でも、それを、まーくんがたすけてくれた』
大きな手で自分の髪を撫でてくれて。
自分の大好きなオムライスを作ってくれて。
嬉しいことがあるとぎゅうっと抱きしめてくれて。
自分のためにたくさんたくさんお金、使って。
ここに居てもいいんだと、優しく言ってくれた。
『まーくんがしあわせになったら、よしもしあわせだもん』
だから連れて行って、と。
言って笑う少年を見て、ヒロシは無性に泣きたくなった。
どうしてこの子は笑うのだろう。
大切な人と離れてしまうというのに、どうして。
『・・・連れていくには、あと一つ、願い事を決めないといけないよ』
『・・・ねがいごと』
『うん。最後の願い事』
頷くヒロシの服を、快彦はくいっと引っ張った。
『ひっくん、よしね、まーくんにねがいごときいてきたい』
『・・・自分の願いは無いの?』
『うんと、よしのおねがいは、まーくんがわらうことだから、まーくんのおねがいといっしょなんだぁ』
へにゃりと笑う快彦を見て、ヒロシは彼の望みを叶えてあげようと思い。
人差し指を立てて魔法をかけ、彼をまーくんのところまで送り届けた。
そして、まーくんの居場所を眼で追って、唖然とする。
血塗れの身体を必死に奮い立たせ、医者の居る方に向かっている彼が見えたのだ。
目的場所まであと数メートルというところで、彼は大きくよろめき、地面に倒れこんだ。
そこに、快彦が辿り着く。
全てが最悪のタイミングだった。
「・・・まー、くん?」
快彦はぽつりと呟くようにそう言った。
吹雪が横からびゅうびゅうと吹きつけ、坂本はあっという間に雪まみれになる。
慌てて駆け寄り積もった雪を払って、小さな両腕で坂本を抱きしめた。
「まーくん、どうしたの?ここ、さむいからはやくかえろう?」
いつもならそうだな、と笑う彼の返事は無い。
大きな手も今は地面に力なく横たわるだけで、快彦を撫でてはくれなかった。
みるみるうちに快彦の瞳に涙が溢れる。
「・・・っまーくん!ここ、さむいから、かえろうっ!」
ぎゅうと抱きしめても、抱き返してはくれない。
風邪引くぞヨシ、とコートをかけてもくれない。
快彦の言葉には必ず返事をしてくれたのに、今は一度も声が返って来ない。
どうして?
疑問を過ぎらせた快彦の頭に、母親の姿が蘇る。
彼女もいつも彼にたくさんの優しさを注いでくれていた。
けれどある日、今の坂本と同じように動かなくなってしまったのだ。
次の日、彼女は綺麗な箱の中に入れられて、どこかに行ってしまった。
おかあさんとおなじで、まーくんもまたいなくなる。
そう思った快彦は涙を止められずに。
坂本の身体にしがみ付いて、ただただわんわんと泣いた。
その間にも段々と吹雪は勢いを増して、二人を雪まみれにしていく。
泣いて、泣いて。
ふと。
吹雪が止んだ、気がした。
恐る恐る顔を上げた快彦は、自分たちが白い羽に守られているのに気づいた。
ふんわりと白い光が辺りを照らしている。
ほんのり暖かなそれの中で、快彦はぐしぐしと涙を拭う。
ヒロシはそれを見て悲しげに微笑んだ。
『ごめんね、よっちゃん』
「・・・・・・?」
『俺、何も君の力になれなかった』
「そんなこと、ないよ!」
ぶんぶんと首を横に振って否定する快彦を見て、ヒロシは涙をこぼした。
結局、天使なんて何も出来ない生き物なのだと嘆くようにして。
『でも、俺は仕事をしなきゃいけないんだ、よっちゃん』
「うん」
『よっちゃんの、最後の願いは、何?』
ヒロシの問いに、快彦は躊躇いも無く口を開く。
「まーくんを、いきかえらせて、ください」
優しさをくれた人。
あったかい温もりをくれた人。
たくさんの笑顔を向けてくれた人。
だから。
俺より先に、死なないで。
吹雪が止み、夜が落ち着きを取り戻す。
白い雪にまみれていた坂本は、薄っすらと目を開けた。
・・・生きている。
意識が飛ぶ直前にもうダメだと確信したはずなのに。
身体を起こそうとして、視線の先に小さな子どもを見つけた。
それはとても見覚えがあり。
この場所には居るはずの無い、姿だった。
「・・・よ、し・・・?」
出ない声を振り絞って名前を呼ぶ。
初めて出会った頃のように、快彦は雪にまみれていて。
坂本は身体を引きずり、彼のところに辿り着いた。
あれだけ熱を帯びていた身体は、ひんやりと冷えて。
しぱしぱと忙しなく瞬いていた瞳は、穏やかに閉じられている。
小さなそれをぎゅうっと抱きしめるも、既にその命は終わっていて。
それでも、坂本は彼を抱きしめたままで居た。
こうすれば、もしかしたら目を覚ますかもしれない。
まーくん、と自分の名前を呼ぶかもしれない。
そんな期待を込めて、ずっと。
どれくらい時間が経っただろうか。
ばさり、と。
何かの羽ばたく音が頭上に響き、坂本は空を見上げた。
白い羽に、光るリング。
