線香花火が終わるまで。
どうか、俺に時間をください。
インセンス・スティック・ファイヤーワークス
人ごみの中を掻き分けながら乗り込んだ電車に揺られ、家路を辿る。
ただでさえ人と関わるのが苦手な俺にとっては、この時間が何よりも苦痛だ。
近頃多発している痴漢騒ぎもその気持ちに輪をかけている。
こんだけ混んでたら何処かしら触れちまうのは不可抗力だろう。
過剰に嫌がるヤツは女性専用車両に行ってくれ、と切に願わんばかりだ。
変に疑いをかけられないよう、右手で鞄を、左手は上に伸びている捕まり棒に伸ばす。
1時間ほど揺られていると、ようやくアナウンスが降りる駅名を読み上げた。
へろへろになりながら電車を降り、改札をくぐってスーパーへ。
疲れていたから、適当に惣菜とビールを買い込んでそこを後にする。
空はゆったりと深い深い藍色に変わりつつあった。
「さっかもっとくーん!」
ぼんやりと空を眺めていた俺の背中に、スタッカート調の明るい声がかかった。
仕事帰りにこんな元気な声を出す人間を、俺は一人しか知らない。
幼馴染みであり、5歳年下の後輩でもある、井ノ原快彦だ。
その姿を見ようと振り向く前に、どかっと物凄い勢いで体当たりをされる。
危うく転びそうになるのを何とか踏みとどまり、ぐるりと振り返りヤツの胸倉を掴んだ。
皺の無い黒のスーツがまだ、新しい。
「てめぇ、いきなり何しやがる!」
「あは、俺なりの愛情表現だよーん」
「お前の愛情表現はいっつもバイオレンスなんだよ!」
「あはは、そう?でへへ」
「照れんなよ褒めてねぇっつーの!」
「ぐええー絞まる絞まる坂本くんギブギブ俺死んじゃうから離して離して」
ばたばたと暴れる井ノ原の手に握られる買い物袋。
中身は、きっといつもと同じもので。
そのおかげで俺は、今日が何の日か思い出した。
ぱっと手を離すとどすん、と尻餅をつき、盛大に咳き込む。
「んもー相変わらず乱暴なんだからー」
「その台詞、そっくりそのままお前に返してやるよ」
「えへ。まぁいいじゃん。一緒に帰ろうぜー、今日はめでたい日なんだからさ」
「・・・そうだな」
うきうきと嬉しそうな井ノ原に、俺の頬も自然と緩んでいく。
跳ねるような足取りのそれを追いかけるように歩けば、家はすぐそこで。
古ぼけたアパートの一階の一番右の部屋に着くと、俺は鍵穴に鍵を差し込んでくるりと回した。
すぐさま井ノ原がどかどかと遠慮なく上がりこんで、その後を追って部屋の中へ足を進めると。
ヤツは勝手に裏への扉をガラガラ開け、ちゃっかりそこ(手狭な縁側らしき場所、と言ったら的確だろうか)に座り込んでいた。
床に脱ぎ捨てられているスーツを拾いながら、俺は苦笑する。
「好きだなー、井ノ原」
「うん、ここ特等席だもんね」
「まぁな。おい、ビールでいいか?」
「あ、うん」
がさがさとレジ袋を漁り、二人分のビールと惣菜を取り出す。
片方を手渡せば、井ノ原は至極嬉しそうにプルタブを持ち上げた。
ぷしゅ、と小気味良い音がして、小さく吹き出た泡に慌てて口をつける。
その姿を見ながら、俺も自分のビールのプルタブをかしゅ、と持ち上げて開けた。
惣菜を抓んでいると、井ノ原が忙しなく家の中を動き回り始める。
いつものことだ、と俺は笑いながら井ノ原の特等席に座り、子どもみたいなヤツの動作を見守った。
「坂本くん、バケツどこー?」
「お風呂場の隅。蝋燭はテーブルの上に出してあるからなー」
「ライターちょうだい、ライター!」
「その前にバケツに水入れて来いよ。二度手間じゃねぇか」
「あっ、そうだった!もー早く言えよなー!」
「毎年やってんだから、そろそろ言わなくても分かれって」
ドタバタしながらも、どうにか用意が出来たようで。
小さな縁側には水の入ったバケツとライターと、井ノ原が買って来た花火が並んだ。
298円くらいで安売りしてそうなチャチな花火セットでも、ヤツにかかれば面白そうに見えてくるのだから不思議だと思う。
ぺりぺりと粘着部分を剥がし、中に入っている花火を丁寧に取り出す。
その間俺は蝋燭に火をつけ、地面に蝋を垂らして蝋燭を垂直に立ててやった。
蝋燭が固定された頃には、既に井ノ原の行っていた作業は終了していて。
バラバラになっている花火を手にしてにこにこ笑いながら、その先端に火をつけた。
ばしゅっと勢いよく火花を散らすそれに、二人揃って歓声を上げる。
「おー花火だなー」
「花火だねー!」
「やっぱ夏はこれが無いとな」
「でしょでしょ?大人になってもこれだけは外せないよね」
「これっていうか、お前とセットで外せねぇなぁ」
「なんでよ?」
「だって、お前が楽しそうに花火やってるのを見るのがいいんだもん」
「・・・へへっ、ありがとー」
照れくさそうに笑う井ノ原を見ながら、俺はぐいっとビールを煽る。
二本同時に火をつけてみたり、ぐるぐる回してみたり、石の上に文字を書いてみたり。
子どもの頃やってはいけないよと言われたことを、井ノ原はきゃっきゃと笑いながらやっていた。
ヤツの手によって次々と花火に火がつき、本数を減らしていく。
俺も手渡されたのをやったんだけど、楽しそうな井ノ原を見ていたらいつの間にか火が消えていた。
