アナタには血の繋がらないお兄ちゃんが居るのよ。
俺の母親が死ぬ前に俺に伝えた真実。
ずっと一人っ子だと思っていた俺は、兄貴が出来たことがただ単純に嬉しかった。
手がかりはたくさんあって、兄貴本人はすぐに見つかった。
さっそく有給を取って、いい香りの漂う職場に足を運ぶ。
だけど、事情を話した俺に彼は冷たくこう言ったのだ。
「今の話は聞かなかったことにしてやるから、帰れ」
あの時のあの声色はきっと、生きている限り俺の中から消えることは無い。
捨てられた身内と拾われた他人
これはちょっと昔の話。
俺がまだ長野くんと同じサラリーマンだった時だ。
ようやく仕事に慣れてきた時期に母親が亡くなって、同時に真実を知って。
色んな手段を使ってやっと探し出した兄貴に冷たく追い返された後。
夕暮れに染まる帰り道をとぼとぼと歩く俺の心はブルーに染まっていた。
あんまり落ち込まない方なんだけど、さすがに今日は凹んだな。
たくさん期待してたから、裏切られた感が倍増している。
もっと優しくて、でかくて、こう、俺と同じくらいに喜んでくれると思ってたから。
でも同時に、当たり前かもしれないとも思う。
自分を捨てた家族となんて、会いたくないのかも。
両親を二人とも亡くして天涯孤独になった俺としては、唯一の身内だから会いたかったんだけどな。
ため息をついていると、ポケットの中の携帯がブルブルと震えた。
見れば「長野くん」の文字がディスプレイに映し出されている。
俺はブルーな気持ちをぶんぶんと振り払い、通話ボタンに指を添えた。
「もしもーし」
『あ、よっちゃん。仕事終わった?』
「今日は有給取って休んだんだよねー」
『あれ、お母さんの四十九日って今日だっけ?』
「違うよ、別の用事で。どしたの長野くん」
『そうそう。気分転換に一緒にご飯食べない?』
美味しいお店見つけたんだよねーと嬉しそうな長野くんは自他共に認めるグルメである。
休日の殆どはお店巡りに使っているらしい。
たくさん食べてるはずなのに太らないからズルいのだ。
そんな長野くんのお誘いを、俺は二つ返事でオッケーした。
ブルーになっちゃった気分を元に戻すにはお酒に頼るしかないでしょ。
飲んで騒いで、今日のことなんて綺麗サッパリ忘れてやるー!
正体無くすまで飲んでも、たくさん愚痴っちゃっても、長野くんが居るなら大丈夫。
しっかり者でとっても頼れるお兄さんなのです。
「俺、長野くんが兄貴だったらよかったなぁ」
美味しい焼き鳥のお店で長野くんと合流して。
普段の約1.5倍くらいのペースでお酒を流し込み。
くるくるといい感じで酔いが回ってきた頃、俺は無意識にそう呟いていた。
小さい声だったから気付かないだろうと高を括っていたのだけれど、長野くんはバッチリ聞き取っていたらしく、怪訝そうに俺の顔を覗きこんできた。
「急になに言ってんの、よっちゃん」
「だってさぁ、優しいしさー面倒見いいしさー俺のことすっげぇ好きでいてくれるでしょ?」
「ええと、最後のはノーコメントでいいかな?」
「ちょ、ひどーい長野くーん!」
俺泣いちゃうよーと言いながらグラスの中身をぐいっと飲み干す。
あー焼酎のレモン割りうめー。
通りすがりの店員さんにもう一杯くださいと明るく言っていると、ついでにと長野くんも追加注文をした。
っていうかこの人さっきから何本食ってんだ?
