足枷
俺には朝が来ない。
6歳の頃、突然目が見えなくなったから。
それから10年間ずっと、星の見えない夜のままで時が流れている。
その代わりかどうかはわからないけど、俺の耳はどんな音でも拾う。
鳥の鳴く声。
カーテンの開く音。
朝ごはんを作っている音。
ほんの小さな音でさえ、敏感に。
そろりと足音を顰めて階段を登ってきた昌行くんにだって、気づかない日はない。
・・・ほら、今日も。
「昌行くん」
「ぅわっ・・・と・・・・・お前は本当に鋭いな」
苦笑しながら俺の頭を撫でてるはずの。
5歳離れた俺のお兄ちゃん。
俺のために介護士の資格まで取ってくれた、優しい人。
入学に必要な俺のランドセルを買いに行った矢先の事故で両親を亡くしてからというものの。
彼だけが俺の唯一の血の繋がった家族だ。
小さい頃の顔しか知らないけど、きっと格好良くなってるんだろうな。
あー、見てみたいなぁ。
でもそんなこと言ったら困らせちゃうから、言わない。
ごめんねの意を込めて、俺はたくさん笑う。
俺の笑う顔がすきなんだって、言ってくれたから。
「あは。もうご飯ー?」
「そうだよ。だから、来い」
昌行くんの手が俺の手に触れる。
目が見えてた頃は、全然繋いでくれなかったのに。
目が見えなくなってからは、毎日繋いでくれるようになった。
繋がないとこけたり、ぶつかったりして危ないからなんだけど。
それでも、嬉しいもんは嬉しくて。
身体を起こして、床に向かって足をぱたぱたする。
ぱしっとぶつかったスリッパに、足を通して。
昌行くんに引っ張られるがままに進んだ。
「ほら、そこ段差あるからな」
「へいへい。いっつも通ってるからわかってますよー」
「見えてないんだから甘えろ馬鹿」
「馬鹿じゃないもーん」
笑いながら二人でゆっくりと階段を降りていく。
たまに踏み外してこけそうになるけど。
人間、丈夫に出来てますから。
転んでも昌行くんはさして心配もせず。
調子に乗ってるからだと小言を言いながらも俺を立たせてくれる。
変わらない日常。
ただ、俺にはひとつだけ心配なことがあった。
用意されているはずの朝食。
十二時の方向におかずがあって。
七時にはご飯、四時には味噌汁が置いてある。
介護士の専門学校で習ったことを、昌行くんはきちんと実行しているらしい。
確かに、そう言われるとわかりやすい。
手探りで箸を探して持ち上げ、味噌汁を一口。
あ、今日はわかめと玉ねぎと麩だ。
うん、いい味俺好み。
さて。
いつもの朝食の席で。
俺は唐突に思っていることを切り出すことにした。
「昌行くん」
「なんだー?」
「・・・昌行くんは好きな人とかいないの?」
「ぶっ」
向かいから口に入れたものを吹き出したらしい音がした。
昌行くんはげほげほと、苦しそうにむせている。
「げほ・・・っお前なぁ・・・急になに言い出すんだよ」
「だって、もう21歳じゃん。結婚できる年だしさ」
介護士の資格取って。
大学も行かずにずっと俺の世話して。
彼の自由を奪っているのは、間違いなく俺だから。
「・・・お前を一人にして結婚なんてできねぇよ」
ぼそり、と返ってきた言葉は。
どこかに諦めを含んだような雰囲気を纏っていて、悲しくなる。
「出来るって!ほら、今は施設とかたくさんあるし」
「馬鹿野郎。弟を施設に預ける兄貴にはなりたくねぇんだよ」
「・・・・・でも」
でも。
これじゃ、いつまでたっても昌行くんは俺に縛られたままだ。
言い出せずに飲み込んだその言葉は、想像以上に重く感じた。
不意に。
ガタン、と椅子が動いた音がして。
すっと昌行くんの気配が俺に近づいてきた。
そんで、俺の頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜてくる。
「ちょっ・・・何すんだよー」
「お前はもう・・・朝っぱらからんな顔見せるんじゃねぇっつーの」
「だって、昌行くんはずっと、」
「たーしーかーにっ!」
俺の言葉をかき消すような大声で、昌行くんが喋り始めた。
「・・・・確かに辛い時もあるけど、お前が施設に行って今みたいな顔見せること考えたら屁でもねぇよ」
眉毛下げて。
平気だって無理矢理笑って。