最後に残ったのは、何本も束になっている線香花火。
井ノ原は慎重に巻きついていたテープを剥がし、それを半分ずつにして俺に手渡した。
端の方を持って蝋燭の火をつけ、しゃがみ込んでじぃっと身じろぎをせずに花火を見守る。
動かないで居ることに気を配っていると、話すことは勿論、呼吸も忘れてしまうほどだ。
ぱしっ、ぱしっと音を立てて火の玉の周りに飛び散る火花。
元の火薬の量が多すぎて、重さに耐え切れず下に落ちるものもあった。
一つ落ちる度に井ノ原が落胆の声を上げ、異常なほどにガッカリしてるのを見た俺は笑ってしまい、つられる様に火の玉を落とす。
そうこうしているうちに、あっという間にたくさんあった線香花火も、残り一つになった。
「どっちが長く続くか、勝負しようぜ」
「お前、さっきからずっと落としっ放しじゃねぇかよ」
「終わりよければ全てよしだもん!」
「はいはい」
子どものような口調の井ノ原を軽くあしらいながら、二人同時に火をつける。
ちりちりと火が紙部分を伝って燃え上がり、小さな火の玉を作っていく。
じゅくじゅくと音を立てるそれは、とても細かい火花を忙しなく散らし出す。
「・・・なぁ、坂本くん」
「んー?」
「誕生日、おめでとう」
「馬鹿、今じゃなくて決着ついてから言えよ。落ちんだろ、火」
「・・・今じゃなきゃ、駄目なんだ」
「へ?」
神妙な井ノ原の声に、俺は阿呆みたいな変な声を返し。
その衝動で、二人の火の玉がほぼ同時に地面にぽたり、と落下する。
瞬間、ぐらり、と視野が揺らいで、一気に気が遠くなっていく。
視界の片隅に何処か悲しそうな笑顔を浮かべる井ノ原が居たのが見えた、気がした。
「・・・もとくん、坂本くん!」
「・・・・・・ん」
「こんなところで寝てたら風邪引くでしょ。せっかくの誕生日なのに」
呆れたような声は、これまた幼馴染みである長野が紡いだもので。
覚醒した俺は目を擦りながら、キョロキョロと周りを見回す。
飲みかけのビールに、食べかけの惣菜はそのままで。
なのに、溶けかけの蝋燭も、終わった花火が突っ込まれたバケツも、石に書かれたはずの文字も、何処にもなかった。
代わりにふわりと漂う香りは甘ったるいケーキだ。
長野が俺の誕生日と称して自分用に買って来たようで、もぐもぐと口を動かしている。
「どうしたの、ぼけーっとして」
俺の様子がおかしかったんだろう、不思議そうな表情を浮かべて長野が聞いてきた。
「いや、今井ノ原が」
「よっちゃんが?」
「うん。庭ではしゃぎながら花火やってたんだ」
「・・・多分夢だよ、それ。だって、よっちゃんは」
辛そうに眉間に皺を寄せながら、長野はかたん、とフォークをテーブルに置く。
何で忘れてたんだろう。
そうだ、井ノ原は。
「・・・去年、事故で死んだんだった、な」
「・・・うん」
「悪い、変なこと思い出させて」
「いいよ別に。変なことなんかじゃないし」
困ったように笑いながら、長野は再びフォークを手にとってケーキを口に運ぶ。
俺も、飲みかけのビールを喉に流し込んだ。
少し温くなってしまったそれに舌打ちしながら、缶を床に置いて、一息つく。
「丁度、この時期だっけ?」
「うん。坂本くんの誕生日が来る一週間前だよ」
「よく覚えてんなぁ、お前」
「それくらいショックだったからね。弟みたいだったし、よっちゃんは」
「・・・そうだな」
二人して思いっきり可愛がってたヤツだったから、居なくなった寂しさは誰よりも大きくて。
お互いの顔を合わせる度に井ノ原のことを思い出しそうで、暫く会わなくなった時期もあった。
半年が過ぎた辺りには何とか心の整理が出来て、また会うようにはなったけど。
井ノ原の話題は暗黙の了解でタブーになっていたから、こうやって話したのは久しぶりで。
だけど、一度話し出すとそれは尽きることなく、止め処なくあふれ出す。
「よっちゃんいっつも金無くてさ、坂本くんの誕生日にはいっつも安売りの花火、持ってきてたっけ」
「で、結局自分一人で楽しそうにやっちゃうんだよな」
「そうそう。俺たちにもくれるんだけど、一番楽しそうなのがよっちゃんだった」
「うん」
夢の中の井ノ原もそうだった。
買ってきた花火を殆ど自分でやって、きゃっきゃとはしゃぐ。
俺の誕生日プレゼントだろそれ!と思いつつも、見ているのが楽しかった。
・・・本当に、楽しかったんだ。
「あれから一年経つのかー」
「だなー」
「・・・多分さ、よっちゃん坂本くんに会いに来たんだと思うよ」
「へ?」
「さっきの夢の話。坂本くんの誕生日祝おうぜ!って大分前から張り切ってたからあの子」
「・・・そう、なんだ」
「ま、非現実的だけどね」
笑いながら、長野は最後の一口のケーキを口に放り込み。
俺も缶の中に残っていたビールを、一気に喉に流し込んだ。
これ以上話していたら泣いてしまいそうで、どちらともなく口を噤む。
会話のなくなった空間に、夏の温い風が頬を撫でるようにゆったりと通り過ぎていく。
その中に線香花火の独特な匂いがしたような気がして、ふと地面に目を落とせば。
俺の足元に役目を果たし終えた線香花火が二つ、落ちているのが見えた。
END
2009.7.24 happybirthday,masayuki sakamoto.