血の匂いは嫌いだった。
それを話したら、人を殺めるのを仕事にしているのにそりゃねぇだろ、とアナタは笑いながら言った。
笑い飛ばしてくれた、俺の悩みをいとも簡単に。
だから、ずっと傍に居たかったんだ。













――――――――井ノ原ァ!!











その声。
俺を抱きしめるあったかい腕。
優しい居場所。
全部、好きだったよ。





だいすき。




だからもう、なかないで。
















































































































































無防備な背中
















































































































































































坂本はぐいっと引き戻されたような感覚に目をこじ開ける。
真っ黒な天井。
まだ、陽は昇っていない。





夢を見るのだ、何度も、何度も。
飽きるくらい同じ夢を。



















鮮血が飛び散り、生ぬるいそれが俺の身体を濡らして。
アイツは笑顔で地面に倒れこむ。
俺はアイツの名前を叫ぶように呼んで、抱き上げて、それから。






















・・・あぁ、もう。
もう、終わったことじゃねぇか。
いつまでも引きずることじゃないのに。
まだ、アイツは俺の中に生きている。
俺の夢の中で。








































かたん







小さな物音がして、坂本はそっちに目を向ける。
浮かんだ汗を拭いながら立ち上がり、自分の耳を信じてその方向へ足を進めた。
どうやら外は雨が降っているらしい。
かたん、ともう一度小さな音が鳴った。
音は玄関の方から聞こえてくる。
坂本は鍵を外し、ドアをそっと開けた。
そこに居たのは小さな小さな黒猫で。
坂本を見るなりにゃあ、と小さく小さく鳴いた。
ひょい、と抱き上げればすり、と猫にしては珍しく坂本の手に懐く。
黒猫の癖に漆黒の瞳。
初めて会った時のアイツみたいだ、と坂本はひとりごちた。
黒ずくめで、髪も目も真っ黒で。
表情さえ黒い雰囲気を纏っていた。
そんなアイツの身体を唯一、染め抜いていたのは鮮血の赤。


















――――――死なせてよ、このまま。
















不意に聞こえた懐かしい声に辺りを見回すも、誰も居らず。
当たり前のことに坂本はため息を漏らした。
居るはず無い。
アイツはもう死んだ。
そう自分に言い聞かせるようにして、猫と一緒に部屋に入ろうとすれば。
子猫はぴょん、と坂本の腕から飛び降り、にゃあ、と一声鳴いてからタッと走り出す。
ついてこい、ということだろうか?
疑問を抱きつつも、坂本は黒い子猫を追いかけるように足を進めた。


















































































追いかけて、5分。
小さな公園に辿り着いた坂本は猫のいる場所を呆然と眺めた。






「・・・・・・嘘だろ」






そこには小柄な男が倒れこんでいた。
漆黒の衣装に、茶色の髪の毛。
坂本から見て右の方に小さな黒子が二つ。








そして、彼も鮮血で自分の身体を染め上げていた。



































――――――死にたいんだ、このまま。






伏せ目がちに口にしたアイツの言葉。
長い睫毛がぱたり、と何度か瞬く。
全てを諦めたような瞳。
嫌がるアイツを無理矢理背負って、家に運んだ。
次に向けられたのは敵意の視線。






――――――俺は、アンタを殺しに来たんだよ。
























































































にゃあ、と。
黒猫の鳴き声に我に返る。
そうだ、こんなことをしている場合じゃない。
坂本は慌てて男の傍にしゃがみ込む。






「・・・おい!生きてるか?!」






声をかけるが、返答は無い。
辛うじて呼吸はしているようで、胸が小さく上下に動いていた。
ホッとして彼を背負い上げ、立ち上がる。
見捨てて置けるはずが無かった。
困ったほどにあの男に似ていたのだから。











「・・・長野は、まだ起きてるかな」





一人でそう呟き、懐に入っていた携帯電話を取り出す。
程なくして出た相手に小言を散々言われながらも、坂本は何とか現状を伝えた。
今から行くから、と。
言って勝手に電源を落とし、周りを見渡す。
もうすぐ陽が昇る。
明るくなる前に、行かなければ。