大きな瞳からはぽろ、と涙が零れている。
彼が快彦の言っていた「てんしのひっくん」だということを坂本は悟った。
「・・・夢、か?」
「夢じゃないよ。俺は天使のヒロシ。・・・よっちゃんを迎えにきた」
「・・・んなこと言われて渡すと思うか?」
「渡してくれないとよっちゃんの魂がこの世に残っちゃうんだけど、それでもいいの?」
「・・・・・・っ」
ヒロシの言葉に、坂本は目を閉じ項垂れた。
快彦を手放したくは無い。
けれど、放さなければ快彦を苦しめることになる。
二つの想いを抱えて悩む坂本を見て、ヒロシは意を決した表情になり、涙を袖で拭いた。
「・・・ひとつだけ、方法がある」
その声にハッとした表情で坂本は再び顔を上げた。
どうすればいい、と。
どこか泣き出しそうな声色でヒロシに尋ねる。
ヒロシは少し躊躇い、ぎゅうっと拳を固めて坂本を見た。
「君が天使になればいい」
「・・・そんなこと、出来るのか・・・?」
「出来るさ。俺は天使だもん、君の願いを聞くことくらい容易いことだよ」
ヒロシがくるりんと回した指先に、光が灯り。
それを見た坂本は快彦を抱きしめるようにして、彼を見つめ、頷いた。
天使にしてくれ、と躊躇いも無く。
目の前の天使に死にたいという願いを、声にした。
ヒロシは声も無く首を縦に振ると、その指先を坂本に向ける。
溢れる光は禁忌のもの。
天使は本来、人を生かす願いを叶えるのが仕事で。
人を殺す願いなど、叶えてはいけなかったのだけれど。
敢えてヒロシは、その願いを叶えた。
最後まで何も出来なかった、快彦に少しでも報いるために。
あっという間に光は満ち、坂本は快彦に覆いかぶさるようにしてゆったりと瞳を閉じた。
そして、すぐにその背中からふわんと柔らかな羽が生え、彼は身体を起こす。
腕の中にはぐっすりと眠っている快彦が居て。
坂本はそれを優しく見つめ、ヒロシを見た。
「ありがとう、ヒロシ」
「お安い御用だよ。よっちゃんをよろしく」
「お前は、大丈夫なのか?」
人は天使になった時点で、自分の役目を全て認識する。
ヒロシが叶えた願いが禁忌だということを知った坂本は心配そうに彼の顔を覗き込んだ。
当の本人はにぃっと不敵な笑みを浮かべ、坂本を見返す。
「大丈夫。俺、口だけは達者だから。早く行きな、遅いと怒られるよ」
「あぁ」
背を押され、ぎこちなく飛び上がった坂本は、下に居るヒロシにもう一度目をやった。
「・・・また、会えるといいな」
「会えると思うよ。同じ天界に居るんだから」
それに、とヒロシは付け加えて快彦を見る。
「独り占めなんてさせたくないしね」
「・・・どういうことだ?」
「分からないならそれでいいよ」
バイバイ、とにこやかに手を振られ、坂本は不思議そうにしながらも空に向かって飛んでいった。
その姿を見送りながら、ヒロシは目を細めて溜め息をつき、後ろを振り返る。
そこに居たのは真っ白なスーツ姿に身を包んだ、天使。
背中に付いた羽はヒロシのものの3倍ほどもあり、動く度に羽毛がはらりと散った。
「・・・いつから居たんですか、ヒガシさん」
「お前が3つ目の願いを叶えた時から、かな。心に迷いが見えたから、心配になってね」
そんなところまで見えるのか、とヒロシは心の中で舌打ちをする。
3つ目の願いを叶えた時から見られていたのなら、自分が禁忌を犯した瞬間も見られているだろう。
誤魔化しようの無い状況に、ヒロシは諦めたように肩を落とした。
「心配は的中、ですか?」
「さぁ?俺の耳には何も届かなかったけど?」
「・・・・・・え」
「お前は天使を一人増やしただけだろう?」
爽やかな笑みを湛え、そう言いながらヒガシは目の前の天使を優しく撫でた。
ヒロシはきゅ、と口元を締め、こくんと頷く。
それを見てヒガシは満足そうな顔をし、彼の背中をぽん、と叩いた。
「さ、帰ろうか。天使になった快彦くんに会いに行くんだろ?」
「・・・はい」
「あ、報告書書くの手伝っていけよ」
「はいっ!」
元気よく笑う天使の頭をもう一度撫で、ヒガシは大きく羽ばたき。
その後を追うようにヒロシも続く。
天使たちの居なくなった地面の上は、周りよりほんの少しだけ雪が薄く積もっていた。
END
わー暗ーい(え)
突発で死にネタを書く、そんなのっちです(どんなだ)
色々補足が必要なSSになってしまいました。
ヒロシくんは新米天使です。初仕事がよっちゃん。
誰でもというわけではありませんが、この世界の天使は「命を終える人」を幸せにしてから天国に送り届けます。
そしてヒガシさんはヒロシくんの上司で、大天使さま。
本当は禁忌な行為を罰す側の立場なのですが、こうやってチョロまかすのもしばしば(笑)
最後の「報告書」とは、隠蔽工作に使う書類です。
まぁ、ぶっちゃけ嘘を書いて報告しちゃおうみたいな。
そんな感じなのでした。
2007.11.9