月曜日の3時をゆうに過ぎた頃。
俺はサンダルを足に引っ掛け、外に出る。
元々住んでいた家から歩いて2分もしないところに新居はあった。
新居というべきか、なんというべきか。
仕事場、ってやつかな。
とりあえず、引越しは自ら出来る場所だったから、無駄な出費も無く。
つーかそんな出費なんて出来ないくらいかなり逼迫しちゃってるわけなんだけど、ウチのお財布事情は。
今までサラリーマンしていた時の貯金に加え、友達からの借金まで使い切ったから。
預かってる子供も急に3人になっちゃったから、あいつらの学費も考えると・・・あー怖い。
でもまぁ新生活への高揚感には勝てるものがないな。
したした、と音を立てながら最後の荷物である大きな段ボール箱を抱え、よたよたと。
どさりと地面にそれを置き、目の前のそれを見上げた。
出来たばかりの看板は、年季の入った安い建物ですら輝かせる。





天気は良好。
気分も最高。
まさに絶好の開店準備日和だ。


















































































































小料理屋「味菜」






































































































がらり、と引き戸を開けると、外見のボロさに似合わない綺麗な内装が目に飛び込んでくる。
L字状のカウンターに掘り炬燵が2つと、普通のテーブルが2つ。
あんまり広くは無いけど、客がどれだけ来るかどうかはまだわかんないわけだし。
いざとなればもう2つくらいテーブルを加えるスペースは十分にあるから。
今はまぁ、こんなもんで。
メニューとか内装とか詳しいことは友達に聞いて。
食べることに関してはすっごく五月蝿いやつだから、こういう時には頼りになる。
「こういう時は、ってどういうこと?」
「うぉえぁっ?!!!!」
突然耳の近くで声がしたもんだからビックリした。
っていうか、言ってない言ってない!思ってただけ!!
「お前はエスパーかっ?!っていうかどうしてここにいるんだよ長野っ会社は?!」
声色で気づいて耳を押さえつつぐるんと振り向けば、にこやかな笑みを顔中に湛えた色白の男が立っていた。
ヤツは長野博。
俺の元・会社の同僚だ。
「坂本くん一人で大変だろうから手伝うために休んで来たんだよわ・ざ・わ・ざ」
「語尾に力を入れるなよ」
いつも笑顔でにこにこと周りの人を和ませているが。
今、目の奥は笑っていない。
「そういえばさっきの話だけど思ってただけのつもりかもしれないんだけど実はぽろっと口から漏れてたんですが坂本さんとりあえず脇腹回し蹴っていい?」
「ごめんなさい止めて下さいせっかくの俺の夢の職場が開店前から傷物になっちゃいますからー!」
半泣き状態でそう訴えれば、ふぅと呆れたような溜め息。
「嘘だって。出資した先を壊すわけないだろ」
坂本くんが一生分の勇気を振り絞って脱サラして立てた事業だもんね、って。
腰に手を当て、店内をこれまた満足そうにぐるんと見渡す。





そうなんだよな。
現状維持で老後まで一直線の予定だった俺の人生。
サラリーマンのままで過ごしていれば一応安定していたのに。





「あんの馬鹿の所為でさ」
「それってよっちゃんのこと?」
「ああ」









































































































































『坂本くんってさー、夢とかってないわけ?』
『夢?』
『そう夢。あ、英語で言えばイッツアドリームね!男だったら夢の一つや二つ、持っとかないと!』
『・・・そういうお前はどうなんだよ』
『俺?俺はあるよ。日本屈指のミュージシャンになるんだー!』
『無理だろその顔じゃ。俺は好きだけどさ』
『いやいやーそんな坂本くんのようなマニアックなファンの子、待ってます!』
『それじゃストリートミュージシャンのままじゃん』
『いいじゃないの。それもまた夢への一歩よ』
『・・・・・・夢かぁ』
『何かないの?趣味とかそういうのでもさ』
『うーん・・・老後は小料理屋でも開きたいなぁなんて思ったりしてるけどなぁ』
『小料理屋!いいじゃん!立派な夢じゃん!!』
『そうか?』
『そうだよー!坂本くんの店ならちょっとこじんまりしてて、でもアットホームで。あ、俺今すっげぇいい店の名前考えちゃった』
『なんだ?』
『味菜、ってどう?』
『アジサイ?』
『そう。味見の味に野菜の菜で、味菜。坂本くん紫好きだし、よくないよくない?』
『おー。お前そういうのは得意だなぁ』
『褒めてんのー?貶してんのー?』
『えー・・・両方?』
『ひっでー!坂本くんひでー!』













































































































