味見したいからって全種類二本ずつ頼んで、それからだから。
えーと、えーと。
・・・・・・ま、いっか。
そんなことよりも、胸の中に引っかかってる今日のことが苦しくて。
長野くんなら聞いてくれるかな、なんてぼんやり思いながら俺は口を滑らせた。
「あのさ、今日俺会社休んだって言ったでしょ?」
「うん、さっき聞いたよ」
「実はね、俺に兄貴が居たんだー」
「・・・ご両親離婚してたっけ?」
「ううん、してないよ。血の繋がってない兄弟」
「そうなんだ」
「で、有給使って会いに行ったんだけど、すっげぇ冷たく追い返されちゃった」
せっかく兄貴が出来るって思って喜んでたんだけどな、俺。
どんな人かなーってわくわくしながら出されたケーキを食べながら待ってて。
実際に会ってみたらすっげぇかっこよくて。
あーこれは血繋がってないわけだ、なんて自虐までしちゃったりして。
でも、俺を見つめてくる目はずっと敵意を失わないまま。
かけられた言葉だって、到底俺のことを家族とか弟みたいに思ってないような感じで。
その場に居ることすら辛くて、飛び出てきちゃったっていう。
「なーんかすげー凹んじゃってさぁ。そんな時長野くんが誘ってくれたから、正直有り難かった」
「・・・そう」
「うん。・・・ごめんねー何か湿っぽい話しちゃって。・・・よし、話題変えよう!ほら、この前長野くんが見つけたっていうラーメン屋のさー!」
「辛かったね、よっちゃん」
必死に明るい方に話題を変えようとしてるのに、長野くんは神妙な顔をして俺の頭を撫でた。
労わるようなあったかいそれに、俺の涙腺がぐだぐだになる。
どうしてこの人が兄貴じゃないんだろう。
どうしてあんな人が俺の兄貴なんだろう。
なんか、直前まで喜んでた俺が馬鹿みたいで、惨めで。
そんな俺に気付いてくれる長野くんの前で、酔いに任せて俺は泣いた。
それから暫くして、俺は脱サラを決意した。
自分のやりたいことから目を背けるのに耐えられなくなったからだ。
カフェの間取りや内装もさくさくと決まり、後はパティシエだけ。
そうなった時、俺はもう一度兄貴と連絡を取ることにした。
『今の話は聞かなかったことにしてやるから、帰れ』
俺の中に残っているその言葉。
ずっと、ずっと後悔していた。
どうして俺はあの言葉にあっさりと負けてしまったんだろう。
泣き喚くとか、しがみ付くとか、手段はたくさんあったはずなのに。
あの頃の俺を責めるわけではないけど、そのままにはしておきたくなかった。
一種のケジメ、みたいなもんだったのかもしれない。
新しいことを始めるのなら、後悔を少しでも無くしたいっていう。
決死の思いでかけた電話は、すぐに繋がり。
けれど、俺の期待していた結果は得られなかった。
電話を受け答えしてくれた人によると、彼は一週間前に職場を辞めたらしい。
何かいざこざがあったみたいなんだけど、流石にそこまでは教えてもらえなかった。
会いたいので住所を教えてくださいと言ったら、意外とすんなりと教えてくれて。
個人情報保護法とか意識してたから無理だったら探偵に頼んででも、と思っていた俺は拍子抜けする。
容易くゲット出来た住所を書いたメモを持って、俺は彼の家を探し。
これまたさっくりと見つかったアパートの一室のインターホンを押した。
『・・・はい』
「あの、俺、井ノ原です。前に一度お会いした、」
『・・・帰れ』
ぶつっ。
無常にも切られるインターホンの通信。
でも俺はへこたれずに、もう一度インターホンを押す。
何度も何度も押して、返答を得られずにいてもまだ押して押して押して。
もはや悪戯にしか思えない行為を何度も繰り返していると、思いっきり乱暴にドアが開けられる。
ぶすっと仏頂面をした彼が顎を使って中に入れ、と促してくれた。
傍から見ても怪しいし、アパート内で騒ぎにして欲しくないとも思ったんだろう。
俺はお言葉に甘えることにして彼の部屋にお邪魔した。
男の一人暮らしにしてはこざっぱりとしていて、生活感も何処と無く漂っている室内。
