「まぁくんとひっくんはよしくんのおにいちゃんだよ」
快彦は屈託のない笑顔でいつもそう言う。
お兄ちゃんという響きに俺と博は喜びを覚えて。
二人でぎゅうぎゅうに快彦を抱きしめたりした。






可愛い弟。
血の繋がりなんていらない。
そう、思ってたのに。




































































































お兄ちゃんと弟。






































































































幼稚園から電話がかかってきたのは昼の1時を過ぎた頃だった。
学校のアナウンスで俺が呼び出され、その電話を受け取る。
「もしもし!」
『坂本快彦くんのお兄ちゃん?』
「はい」
受話器から聞こえてくる声はとっても優しいもの。
それが俺の焦った心を少し落ち着かせてくれる。
『幼稚園の先生の東山と言います。今から学校抜けたり出来るかな?』
お家にも連絡したんだけど誰もいなくて、と東山先生は言った。
そうだった。
今日はお父さんもお母さんもいない日だった。
「・・・快彦が何かやったんですか?」
小さな声でそう問うと、違うよと返事があって、ホッとする。
でもね、と東山先生は続けた。
『快彦くんが元気なくて。お兄ちゃんに会いたいって言ってるから』
その言葉を聞いた瞬間、俺は行きます、と返事をして電話を切った。
先生の了承を取らなくちゃいけないけど、無理矢理もぎ取る自信すらあった。
それくらい、俺は心配で心配で仕方なかった。
快彦は元気のカタマリって言ったっていいくらいのヤツだから。











































幼稚園に着いて玄関から中に入ると。
大きな男の先生らしき人と快彦が一緒に座っているのが目に入った。
「快彦!」
叫んで駆け寄ると、目線が合って。
いつもならまぁくん!なんて言ってぷわっと笑ってくれるのに。
彼の瞳はウロウロと居心地悪そうに動いてから、下に向かって突き刺さる。
俺は少なからずショックを受けた。
「快くん、お兄ちゃん来てくれたよ」
会いたいってずっと言ってたんだもんね、と諭してくれている男の人。
声ですぐ東山先生だとわかった。
彼の呼びかけにも快彦は下を向いたままで。
東山先生はふぅっとため息に似た空気を吐いた。
「ちょっと前からずっとこうなんだ。いつもは元気よくお話してくれるんだけど」
家で何かあったとか、そういう心当たりないかい?と聞かれ、考える。







快彦は朝はいつも通りだった。
にこにこしながらパンをかじって。
園に着くまでまぁくん、ひっくんって俺たちの名前を呼びながら両手を繋いで。
きょうはおえかきがあるんだーまぁくんとひっくんかくからね!なんて嬉しいことを言ってくれていたんだ。







「・・・・何も・・・」
「だよね。朝来た時はいつも通りだったから」
どうしたんだろう、と首を傾げながら快彦の頭を撫でる。
俺はひょいっと快彦を抱き上げ、下から顔を覗き込んだ。
「快。どうした?」
「・・・・・・」
「兄ちゃんの目、見ろよ」
言うと、恐る恐る快彦は俺と目を合わせて。
瞬間、目を潤ませた。
「・・・・・快」
「・・・ぅ・・っまぁくん、が、よしくんのおにいちゃんじゃないって、いわれたぁ」
涙声でそう言ってから、快彦はうわーんと大声で泣き出した。
































































『よしくん、これだぁれ?』
『まぁくんとねーひっくんだよ!』
『まぁくんとひっくんって、だれなの?』
『よしくんのおにいちゃんだよ!』
『なんで?よしくんはあそこのおうちの子じゃないんでしょ?』
『・・・・・・うん』
『じゃあまぁくんもひっくんもお兄ちゃんじゃないんだよ』
『・・・・・・・・・・そうなの?』
『うん。お母さんがそう言ってたもん』




























































































がん、と頭を強打されたようなショックに襲われる。
何でそんなこと、言うんだ。
俺たちは兄弟だ。
誰がなんと言っても。
確かに誰かに否定されたら少なからず不安になる関係でもある。
現実的には兄弟じゃないって言われても全てを否定できない立場にあるから。
だけど、それでも。








周りの視線がこっちに集まってくるのがわかる。
俺は快彦の顔を胸に押し付け、背中をポンポンと叩いた。
「何言ってんだ。俺は快の兄ちゃんだぞ」
「・・・・がぅ・・・っ・・・っちがぅもんっ」
「違わない。俺とお前は兄弟なんだよ。俺を信じろ」