いつの間にか、あの黒猫は居なくなっていて。
公園には、男と坂本の二人が取り残されていた。








































































































































































































「・・・・・・これでもう、大丈夫だよ」





白衣に身を包んだ男がふんわりと笑う。
それに坂本はホッと安堵のため息をついた。
ベッドの中の彼は、処置を終えて静かに寝息を立てている。
長野曰く、2、3時間後には目を覚ますそうだ。
どうにか落ち着いた坂本はどかり、と病室の椅子に腰を下ろし、ぐいっと思い切り伸びをした。
そんな彼の前にコトリと置かれるマグカップ。





「お、サンキュ」
「全く、いつも急なんだから」
「我が儘効くのここだけだからさぁ」
「俺さっきようやく寝付いたところなのに」





勘弁してよ、と困ったような笑みを見せられ、坂本は素直に悪ぃ、と謝罪の言葉を述べた。
そして、沈黙が二人の間を埋め尽くす。
多分同じことを考えているのだろうと坂本は思った。
アイツを初めて拾った時も、ここで処置をしたのだから。
ごくり、と喉を鳴らすようにコーヒーを身体の中に流し込む。
砂糖もミルクも入っていない坂本好みのそれは、何も入っていない胃にじわりと染みた。



































































































「・・・・・・また、繰り返すの?」





















不意に。
口を開いたのは長野だった。
その言葉の意味が良く分からず、坂本は首を捻る。





「何がだ?」
「あれだけ傷ついて、やっと癒えてきたっていうのに、また」
「俺はコイツを見捨てて置けなかっただけだ」
「この風体、どこをどう見てもよっちゃんと同じ稼業の子じゃない!」
「じゃあ見捨てろっていうのか?」
「・・・・・・それ、は」





長野の言葉が淀み、坂本はふ、と笑みを浮かべる。
大丈夫だ、と。
一言そう言うと、また口を閉ざしてコーヒーを飲み込んだ。
坂本を見て、長野は呆れたように息を吐く。
物好きな友人を持ってしまって自分は大変だ、と思いながらも。
そんな彼を嫌いになれない自分が、意外と気に入ってたりもする。





強面で、不器用で、優しい友人。
彼が笑うのなら出来ることを何でもしたい、と長野は思う。
同時に、彼の笑みを奪うものを全て無くしてしまいたいとも。
だから先刻のような言葉を吐いた。
けれど、坂本は笑うから。
大丈夫だと、笑うから。
長野は坂本の好きにさせてあげようと、そう、決めた。














































































「・・・・・・ん、ぅ」









ベッドに横たわっていた男がもそり、と身じろいで。
それに反応して長野と坂本が揃って立ち上がる。
ぱちり、と開いた瞳は、漆黒。
目の前の坂本を確認した瞬間、彼は懐を弄った。
弄って、酷く慌てた様子を見せる。





「・・・っ無い・・・っ!」
「あ、探しものってこれのこと?」
しれっとそう言ってのけた長野の手には、小さなナイフ。
それを奪おうと身体を起こすも、走る激痛に男は顔を歪めて身体を折り曲げた。
「ぐっ・・・」
「無理すんな。すっげぇ怪我だったんだから」
「なんで・・・っ何で死なせてくれなかったんだよ・・・っ!!」





悲鳴のような言葉。
坂本の頭の中でぐるぐる回っていたそれと、綺麗にハモって。
無意識のうちに、坂本の手が男の頬を打っていた。
殴られて呆然とする男に、坂本がゆったりと口を開く。













「命を粗末にするな」















その声色は、厳しく。
男は黙って地面に顔を向け。
長野はデジャブのようなそれに顔を歪めた。





あの子の時もそうだった。
声色も、取った行動も、言った言葉も。
ぶるりと身体が震える。
止めなければ。
今、彼を止めなければ、同じ運命を辿らせることになる。






「・・・っ坂本くん・・・っ!」
「何だ、長野」






返って来た言葉もまた、酷く冷静で。
長野は思わず自分が言うべき言葉を見失った。
真剣な眼差し。
俺を止めるな、とそれが訴えかけていたのを見て、長野は口を閉ざす。







「・・・・・・名前は?」
「・・・・・・」
「助けてやったのにそういう態度か」
「・・・・・・っ誰も頼んでねぇよ・・・っ」
「じゃあ勝手に呼ぶぞ、チビ」
「!!!」
「チビにチビっつって何が悪い。言われたくなきゃ名前を教えろチビ」