「アイツがあまりにも楽しそうに話すからさ、頭に残っちゃって」
今まで迷いも無く働いてた俺の脳裏に、井ノ原の顔がちらついて。
小料理屋「味菜」かぁ、なんて考えてたらどんどんやりたくなってきて。
確かに老後でも出来ないことはないけど。
繁盛した時にはもうお爺ちゃんになってそうだし。
どうしようか、と昼ご飯中に長野に相談すれば、いいんじゃない?とあっさり背中を押された。
それからというものの、事はトントン拍子に進んで。
安くていい物件も手に入り、別の友達からの紹介で格安で店内改装もしてもらえて。
12年間お世話になった会社に辞表を出し、これまたあっさりと俺は脱サラをしたのだった。












「ま、そのおかげでこうして夢に向けて進めたんだから感謝しなきゃでしょ?」
「まぁな。確かに後悔はねぇよ」
引越しの作業が終わったらいつもの場所に差し入れしに行ってやろうかな、なんて。
そう小さく呟きつつ、俺は持ってきたダンボールをぱかりと開く。
あと数分もすればアイツらも帰って来るだろう。
キラキラと顔を輝かせる預かり子たちの顔を想像して、思わず顔の筋肉が緩んだ。
「なにニヤけてんの坂本くん」
「いや、俺幸せだなぁと思ってさ」
「・・・思考が何だかお爺ちゃんだね」
ズバッと切り付けられ、がっくりと落ち込む。
お爺ちゃんって。
俺、まだ35歳なんですけど。





























「ただいまー!」
「「ただいまー!!」」



























あ、帰ってきた。
そう思って腰を上げれば、突撃してくる小さい影、3つ。
そのうち一人は俺にむぎゅっと抱きつき。
後の二人は新しい家の中を物珍しそうに見回している。
「まーくん、ここがあたらしいおうちー?」
「そうだよー」
黒髪を撫でてやれば嬉しそうに微笑む。
この子は准一。
俺の一番上の兄貴の息子だ。
珍しく婿養子になった兄貴があっさりと事故で最愛の妻と共にあの世に行き。
結婚をしていない俺に残った彼が渡された。
子供はまぁ嫌いじゃなかったし、彼は意外とマイペースだけどしっかりしてて、困ったことは余り無い。
最初、おじさんとかパパとかってよんだほうがええかな、と言われて。
それを長野に聞かれたら有らぬ誤解を招くなぁと思い、まーくんと呼ばせている。
「「ひっくんこにちはー!」」
「こんにちは。今日も仲良しだねぇ二人は」
長野の元に駆け寄って挨拶をした二人は、剛と健。
あいつらは俺の二番目の兄貴の子供で、珍しい双子である。
こっちの兄貴は仕事が忙しくて。
子供を預かるのに一人も二人も一緒だろ、と。
学費を保証すると言う条件と共にある意味押し付けられちゃったっていう。
・・・こうやって改めて考えてみると、ウチの兄弟って俺のことなんだと思ってるんだろう。
都合のいいベビーシッター?それとも主夫??
まぁ、困ったことは大して無いから放置してるけど。
こいつらに罪は無いしなぁ。






