仕事に行く3時間前。
奇妙な音がするのに目が覚めた。
ヒュー、と喉鳴り。
それに加えてけほけほ、と小さな咳が聞こえてきて。
隣にいるの誰だ、と寝ぼけ眼に見れば、ウチのペット。
真っ赤な顔。
くるんと丸まって、細かく震えている。
起き上がっておでこに手を当てれば、普段よりもかなり熱かったから。
「ヨシヒコ?!」
軽いパニック状態でヨシヒコの体を揺さぶってみれば。
サカモトくん、と弱々しく俺の名前を呼んで、へらり、と笑った。



























































































































きみはきみのままで



















































































































「・・・状況を詳しく説明していただきましょうか?」
にこやかに、でもちょっと怒ってそうな口調で太一(国分先生って言ったら俺はアンタより年下だし堅苦しいから太一でいいよ、と言われた)は俺に尋ねた。
ちなみにヨシヒコは別室で治療を受けている。
この前予防注射受けたばっかりですよねぇ?って厭味をたっぷり込めた言葉に項垂れた。
そうなんだよなぁ。
これで一年間は大丈夫ですから、って。
言われたのに風邪、引いちゃったんだよなぁ。
理由を言わないと帰してもらえなさそうだったから、この前のヨシヒコ迷子騒動を掻い摘んで話した。
そうしたら。
「馬鹿野郎っ!!!」
怒鳴られて頭をべしっと容赦なく叩かれる。
小さいのにどこにそんな力が、と頭を擦ってふと戸棚を見れば、整然と並ぶプロレス雑誌。
ああ、成る程。
「あのなぁ、こんなちっちゃい子独りぼっちにして雨ん中曝しゃあ風邪引いちゃうに決まってんだろーが!!ヨシヒコくんは人間にしたらまだ赤ちゃんだろ!わかってる?!そこんとこわかってんのかアンタは?!!!」
「す、すいません・・・!」
余りの剣幕にへこ、と謝ってしまう。
や、でもあの一件は全面的に俺が悪いんだし、当然か。
そんな俺に太一ははぁ、とため息をつく。
「一応今点滴うって様子見してるけど、多分入院になるから」
「は?!入院って?!」
思いもかけない言葉に驚いて声を上げれば。
「さっき診断したら肺炎起こしてた。ヨシヒコくんは小さい上に、生まれつき体が弱いみたいだね」
と言って、くるんと机側に椅子を向けカルテに書き込む。
「肺炎・・・・・・」
「そう。ま、大事とって入院。2、3日すればよくなると思うよ」
だからそんな悲壮な顔しないでいいし、と太一は笑った。
悲壮な顔?俺が??
まさか。
そう思って傍にある鏡を覗けば。
想像以上に眉を顰めた自分が映っていて、納得させられた。











































別室に足を運ぶと、ちょうどヨシヒコの目が覚めた頃だった。
「サカモトくん」
ホッとしたような声色で名前を呼ばれ。
傍にあった椅子をベッドの傍まで引っ張ってきて座り。
ベッドの上の弱っているヨシヒコの頭をくしゃりと撫でてやる。
「苦しくないか?」
「うん、もうだいじょぶ」
笑って見せるも、まだ完全には治ってないからどこか元気が無い。
耳もへたれてるし。
細い腕に刺さった点滴の針が痛々しい。
「・・・・・・ごめんな」
ぼそり、と小さく謝罪したら。
ふるふる顔を横に振って、また笑った。
「へへ。サカモトくんいるから、いいんだ」
ヒュ、と小さな喉鳴りが聞こえたから、喋るのをやめるよう促す。
肺炎になってるっつってたっけ。
俺も小さい頃よく肺炎起こしたことあるから、辛さが分かる。
誰かにいて欲しいって気持ちも、痛いくらいに。































































































『いってらっしゃい、おかあさん。おれ、ひとりでもへいきだから、しごとがんばって』

























































急に小さい時の自分を思い出して首を振る。
この感覚は何だ。





一人でも平気。
自分で何でも出来る。





・・・・・・そうだろう?


















