あまりにも強引な方法。
それでも坂本はじっと変わらずに真剣な眼差しで男を見ていた。
男はチビの連呼に耐え切れなくなったのか、ぎゅうっと布団を握り締める。






「・・・・・・う」
「あ?」
「・・・っ剛!剛っつーんだよチビじゃねぇ!!」
「剛」
「ぁんだよ」
「・・・いい名前だな、剛」






剛が口にした名前を噛み締めるように坂本が言う。
その言葉に含まれた優しさに、剛の目が真ん丸くなり。
だんだんとその漆黒が揺らめいて、ぱたりと滴が下に落ちた。
坂本はふるふると震える肩を抱き寄せ、ぽすぽすと宥めるようにそれを叩く。
もう大丈夫だと、そう言い聞かせながら。
その様子を、酷く沈痛な面持ちで長野が見つめていた。































































































































































3日後。
剛は退院し、行く場所も無くただ坂本の家に居た。
勝手に使っていいぞ、と通された部屋。
変なおもちゃ。
好き勝手な方向に葉を伸ばしている観葉植物。
弦の切れたギター。
誰かが住んでいたような形跡に、剛は首を傾げる。






「なぁ、ここって誰か住んでたのかよ?」






声を上げるも、返答は返ってこず。
不思議に思った剛の鼻腔を、いい匂いがくすぐった。
それにつられて足を進めれば、坂本がキッチンで何やら料理をしているのが見えた。






「・・・料理出来んの?」
「一応特技だ」
「女々しい特技」
「五月蝿ぇ」






ぺしり、と菜箸の後ろで剛を叩き、鼻歌を歌いながら料理を続ける坂本。
叩かれたところを抑えながら抗議の目線を送るも、気づかれず。
剛は諦めて部屋に戻ることにした。
戻りかけた剛の背中に、声。






「部屋のもんは好きにしろ。邪魔だったら捨ててもいい」
「・・・あそこ、誰か住んでたのか?」






剛の問いかけに一瞬、坂本は黙り込んで。
困ったような笑みを浮かべて、口を開いた。









「俺の、友達だ」

































































部屋に戻り、いい匂いを嗅ぎながら片づけをする。
とはいっても、剛にとっては寝るスペースがあればよく。
ベッドの上のものを避けて、その行動は終了した。
部屋のものを捨ててもいいとは言われたが、坂本の友達のものだと聞いてしまっては無下に出来るわけも無く。
剛は全てを放置することに決めた。






どさっと身体をベッドに沈め、考える。
殺しのことを考えない今の状態が、幸せで心地よかった。
でも、幸せな生活など、望めないことは分かっていた。
失敗した殺し屋は用無しで処分される。
その前にターゲットを殺して、任務を完了すれば事は綺麗に収まるのだ。
情が移ると面倒だし、仕事は手早く終わらせなければ。






それにしても、と剛は先ほどの坂本を思い出した。
無防備な背中。
自分を信じきっているというよりは、むしろ狙ってくれと言わんばかりの無防備さ。
あれは死にたがっている背中だ、と。
多分、この仕事をしていないと分からないだろう。
人の生死に深く関わっていると、そんな心の奥底が見えてくるのだ。
何故だろう。
あんなに幸せそうなのに。









「剛、飯出来たぞー」









坂本の言葉で、剛は我に返り。
小さく返事を返して、起き上がる。
居間に足を運ぶと、こんもりと盛られた煮物の山。
どう考えても、二人で食べる分にしては多い。






「・・・作りすぎじゃねぇ?」
「いいんだよ。長野におすそ分けするし、持ってくところもあるし」






煮物をタッパーと、器に入れながら、坂本は笑う。
配分の終わったそれは、ちょうどいい量になっていた。
ほかほかのご飯と、油揚げの味噌汁。
美味しそうな鮭の塩焼きに、剛はごくりと喉を鳴らした。
殺しはこれを食べてからでも遅くは無い。
どうせ、暗くなるまで待つのだし、と。
剛は自分にそう言い聞かせて、席に座り箸を持った。
坂本が座るのを待って、いただきます、と声を上げれば。
はいどうぞ、と坂本は笑顔で、まるで母親のように律儀に返事をした。



































































































