「ちゃんと手、洗って来いよー」
「「「はーい!」」」
俺がそう言うと、3人揃って元気よく返事をし、じゃれ合いながら洗面所に走っていく。
手はかかるけど結構素直な奴らだ。
「カワイイねぇ3人とも」
「だろ?」
「坂本くんの子供じゃないじゃん」
得意気に言った俺を再びざっくりと切る長野。
うるせーな。
分かってんだよ。
でも、育ててんのは俺だし。
俺の子だって言ったって、バチ当たんねぇだろうが。
あー。
「・・・どうして兄弟で俺だけ独身貴族なんだろう・・・」
しょぼん、と落ち込んでみるも長野は見事にスルーを決め。
いじけた視線を送れば、ばしんと頭を叩かれた。
「痛ぇっ!」
「結婚は時期が来たらするもんでしょ。どうにもならないことで落ち込むな見苦しい」
「だってさぁ」
「とりあえず坂本くんはもっと友達作りなさい」
「・・・・・・他の人に合わせるのめんどくさい・・・」
「その性格をどうにかしないと結婚は出来ません」
ぴしゃり、と言い捨てられ、確かにその通りではあるんだけどさぁ、と続けてから、はたと。
「井ノ原だって結婚してないじゃん!」
「よっちゃんは例外だねー」
俺の発言に、あの子はどうして未だに彼女が出来ないんだろう、なんて長野が首を傾げた。
コイツは妙に井ノ原に対して心配性である。
「お嫁さんの一人でも出来れば真面目に働くと思うんだけどなぁ、よっちゃんも」
いつまでも一箇所に腰を落ち着けないから心配になるよ、と溜め息混じりにそうぼやく長野。
「まるで親だな」
「坂本くんには負けるよ」
さっきの仕返しにと必死に口にした言葉は、長野の一言であっさりと消えてなくなった。
「・・・・・・」
「さて。片付けもあらかた済んだし、あの子達は俺が預かっとくから早く行きな坂本くん」
「?」
「よっちゃんに差し入れしに行くんでしょ」
「・・・あぁ」
さっき独り言として呟いたことを聞いていたらしい。
いつ頼もうかなと思っていたから、拍子抜けした。
お前はどれだけ鋭いんだと突っ込もうとしたらひょいと交わされ。
洗面所から帰ってきた3人をにこにこしながら出迎える。
そんな長野の背中を見つめながら思った。








・・・・・・俺、きっと一生コイツには勝てない気がする、と。














































































































































































暮れかけた夕方。
真っ赤な太陽が一日で最後の力を振り絞って光を振りまいている。
俺は作った差し入れを紙袋に入れ、サンダルを引っ掛けて家を出た。
ちなみに、袋の中身はフランスパンを使って作ったサンドイッチである。
和食は差し入れるとなると色々大変だから、洋食で。
人通りの薄い路地の一角に、ヤツはいつも座っている。
日中は教師として、夕方からはストリートミュージシャンとして生きている青年。
その行動力の広さには頭が上がらない。
身体があまり丈夫な方ではないため、いつ倒れるか心配ではあるのだが、本人は至って平然としている。
って、結局俺も長野同様心配してんじゃん。
俺は紙袋を手に、その姿を探した。
心地の良いギターの音に、少し鼻にかかったような優しげな声が絡み風に乗って耳に届く。
軽い人だかりが出来ていたので、すぐに分かった。









座り込んでいる男が二人。
片方は井ノ原で、もう片方は井ノ原の友達の松岡だ。
とはいっても二人でバンドを組んでいるわけではない。
松岡の傍にはキラキラと光る銀色のものが所狭しと並べられていた。
自分でアクセサリー作ってるんだアイツ、といつか井ノ原が自分のことのように得意気に話していたのを思い出す。
俺の客と松岡の客、二人で足せば一石二鳥っしょ?と。
確かに、そのようで。
井ノ原の演奏を聞いた帰りに松岡の店で商品を買っていく人もいるし、その逆の人もいる。
そういうところに回す頭はあるらしい。
今演奏中だから声をかけるのもな、と思い人だかりに混じってヤツの奏でる音を聞く。
歌も自分で作っているという井ノ原。
優しい歌詞に、優しい歌声がピッタリで。
俺がプロデューサーだったら癒し系ミュージシャンとして絶対スカウトするのに。
じーっと見てたら不意に目が合って。
途端、ぷわっと満面の笑みを浮かべてきたもんだから、ドキッとした。
井ノ原の笑顔は純粋すぎて、たまに怯んでしまう。
それは子供が親に向けるような、そんな真っ直ぐなもので。
隠しているものを覗かれてしまう気がする笑みだからだろう。
そんなようなことを長野が言ってた。
俺も、同感。
