「・・・今日は入院だってよ」
「ニュウイン?」
「えーと、家に帰らないでこのままここに泊まるっつーこと」
「おみせにはいっちゃだめなの?」
「だーめ。お客さんにうつしたらどうすんだ」
嗜めるとヨシヒコはしょぼんと項垂れた。
「早く帰ってきてやっから、大人しくしてろよ」
わしわしと頭を撫で、名残惜しいんだけどそれを離す。
時計を見ればあと1時間。
家で準備して出かけるのにギリギリの時間だ。
じゃあな、と言って立ち上がると。
「・・・サカモトくん、いっちゃうの?」
ヨシヒコが悲しそうにして俺のことを見上げた。
うっ・・・その瞳、反則。
「し、仕事だから仕方ねぇだろ」
「・・・うんー・・・」
「終わったらすぐこっち来るし。あ、脱走しなくていいからな。ちゃんと戻ってくるから待ってろよ」
「・・・・・・」
「・・・返事しろヨシヒコ」
「・・・・・・おふろ」
「ん?」
「・・・また、いっしょにおふろはいっていいならまってる」
すん、と鼻を鳴らしながら交換条件提示。
どんどん厭らしい知能付けてんなぁコイツも。
まぁ内容が可愛らしいから憎めないんだけど、ね。
「風呂、な。わかった。お前の風邪が治ったらまた一緒に入ろうな」
「うんっ!」
約束するとぷわぁっと笑った。
点滴のおかげか、さっきより顔色がよく見える。
ヨシヒコにつられて笑って、病室を後にしようとくるりと振り向いた瞬間。
後ろに人がいてビビって思いっきり後ずさった。
「うおっ」
け、気配全くなかったんですけど?!
そこに立っていたのは満面の笑みを浮かべた長野。
腕を組んでにっこりと微笑んでいるけど、付き合いが長いから分かる。
目が、笑ってない・・・・!
「どーこ行くの?坂本くん?」
「ど、どこってお前、仕事に決まって・・・」
「し・ご・と?」
俺の言葉を普段より低めの声で反芻しながらじりじりと間合いを詰めてくる。
え、え、え。
何か悪い事言ったか?俺。
「自分のペットが風邪引いてるっていうのに仕事行くわけ?へぇ〜坂本くんってそんな薄情者だったんだぁ」
「そ、それとこれとは・・・っつーか何で知ってんだお前!!」
「茂くんがそれはそれは懇切丁寧に状況説明をしてくれたよ」
「・・・・・・!!」





そうだ、そうだった。
茂くんは長野の真の笑みの判別が出来ない人だった。
彼の目にはきっと、とても思いやりのある好青年に見えたんだろう。
顔が優しいって、罪。





「よっちゃん」
長野がベッドに近寄って名前を呼ぶと、ひょこ、と耳が反応した。
姿を確認するなりぷわ、と笑顔になる。
「ながのくん、だぁ」
「ふふ、こんばんは。調子どう?」
「さっきよりくるしいのなくなったよ」
へへ、と笑いながら状況報告。
汗ばんだ髪の毛を撫でられて嬉しそうにする。
「・・・長野、お前仕事は?」
「休んじゃった。あ、後茂くんから伝言」
「何?」
「『どうせ出勤したって気ぃ漫ろで役に立たへんやろから、今日は休め』だってさ」
「・・・・・・でも」






仕事は仕事だし。
小さい頃から俺はそうやって生きてきた。
今日も仕事で遅くなるから先にご飯食べてて、ってお金渡されて。
仕事が最優先。
いつもいつもそう言われて。
それが当たり前になってたから、尚更。







「・・・そう言う思ってたわ」
のんびりとした関西弁が聞こえてきて。
まさか、と顔を上げれば、茂くんがいた。
お見舞い用の花束を腕に抱いて、ふわりと穏やかな笑み。
「え、茂くん店の準備は?!」
「今日は休業」
「何で?!」
「ナンバーワンとナンバーツーがいないのに営業も何もあらへんやろ」
「だから俺が、」
「そーれーに」
茂くんは俺の言葉に被るようにして、
「よっちゃん風邪引かせたんは坂本だけの所為ちゃうやろ」
と、言いながらヨシヒコのベッドに近寄る。
その後を追って小さいものが物凄いスピードで走っていく。
よく見たら果物がぎっしり詰まった籠を一生懸命抱えたマサヒロだった。
「ヨシ!生きてるか?!これ兄ぃの店の果物だぞ!風邪なんか一気にぶっ飛ぶって言ってた!!」
果物籠を持ったままベッドに飛び乗る。
もそもそと近寄っていって、こつん、と二匹のおでこがぶつかった。
「マサヒロだぁ・・・それにシゲルくんも・・・」
げんきー?なんて言いながらふにゃりと笑うヨシヒコ。
こうやって見てると痛いほど分かる。
ヨシヒコが寂しがり屋だっていうことが。
まるで、小さい頃の自分を見ているようで、自然と目を逸らす。


















































