きっと。
彼が居なかったら今の俺はなかっただろう。
そんなことを平然と言えるくらい、俺の人生の岐路にはいつも茂くんが居た。
兄ぃとは違う、力の抜けるような優しい笑みを浮かべて。





























































































特徴的な足音が耳に飛び込んできて、目を覚ます。
廊下を歩く音。
一緒に何かが擦れる音。
まだぼんやりと視界を見ていれば、がらりとドアが開いた。





















「昌宏」



















優しい声色。
出会った時からずっと、変わらない声。
何だか妙に照れくさくてぷるぷると首を振ってみると、起きてたんか、と茂くんは言った。
ぱちりと電気が点き、周りが明るくなって。
にっこりと微笑む茂くんが見えた。
俺は彼の手元を見て、さっきの擦れる音の正体が何だったのかを知る。









「・・・・・・それ」
「凄いやろ?」









わしゃ、と音を立てて揺れるのは、千羽鶴。
同じ色を揃えて並べてないからパッと見汚いんだけど、それでも千羽鶴には変わりはなかった。









「昌宏が元気になりますようにて、皆で折ったんやで」









皆で。
そう言われて想像してみて、吹き出す。
智也と茂くんはいいんだけど、太一くんと兄ぃが折り紙やってるなんて、すっげぇ違和感。
よくよく見てみれば、折り方に特徴があって。
このへろへろしてるのは茂くん。
器用な兄ぃはこの中で一番綺麗なこれだ。
あ、智也の全部名前書いてある。
じゃあこれが太一くん、か。
分かりやすいなぁ、ウチの家族は。
そんなことを一人考えていると、ぱす、と頭に手が乗った。
そのまま、撫でられる。









「昌宏は素直やなぁ」
「何が?」
「嬉しいんやろ」
「べっ、別にんなこと」
「顔。すっごいニヤけとるで」
指摘されてバッと顔に手をやれば、笑われて。
それにつられて、俺も笑う。
ウチの家族は全員、俺を笑顔にさせるスペシャリストだ。
特に、茂くんは。


























































































































千羽鶴(千羽あるかどうかは分からんと茂くんは言った)をベッドの柵に付けて。
俺が食べたいと言ったナスの煮物(実は俺が料理を始めたいと思ったキッカケの料理だったりする)の入ったタッパを横の棚に置いて。
とすん、と茂くんはようやく椅子に腰掛けた。
よく見れば少し痩せたのかもしれない。
仕事、大変なのかな。
兄ぃが働くようになってから少しは楽になったって笑ってたけど。
思いながら茂くんを見ていたら、にっこりと微笑まれる。








「ちゃんと、食うとるか?」
「うん」







・・・本当は。
用意された食事の半分も食べられてないけど。







「何か変わったこと、ないか?」
「無いよ。ずっとこのまま」







・・・本当は。
兄ぃが帰った後、発作が起きたんだけど。








「・・・少し、痩せたな」
「茂くんも痩せたね」







間を空けずに返せば苦笑いが返ってくる。
茂くんは俺のことを全部知ってて聞いてくるから。
俺はそれを知って、尚且つ嘘を吐く。
その、繰り返し。
素直じゃない?意地っ張り?
そんなことどうだっていいんだ。
俺が弱音を吐いたら、茂くんが悲しそうな顔をするから。
それを見ないためだったら、何度でも嘘くらい吐いてやる。
そう、決めた。


















「あれ、食べるか?」






茂くんが指差した先には、タッパ。
ナスの煮物が入ったそれは、さっきからとってもいい匂いを発していた。
どれだけ食欲が無くても、これだけは食べられる。
こくんと頷くと、茂くんは棚から小鉢と箸を取り出し、タッパを開けた。
ふわり、と湯気が立つ。
仕事が終わってから家に帰って、そのまま作って持ってきてくれたんだろう。
出来立てのそれを小鉢に盛り、茂くんは箸と共に俺に差し出した。
受け取って小鉢の中のナスに箸を通せば、それはとろけるように割れる。
口に運ぶと甘めに付けられた味が広がって、溶けた。
思わず、笑みがこぼれてしまう。






「美味いか?」
「・・・美味い、よ」






俺の料理も、この煮物にだけはいつも負ける。
上手く言えないんだけど、こう、茂くんの味というか。
俺には絶対に出せない、柔らかい味。
感想を聞いて、茂くんは本当に嬉しそうに微笑んだ。











食べながら、思う。
段々と増えてくる発作に、自分の命は永くないのだと知って。
こうやって茂くんの作った煮物を食べるのも後何回あるんだろう、と。
茂くんだけじゃない。
兄ぃに、太一くんに、智也。
皆と話をしたり笑ったりするのも後、何回なんだろう。
そう考えると、今過ごしている時間がとても大切で、儚くて。
つん、と鼻の奥が痛くなる。
普段ならそんなこと、ないのに。
我慢して心の中に仕舞いこむのに。
隣に居るのが茂くんだと、気が緩む。
それは小さい頃からずっと一緒で。








































