その夜。
剛は部屋で横になりながら、坂本の様子を伺っていた。
小さな物音も聞き分けられる剛は、彼が寝静まるのを待っていた。
しかし。
いつまで経っても彼が寝静まる様子は無く。
がちゃり、と鍵をあける音と共に、坂本は外に出て行ってしまった。
剛は慌てて起き上がり、懐にナイフを忍ばせて部屋を出て。
足音が遠ざかったのを見計らい、ドアから身体を滑り込ませるように外へ出た。







坂本との距離は20メートルほど。
見つからないようにそっと後をつける。
彼は何かを持って歩いていた。
時折揺れるそれは、黄色い花で。
こんな時間にデートでもすんのか?と剛は首を傾げる。
相変わらず無防備な背中。
他の殺し屋が来たら一発で死ぬな、あの人は。
剛がそう思いながら追いかけていくと、ある場所で坂本が立ち止まった。










大きな木の根元に、小さな墓標が見える。
坂本はそこにしゃがみ込み、萎れてしまった花を避けて、新しい花を差し替えた。
夜の闇に映える、黄色。
穏やかな風がそれをゆらゆらと優しく揺らしている。

























「・・・井ノ原」














小さく呟いたその名前。
聞き覚えのある、いや、それ以上に忘れたくも無いそれに、剛は目を見開いた。
井ノ原。
組織一の腕を持っていた男。
幸せに目が眩んで、自分の命を落としてしまった間抜けな男。
彼は剛の兄だった。
血の繋がりは無く、ただ小さい頃から殺し屋についての知識を叩き込まれ。
百戦錬磨のその腕に、憧れていた。
いつかは彼のような男になろうと、そう思っていたのに。
井ノ原はあっけなく命を落とし、剛は一人になった。
酷く、寂しかった。






彼に幸せを教えたのは目の前の男なのだと。
そう、理解した瞬間。
剛は衝動に任せて懐のナイフを取り出し、坂本の背中に向かって真っ直ぐに走った。
殺し屋らしくない、大きな行動。
足音に気づかれて失敗するのは目に見えていたのに。

























剛の持っていたナイフは、真っ直ぐに坂本の背中に突き刺さった。
































「・・・・・・っ」






小さく呻く坂本の背中は鮮血でどんどん赤く染まっていく。
しゃがみ込んでいた彼は膝を地面につける。
顔は、見えない。
殺しなんてたくさんしてきた。
慣れているはずの行為が、酷く怖くて。
剛は血のついたナイフを手に、震えてその場に座り込んでしまった。







「・・・・・・んでだよ」
「・・・?」
「っ何で避けねぇんだよっ避けろよ避けれただろ?!」







剛の言葉に坂本はくるり、と振り返る。
痛みに耐えながらも、その表情はどこか穏やかだった。
細い身体がふらりと揺れて、地面に倒れこむ。
駆け寄った剛に、坂本はすまなそうな表情を向けて苦笑した。













「・・・ごめんな、剛・・・」
「何、がっ」
「命を、粗末にしてたのは、俺だ」














死にたい、と。
いつもどこかでそれを願っていた。
井ノ原が死んでから、ずっと。
だから、依頼したのだ。
自分を殺してくれ、と。
元々ターゲットだった坂本からの依頼に、剛が派遣されてきた。










「・・・井ノ原から、聞いてた。剛、は、俺の弟だ、って」
「・・・・・・っ」
「びっくり、した・・・」
はは、と乾いた声で笑い、坂本は言葉を続ける。


















「アイツは、ひとりが嫌いだった、よ」












































一人が嫌いで、なのに一人でいようとした。
自分が幸せになることで、周りの人が皆不幸になる、と。
その言葉の重みを知らなかった俺は、いとも容易く彼を受け入れた。
誰にでも幸せになる権利はあるんだと言って。






