言い聞かせるように、しっかり言葉を紡いでも。
ぎゅうっと力強く抱きしめても。
快彦は一度も、首を縦には振らなかった。



















































































こんな状態で幼稚園に預けておくわけにもいかなくて。
俺は快彦を連れて家に帰ることにした。
ばいばい、と手を振ってくれた東山先生にも目を合わせないで。
快彦はただ下を向くだけ。
ぺこり、と頭を下げて顔を上げた時、彼が困ったような笑顔で見送ってくれたのが見えて。
俺は少し胸が苦しくなった。






だけど。
同時に俺は思った。
ここで快彦の元気を出すのは俺の役目だ。
ぎゅっと繋いだ手を握り締める。










繋いだ手だけが、俺の自信だった。











「快、帰ったら一緒に遊ぼうか」
「・・・・・・」
ふるふる、と首を横に振る。
へこみそうになるけど、ここはぐっと堪えた。





快彦の好きなこと。
好きなもの。
したがること。
それを脳みそフル回転して思い浮かべる。





「ほら、前にグロ−ブ買ったろ?一緒にキャッチボールしようぜ」
俺の自慢できる唯一の特技。
いつもなら嬉しそうに頷くはずなのに。
快彦は再び首を横に振った。
「じゃあ、一緒に・・・」
「やだっ!!」





小さい体からは想像できないほどの力で。
俺の手は振りほどかれた。
見上げてきた顔は涙でぐちゃぐちゃで。
目は真っ赤になっていて。
どうしようもなく、悲しくなるような、そんな表情で。







「まぁくんはよしくんのおにいちゃんじゃないもんっ!!」
「快彦っ!!」







ほどけた手が。
快彦の頬にべしっと当たる。






じん、とそれは熱を持った。
まるで繋いでいる時以上のぬくもりが宿ったようで。
俺は柄にもなく泣き出しそうになる。
みるみるうちに快彦の目には涙がたまって。
ぽろぽろと下に雫が落ちていった。






「・・・・ぅう・・・うえぇー・・・」







やりすぎた、なんて。
この時ばかりは思わなかった。









「どうしてそんなこと言うんだよ!俺は・・・っ俺も博もお前のこと弟だって思ってんのに!
 お前が俺たちのこと信じてくれないと、どうしようもないだろうが!!」







鼻がつん、と痛んで。
涙が溢れそうになるのを歯を食いしばって堪える。







しっかりしなきゃ。
ちゃんとわかってもらわなきゃ。
俺はお兄ちゃんで。
快彦は俺の弟だってこと。






それだけが頭にぐるぐる回っていて。
快彦の困惑した顔が、見えてなかった。





・・・いや。
多分、見れなかったって方が正しいんだろう。






怒鳴ってからも、俺の怒りや不安は収まらなくて。
結局、俺は快彦の手を取り、無理矢理引きずるようにして家に帰った。























































































「どうしたの?昌兄」
帰ってくるなり、博が俺に声をかけてきた。
それもそのはず。
同じ部屋に俺と快彦がいるのに、二人とも端っこに寄って座ってたからだろう。
快彦は隅っこで丸くなってぐずぐず言っている。
声をかけようなんて、思えなかった。






「・・・・・・喧嘩した」
「喧嘩したって、よっちゃんと?」
博は目を丸くして俺に尋ねた。
こくんと頷くと、ますます驚きを隠せないって顔をした。
「なんで?」
「・・・快彦が、俺のこと兄ちゃんじゃないっつったから」
「は?なんでそんな話になるの?!」
「知らねぇよっ!!!!」
怒鳴って立ち上がる。
博の言葉も、全部聞いていられない。
それくらいに俺は動揺していた。













「・・・とにかく、座ってよ」
少しきつめの口調の博に促されて、座る。
・・・何故か、正座で。
「よっちゃんも、おいで」
静かに、でも俺に対してよりは優しげに快彦を呼ぶ。
それでも、快彦が来る様子はなくて。
やっぱりな、と俺が下を向いた瞬間、博が立ち上がった。
すたすたと快彦のところに足を進める。






「よっちゃん」
「・・・・・・」
「おいで、よっちゃん。起きて」
「・・・・・・」





博の言葉にも反応しない。
それどころか耳を塞いでそっぽを向いてしまった。
そんな快彦を、博はじっと見ていて。






突然。
博は快彦の襟元を掴んで俺のほうに引きずってきた。
・・・笑顔のままで。






「ひ、ひっく・・・んっ」
引きずられた当本人はかなり動揺していて。
っていうか俺も動揺してて。
だって、博が快彦に無理強いしたところなんて、初めて見たから。
「おいでって、言ったのに言うこと聞かないからだよ」
「・・・・・・」
「何か間違ったこと言ってる?俺」
快彦は首を横に振って見せた。
かなり一生懸命に。
それくらい、博の今の表情は怖かった。