自信をくれるのが兄ぃの笑顔だとしたら、茂くんのは素直になれる笑顔だった。








































































































「・・・昌宏」








驚いたような茂くんの声。
箸を持っていた手が震える。
目の前の景色がじわりと滲んで。
ぱたり、と。
手の甲にあったかいものが当たった。
慌ててそれを拭うも、涙は止め処なく溢れて。
自分の感情を抑えきれなくなる。










「茂く・・・ん、おれ、もう、ここに居んの、やだ、よぉ」










言って耐え切れずに茂くんにしがみ付いた。
小鉢が軽い音を立てて落ちる。
突然のことなのに、茂くんは俺をぎゅうっと優しく抱きしめてくれた。
あったかい温もりに、するすると我慢が解けていく。









困った顔をされるのは分かってる。
でも、限界だった。
白い部屋。
白い景色。
白に押しつぶされそうになりながら、耐える生活。
発作が来ても、目が覚めても殆どが一人で。
俺はこうやって死んでいくんだろうかって思ったら、怖くて仕方なかった。
縋りたくても、縋れない。
縋ったとしても、結末は変わらないから。


































































だから。
皆と一緒に生きたいと願うのは諦めるから、せめて一緒に居ることまでは奪わないで。



























































「いえに、かえりたい、よぉ」
「・・・そうやなぁ」
「あにぃも、たいちくんも、ともやも、いえに、いるんでしょ?」
「ぉん」
「かえって、みんなと、いっしょにいたいよぉ、しげる、くん・・・っ」







想いがこぼれる。
一度溢れ出すと止まらずに。
止めようと思っても、茂くんの手が俺を優しく撫でるから。
涙も、想いも止まらなくなる。







「なんで、おれだけ、なの?なんで、おれだけ、しぬ、の?」
「・・・まぼ」
「みんなは、いっしょ、なのに、おれ、ひとり、なんで」









大好きなんだ。
大好きだから、離れたくないんだ。
一緒に居て、ずっと一緒で。
智也にはたくさん勉強教えたいし。
太一くんにはまだ、ちゃんと謝ってない。
あったかくなるまで頑張るって兄ぃと約束もした。
茂くんの作った料理だって、まだずっと食べてたいのに。
俺の命はきっと、この想いに耐え切れない。













そう思って泣いていたら。
俺を撫でていた茂くんの手が止まった。







































































































「・・・そうかぁ。じゃあ、僕が昌宏についてってあげよか」































さらり、と。
本当に自然に。
当たり前のことを口にするように、茂くんはそう言って。
再び、俺の頭を撫で始めた。








「・・・・・・え・・・?」
「僕と一緒やったら寂しくあらへんやろ?太一と智也には達也がおるし、僕が昌宏についてっても誰も文句は言わん」








達也も働き出したし、太一も就職する予定やし。
智也一人なら二人で働けばどうにでもなる。
料理は・・・ちょっと不安が残るけど。
それでも、皆きっと、昌宏の気持ちは痛いほど分かってくれる。
言いながらあったかい手が俺をぽんぽんと叩く。








「・・・や、やだよ・・・ぉ」
「なんでや?」
「しげるくんが、しんだら・・・みんな、かなしい、もん」
「まぁぼが死んだって皆悲しいんよ。家族がいなくなるっちゅーのは、辛い。昌宏やって、太一や智也や達也が死んだら悲しいやろ?」
「・・・・・・うん」






そうだけど。
そうなんだけど。
茂くんはまだ生きていけるのに。
俺と一緒にくるなんて、嫌だ。
一人は嫌だけど、自分の所為で茂くんを苦しませるのはもっと嫌だ。
しがみ付いていた手を離し、ぐしぐしと腕で涙を拭って、顔を上げる。
茂くんは笑顔だった。
優しく、包み込むような笑顔。










































俺の大好きな笑顔だ。

















「・・・・・・茂、くん」
「ん?」
「茂くんは、生きてよ」
「・・・・・・」
「生きて、毎日俺に、これ、作ってよ」








タッパを指差してそう言えば、一瞬ハッとした表情になる。
そして、笑みを浮かべた。
少しだけ、泣き出しそうな笑みを。








「そう、やな」
「うん。俺、茂くんの作ったこれ、大好きだもん」









ねぇ、俺さ。
いっぱい、笑うよ。
茂くんが俺と一緒に死んでくれることを当たり前みたいに言ってくれるように。
俺は茂くんに生きて欲しいってことを当たり前のように言うから。










だから、






























































































「だから生きて、茂くん」








言って。
俺は今出来る最高の笑みを茂くんに向けた。











































































































































































だけど。
茂くんには適わないことをすぐに知ることになる。










「・・・今日は」
「何?」
「今日は、ずーーーっと居ったるからな。明日仕事休みやし」
「・・・うん」
「家には帰れないけど、全員とは居られへんけど。僕がここに居ったらずっと一緒に居られるやろ?」








最初から最後まで、茂くんにはお見通しで。
俺が望むことなんて言わなくても分かってたんだ。








「・・・・・・ありがと、茂くん」







照れ隠しにぶっきらぼうにお礼を言えば。
茂くんは今日一番の笑顔を見せて、俺の頭を撫でた。










NEXT


2007.7.20