どんなに辛くても、どんなに苦しくても誰かと一緒にいる方が頑張れる。
知ってたんだ。
でも、いつの間にかそんな感覚は俺の中から消えていた。
否、消さなきゃいけなかった。
そんなこと言ったら嫌われてしまう。
邪魔だと思われてしまう。
だから我が儘言っちゃいけないんだ。
ずっと一緒にいて欲しいなんて、言っちゃいけないんだ。
俺は一人で何でも出来るようにならなきゃ。
暮らす為の手段は全て身につけた。
邪魔にならないように言われたこと全てを素直に頑張った。
だけど、いなくなってしまった。
大切な人は、俺を置いて。
それが、10歳の時。
天涯孤独になって途方に暮れていた俺に手を差し伸べてくれた茂くんにさえ。
甘える術を忘れてしまった俺は、牙をむいた。











だいすき。
だけど、すきになったらまたすてられるよ。











小さい俺が泣きそうな顔でそう、訴えてくる。
それなら深入りしないで、軽く付き合えばいい。
切り捨てられても傷つかないようなヤツをたくさん作ればいい。
これ以上、小さい俺に辛い顔をさせるのは嫌だった。

























































「サカモトくん」



















声が聞こえてハッと振り向くと、足にあったかいものが当たる。
まとわりつきながらぎゅう、と弱々しく抱きしめてくるそれは、ベッドで寝てるはずのヨシヒコで。
慌てて持ち上げたら、ぺろ、と頬を舐められた。
「・・・ヨシ・・・っ」
「どうしてないてるの?つらいこと、あったの?」
ぺろぺろ。
舐められながら言われた言葉で初めて、俺は自分が泣いているのを理解する。





何で泣いてんだろう。
知らない。
こんな感情、知らない。
俺は、










「サカモトくんはサカモトくんで、そのまま、サカモトくんのままでいいんだよ」

































文法として成り立ってない言葉が、妙に胸に刺さった。


















































ずっと責められてるみたいだった。
風邪を引いた小さい子を一人にさせるなんて、って。
でも、俺は一人でいたんだよ。
苦しくても辛くても。
だから、そうやって言ってくれる人がいることに嫉妬してた。
ヨシヒコはいいな、って。
小さい俺が唇を尖らせて言ってた。





























『おれも、わかってくれるひとがほしかったよ』




























































































































・・・・・・あぁ。
今の俺は、あの時の、俺を捨てたアナタそのものだ。














































































































「・・・っく・・・っ」
「さみしくないよ。サカモトくんはおしごと、がんばるから、おれは、げんきになるようにがんばるんだ」
げんきになったらおふろはいる。
サカモトくんといっしょにおふろ、はいるんだもん。
ね?と首を傾げて俺を見てきたから、頷く。













お前は、俺だ。
誰かに傍にいて欲しいと願う、あの時の俺なんだ。
まだしがみつくことを忘れてない、寂しがり屋の頃の。
やっとわかった。
無意識に俺はお前と自分を重ね合わせてたんだ。
だから、泣けてきた。
懐かしいような、ホッとするような、申し訳ないような、そんな感覚が入り混じって。













「・・・・・・坂本」
関西訛りのある声が心配そうに降ってくる。
会った頃からずっと、ずっと俺を気に留めてくれた。
その気持ちに今なら素直に感謝出来る。
袖で涙を拭き、なんでもないからと笑って見せた。
ついでにヨシヒコの髪をぐしゃぐしゃと混ぜて、ぎゅうっともうひとハグ。
「ぎゅーー・・・・へへへっ」
嬉しそうなヨシヒコを見て、ふわりと心が軽くなる。
ごめんな、って心の中で謝りながら。
「・・・店、休みになったから今日はここにいるよ」
「ホント?!!」
「あぁ。・・・・ってお前元気だな」
「サカモトくんがいたら、おれ、げんきだよ!」





今まで来た人に向けた中で一番の笑みをもらって。
胸の中につっかえていたものが飛んでいく。
いとも、簡単に。





ヨシヒコが笑ってくれたら俺は救われる。
だって、小さな俺も一緒に笑うから。





否定されてきた俺の生き方をあっさりと肯定してくれたヨシヒコを、悲しませることがないように。
そう願って、腕の中の彼をもうひと撫でした。










END
『きみの特技はなんですか?』の番外編。というか続編です。
拓生さまのひょんな一言により誕生。
この辺で坂本くんの心を閉じた過去も暴いてしまおうかと、一緒にしてしまいました。
子供の頃に大人にならざるを得なかった人、がテーマで。
2007.1.28