本当は寂しいのに全然寂しくなんかないって強がって。
そんな弟、一人にしておけるわけねぇだろって。
昌行くんは言って、俺の頭を優しく撫でた。
「・・・そんな顔してんの?俺」
「してんの。お前は昔っから表情豊かで気持ちがそのまんま出るからな」
「・・・ふぅん」
「早く食え。冷めるぞ」
「・・・はーい」
昌行くんに促されて、俺は再びご飯を食べ始めた。
するっとさり気なく話題摺りかえられた気もするけど。
昌行くんのいない日常は、考えただけで不安になる。
依存症みたいになってんのかな。
・・・・・・・・・すぐに否定できない自分が悲しい。
「今日は5時まで仕事だから、大人しく待ってんだぞ」
「はいはーい」
「この間みたいに勝手にウロウロ徘徊した挙句人の大事にしてたマグカップとか食器を割らないように」
「・・・・そんなことあったっけ?」
「次やったらベッドに縛り付けておくからな」
「怖っ!真面目に言わないでよー!」
顔が見えたら少しは信じられるんだと思う。
さっきの昌行くんの言葉だって。
もし、面倒くさそうな顔で言ってたりしたら、俺立ち直れないかも。
だから。
・・・だから、さっきも言えなくなった。
俺に縛られてることを一番分かってるのは昌行くんだし。
それを言ったところで何が変わるのかって言えば、結局何も変わらないんだから。
こんな風に悩んでることも、昌行くんはわかっちゃったりしているのだろうか。
そんで、ちょっと悲しそうに笑うんだろうか。
・・・・顔はよくわからないけど。
悲しそうな顔は誰だって嫌だ。
ごちそうさま、と手を合わせて昌行くんに向かって言うと。
おそまつさまでした、とご丁寧に返事があって。
かちゃかちゃと食器が音を立てる。
一回手伝おうとして全部いっぺんに落としちゃって、昌行くんのお怒りを買ってからはずっと。
俺はじっと黙っていることにした。
そっちの方が迷惑かかんないし、お互い楽だしね。
「じゃあな、快彦」
行って来ると昌行くんが立ち上がる音がした。
カバンを持った音。
遠ざかっていく足音。
行っちゃうんだ。
小さい時は行かないでって我が儘言ってたけど。
それが昌行くんを困らせていることに気づいてからは、止めた。
迷惑かけたくないんだ。
・・・・これ以上、足引っ張りたくないんだ。
そういう時、悲しいこと考えると泣きそうになるから。
俺はにぃっと笑顔を作る。
行っちゃうけど、帰ってくるもん。
また逢える。
大丈夫。
「うん、気をつけて。仕事、頑張れよー!」
行かないでを飲み込んで放つのは、激励の言葉。
行かないで。
寂しいよ。
ずっと、傍にいてよ。
そう、思ったことは全部身体の中に仕舞う。
溜まったそれは、たまに一人になった時にあふれ出るけど。
昌行くんが知ることはないから。
「おう。お前も大人しく留守番してろよ」
わしゃわしゃと撫でられる頭。
にっかりと笑って見せれば、安心したように離れる手。
行かないで。
「・・・・・・・・っい・・・」
思わず、口からあふれ出そうになった思いを。
ぎゅうっと口の端をしめることで留める。
昌行くんはきっと、不思議そうな顔で俺を見てるんだ。
そんで多分、言ってしまえば困ったように笑うんだ。
・・・・・・いくら目を凝らしても、その表情は見えてくることはないけど。
「・・・・いってらっしゃい!」
「・・・あぁ」
一生懸命すり替えた言葉に。
昌行くんは少し不安げに声を上げて出て行った。
がちゃり、と閉まるドアの音を耳にすると。
心の中が寂しさでいっぱいになる。
足音が、どんどん遠ざかっていって。
そして。
聞こえなくなった途端、俺はがくんと崩れ落ちた。
何も見えない寂しさより。
誰もいない寂しさの方が痛くて辛い。
少なくとも俺は、そう思う。
隣に昌行くんがいてくれるから、俺は生きていけるんだ。
だから。
早く帰ってきて、昌行くん。
そう思いながら、俺は誰もいなくなった家で一人で泣いた。
END
2006.11.27
・・・・・・暗っ!!
暗いのか明るいのかちょっとわからない突発SS。
最近多いなー・・・ほのぼのを書いていることの反動が来ている気もします。
ただ突発的に寂しがり屋なイノさんを書きたかっただけでした。