曲が終わりを向かえ、拍手と共に甲高い声がアクセサリーを並べ商売を始めた。
それが、彼らのスタンスだ。
いくら知り合いでも横入はよくないから、客に混じって前に進む。
「いらっしゃーい、って坂本くんじゃん!」
どしたの?と笑顔で迎えてくれたのは松岡だった。
井ノ原はといえば、ファンの子らしき人に何かを手渡され、楽しそうに話している。
あれが俺みたいなマニアックなファンの子ってやつかな。
「ん。差し入れ持ってきた」
ほらよ、と紙袋を手渡せば中身を覗きこみ、うわースゲー!と声を上げて喜ぶ。
ヤツは職人の卵で、ただ今板前修業中だ。
一端の板前になったら坂本くんの店手伝わしてよ、と笑うコイツはウチの仕入先の魚屋兄弟の弟で。
魚屋は継がないのかよ、と問えば、兄ぃが継いでるから俺はいいの、と笑う。
いい意味で自由奔放な男である。
「坂本くんの店って今日開店だっけ?」
「いや、開店まではもうちょいかかるけど、店自体は今日完成したんだ」
「うっわ、そうなのー?ヨシのやつ何にも言わねぇからさー手伝いに行けなくてごめんね!」
「いいって。友達が来てくれたから手は足りてたし、それに」
「さっかもっとくーーーんっ!!」
話の途中に突然ぎゅむーっと腰元に抱きつかれ、勢いに負けて二、三歩後ずさる。
痛い重い暑苦しい。
まさに三重苦。
「差し入れしてくれたの?ありがとー!そんで俺の歌どうだった?上手かった??っていうか今日開店準備だったのに行けなくてごめんねー」
「・・・五月蝿ぇー」
にこにこと畳み掛けるように言う井ノ原に抗議するように言えば。
「ホントだよ。ちったぁ黙れヨシ」
「お前の声がワントーン下がったら考えてやってもいいぜ」
「これは地声だこの野郎!!!」
加勢してくれた松岡と井ノ原が小競り合いを始めることになってしまった。
こんな人前で堂々と喧嘩が出来るっていうのが凄い。
だって、こいつら今年で三十路だろ確か。
きちんと俺の差し入れた紙袋は安全なところに避難させてるところが可愛いけど。
周りにいた客は既に知っているようで、楽しそうに彼らを見守っている。
当の本人たちはと言えば、ぎゃんぎゃんお互いを罵っていたかと思えば、それが滑稽だったことに気づいて揃って笑い出した。
・・・・・・わからん。






「じゃあ、俺帰るな」
言えばえええーと不満そうな声。
「お前さー坂本くんの都合も考えろよ」
「そうだけどさぁ」
松岡の言葉に唇を尖らせて俯く様は本当の子供。
これが小学生の先生なんだもんなぁ。
コイツの受け持つクラスの生徒は大変だろうな・・・ってウチの子たち全員そうだけどさ。
ばいばい、と踵を返せば、
「剛ちゃんと健ちゃんと准ちゃんによろしくね!まーくんっv」
井ノ原は変な愛想を振りまきながら俺に手を振ってきた(正確には振ってきたようだ。恥ずかしくて振り返れなかった)
いや、お前ホント恥ずかしいから。
大の大人にまーくんと呼ばれ、その所為で周りの人からの痛い視線を浴びることになった俺は、足早にその場所を後にしたのだった。
もう絶対ここに一人では来ない、と心に決めながら。

























































































































































ぺたぺたと太陽を背に家に戻る道を行く。
サラリーマン時代に比べたら、一日を送ることの充実感は半端無い。
確かに不安も少なからずあるのだけど。
家には3人の子供が居て、自分をよく分かってくれる友達の長野が居て。
自由奔放に夢を追いかけている、似たレールの上に立っている井ノ原や松岡も居て。
それだけで、随分救われてる。
友達は少ない俺だけど、それだけで事足りてるから。
たくさん居なくても今のままで十分なんだよな。
うん、そうだ。
そう思うことにしよう。









さて、早く帰って夕飯の支度だ。
遅くなると長野が何言うかわかんねぇし。
後は山口に連絡入れて、仕入れの準備もしないと。
忙しいけど、楽しい。
自分の夢のためとか、誰かのために頑張るっていうのは、案外いいもんだな。








鼻歌交じりに、少し足早に。
俺は新しく出来た家兼仕事場に向かって真っ直ぐと足を進めるのだった。









END
>シリーズものになるか?!と少々不安げながらも始まりました小料理屋設定。
  イノさんの先生っぷりやら小料理屋始動やら長野くんの苦悩やら、書きたいネタはトニばっかりですが。
  ちまちまと見守ってやっていてくださると嬉しいです。
  2007.4.22