―――――しあわせ、だったよ。










身体を赤に染めて、井ノ原は笑う。










―――――でも、さかもとくんを、きずつけちゃった。










そんなことない俺は、










―――――ごめんね、さかもとくん。










謝るなよ、井ノ原俺はお前を、










―――――だいすき。










・・・っ井ノ原










―――――だからもう、なかないで。























































































































「・・・アイツは、最後まで、笑ってた」






それだけが俺の救いだった、と坂本は言って、再び笑う。
死ぬことを受け入れたその表情は、酷く穏やかで。
剛は彼の傍でぱたぱたと涙を落とした。
他人の死でこれだけ泣いたのはこれで二度目だった。
一度目は、井ノ原の凶報を聞いた時。
人を殺める仕事をしながら、人の死に涙をする自分が滑稽で。
それでも剛の涙は止まらなかった。






「なくな、ごう」






そう言った坂本は必死に腕を伸ばして剛の涙を拭い。
それがぱたりと力なく地面に落ちるまで、彼は始終笑顔だった。
今まで見た中で一番、穏やかな笑顔だった。











































































































































後日。
満月の夜に、剛は井ノ原の墓標の前にいた。
誰が作ったのか、横には坂本の墓標もあり、紫の花がゆらゆら揺れていた。













『アイツは一人が嫌いだった』












剛は知らなかった。
井ノ原がそう思っていたことを。
いつも冷静で、一人で何でもやってのけていたから。














『アイツは最後まで笑ってた』













剛はそれも知らなかった。
井ノ原はいつも無表情で黙々と仕事をしていたから。
ただ。
剛が教えられたことを全てやり遂げた時、満面の笑みを浮かべて褒めてくれた。
よくやったな、剛、と。
その笑顔が見たくて、殺し屋の仕事を続けていたのかもしれない、と剛は思う。




























































「・・・・・・剛、くん」






背中にかかった声に振り向けば。
そこには空のタッパーを抱えた長野が立っていた。
憎悪の瞳を向けられて当然だと思っていた剛に向けられた長野の目は、ふんわりと優しいもので。
不安そうに見上げる剛の頭をそっと撫でる。
そして坂本の墓標の前にしゃがみ込み、空のタッパーを置いて手を合わせた。
その背中を剛はじっと見つめていた。


















































































「・・・・・・ありがとう、ね」
























長野の突然の思っても見なかった感謝の言葉に、剛は目を見開く。
憎まれて当然なのに、どうして、と。
不安そうに揺れている瞳に、長野は笑みを返した。
ほんの少し、悲しみの色を湛えた笑みを。





「・・・分かってたんだ、坂本くんが死にたがってること」
「・・・え」
「井ノ原が死んだ後、あの人酷かったから」









殺してくれ、と。
寝ても覚めても一言目にはそれだった。
元々一人だった坂本にとって、井ノ原の笑顔は酷く重要なものに変わっていて。
それを急に失った彼の心にはぽっかりと穴が開いていた。
時間が経つにつれて段々と落ち着いてきたものの、心の穴は塞がることなく。


















気づけば彼はいつも、死に場所を探していた。








































































「坂本くんが、楽になってよかった」

















ホッとした表情。
泣き出しそうに目が細められる。
寂しい、と。
井ノ原の死にそう思った自分と長野が似ているように思い。
剛は彼の背中をぽす、と叩いた。






「・・・アンタは生きろよ」






優しい言葉なんて、使ったことがなかったから思いつかなかった。
ただ、この人には死んで欲しくは無いと、そう感じて。
剛はそれだけを言い残すと、くるりと踵を返して墓標を後にした。
遺された長野はただ、墓標の前に立ち尽くす。
空のタッパー。
揺れる紫の花。
ご馳走さまと、言わせる隙すらくれなかった友人。




「・・・馬ぁ鹿・・・」



長野はそう、一言呟くように吐き出して。
一筋の涙を地面に落とした。
とても綺麗な満月の映える、よく晴れた日だった。





END


2007.9.2