「じゃあ、話してもらおうか?」







にっこりと。
笑顔で俺たちに話をふる博。
俺と快彦には首を縦に振るという選択肢しか残されていなかった。




































































































「ふぅん。そういうことか」
話を聞き終わった後、博は腕を組んで頷いた。
俺は膝に手を置き、床に目を落とす。
本当は言いたくなかった。
辛くて悲しくて、泣きそうになるから。
博ははぁっとため息に似た息を吐き出す。
「今回は悪いけどよっちゃんに味方は出来ないな。不本意だけど」
「不本意って・・・お前」
「だって俺、よっちゃんの方が大事だもん」
言いながら快彦の頭を撫でる博。
にっこりと笑う表情がいつものものに戻っているのを見て、安心したのか。
快彦はそろそろと目線を博のそれに合わせた。







「ねぇ、よっちゃん。兄弟ってどうやって書くか知ってる?」
「・・・・しらない」
久々に声を聞いた気がする。
涙に滲んだ声だったけど、俺はそれを聞いてどこかホッとした。
「お兄ちゃんと弟って書いて兄弟って読むんだよ。だから、お兄ちゃんと弟がいたら兄弟になるんだよ」
「・・・うん」
こくん、と頷く。
それはしっかり分かっているらしい。
「俺も昌兄もよっちゃんのお兄ちゃんだって思ってる。だけどよっちゃんが俺たちの弟だって思ってくれてなかったら、兄弟になれないんだよ?」
「・・・おもうだけじゃ、だめだもん・・・」
「そんなことない。思うだけで兄弟になれるんだよ。さっきお兄ちゃんと弟がいれば兄弟だって言ったでしょ?」
そう言うと、博は快彦をひょいっと抱き上げた。
肩に快彦の顎を置くようにして、背中を軽く叩いてみせる。
「よっちゃんが思えば、いつでも兄弟になれる。俺も、昌兄も」
「・・・うん」
「じゃ、聞くよ?よっちゃんは俺たちの弟だよね?」





だよね、って。
軽く脅しかかってるような聞き方で博は尋ねた。
快彦はちょっと考えた風に見えたけど、すぐにこくん、と首を縦に振る。
そして、俺と博を交互に見た。
「よしくんは、ひっくんとまぁくんのおとうと?」
そんな弟の質問に。
「当たり前だろ」
「うん。っていうか始めからずーっとよっちゃんは弟だよ」
俺と博は間髪をいれずにそう答えて。
聞いた瞬間に快彦がぶわぁっと笑顔になったのを見て、ホッと胸をなでおろしたのだった。






























































夕食後。
布団の中で快彦が書いた絵を見せてもらった。
・・・だけど。
どっちがどっちだかわかんなくて。
だって、何かもうまず書かれてんのが人間かどうかさえ疑っちゃうような絵だったから。
首を傾げた俺たちに、むうっと膨れた顔を見せた。
「こっちがまぁくんでこっちがひっくんだよぉ!」
丸らしき部分を指差して訴える快彦のあまりの必死さに。
俺と博は盛大に吹き出してしまった。
「なんでわらうのー?!」
「あっはっはっは、ごめんごめん」
「快、もうちょっと練習しろ。これ人間じゃないぞどう見ても」
俺たちに頭をぱすぱす叩かれて、憮然とした表情になる。
「まぁくんとひっくんだもんっ!!」
「はいはい。ありがとよっちゃん。これ、昌兄の机の前にでも貼っとこうか」
「勘弁してくれ。笑い死ぬ」
「だねー」
二人で大爆笑していたら。
急に快彦がしょぼんとした。
「いっしょうけんめいかいたのに、まぁくんもひっくんもうれしくないの・・・?」
悲しそうな顔をする快彦を見て。
俺はにぃっと笑って博に目配せをした。
その意味をきちんと汲み取ってくれたらしい。





せーので同時に。
快彦布団巻きの刑、執行。





「ぎゃーーーー!」
布団で快彦をぐるぐる巻きにして、ぎゅうっと抱きしめてやる。
「ばかやろー」
「もちろん、嬉しいに決まってるじゃない」
「ホント?!」
ぴょこん、と。
布団の巻口部分から快彦が勢いよく顔を出す。
「ホントホント」
「だから悲しそうな顔、すんなよな」
「うん!」
にかっと笑顔になる快彦に、俺たちもつられて笑顔になった。






俺のすきな表情。
きっと、博もすきだと思う。
その笑顔が、ずっと続けばいいのにと。
願いながら俺は快彦の頭をがしがしと乱暴に撫でた。










END