ソファに座っていると、俺の目の前に白い湯気を吐くコーヒーカップが置かれた。
「・・・で、何の用だ?」
「あ、えっと」
「っつかお前、どうやってここのこと知った?」
「前行った仕事場に電話したら、教えてくれました」
「ちっ、余計なことしやがって」
あからさまに嫌そうな顔をしている彼に再びめげそうになる。
けど、今日は凹む為にここに来たんじゃない。
そう思い直し、俺はぎゅうっと拳を握り締めた。
「あの、今日はお願いがあって来たんです!」
「お願い?俺の兄貴になって欲しいとかそういうのは前に断ったはずだぞ」
「それは追々」
「追々じゃねぇよ。俺とお前は血の繋がりの無ぇ赤の他人だ」
「・・・っ」
「大体な、踏み込まなくてもいいところまで足を出すんじゃねぇよ。知らなくてよかったことなんて世の中に五万とあるんだ。だから聞かなかったことにするっつったろ」
「・・・・・・どうして?」
「あ?」
「どうして踏み込んじゃいけないんだよ!俺とアンタは血は繋がってなくても兄弟だろ?!血が繋がってなきゃ兄弟になっちゃダメなのかよ?!そんなの、そんなの俺、納得出来ねぇ!」
頭が熱くなって、何を言ってるのかもよく分からなくなる。
ついでに最初使ってた敬語も思いっきりぶっ飛んだ。
だって、何もかもを跳ね除けようとして俺の言うことを一つも真面目に聞いてくれないから。
寂しくて悔しくて、わーっと捲し立てて彼を見つめる。
いや、もう睨みつけるっつった方がいいくらい。
すると、彼は不思議そうな顔をして俺のことを見つめ返してきた。
「・・・なぁ」
「何だよ」
「お前、親から俺のことを何て聞いた?」
「・・・貴方には血の繋がらないお兄ちゃんがいる、って」
「・・・それだけか?」
「それだけで十分だろうが!」
「・・・十分じゃねぇよ、それだけじゃ真実がひん曲がってるんだ」
「へ?」
「その真実をお前が聞きてぇなら教えてやる。でもお前にとってはあんまりよくないニュースだ。だから、聞きたくないっつーなら言わねぇ。どうする?」
どうする、っつったって。
ここまで来てまだ俺が知らないことがあるんなら、聞かなきゃ。
それがどんな事実だろうと、きっと聞かないで後悔するよりはマシだ。
そう思い、彼に向かって首を縦に振ると。
少し間を置いてから、彼はゆったりと口を開いた。
「確かに俺とお前は血が繋がってねぇ。けどな、お前はお前の両親とも血が繋がってないんだよ。二人の本当の子どもは俺だ」
「え、なんで・・・?」
「ちょっとした手違いでな、俺が行くべき場所にお前が行ったんだよ」
彼から聞かされたのは、物凄い濃い内容の新事実だった。
元々両親は互いの祖父母から結婚を反対されていたらしい。
でも、彼女のお腹の中には既に赤ちゃんが居た。
それが、彼。
生まれてからすぐに、彼は祖父母の力によって両親から引き離され施設に預けられた。
その行為に今まで黙っていた両親も堪忍袋の緒が切れ、時間はかかったけれどどうにか縁を切った。
赤ちゃんを取り戻そうと施設を当たるも、転々と移動を重ねていて消息が掴めず。
年月を経てようやく探し出したと思ったら、二人の元に来たのは俺だった。
彼と俺の年齢は離れているから、何をどう間違ったかは分からないけれど。
施設側の間違いだと気付いた両親は、一旦は俺を送り返そうとしたみたいで。
だけど、思った以上に俺が懐いてしまい、手放せなくなったようで。
二人を引き取るかどうか相談しているうちに、彼の行方がぷっつりと途絶え。
疲れ果てていた両親は、彼の代わりとして俺を育てたのだと、彼は言った。
現実味の無い話に、俺はぽかーんと口を開けるしかなく。
や、だって、そうだろ。
てっきり俺は彼の方が血が繋がってないと思っていたのに。
自分の両親だと疑わずに居た人たちが、実は他人だったなんて。
凄く呆けた顔をしていたんだろう、彼が心配そうに俺を覗きこんできた。
「・・・別にお前のことを恨んでるとか、そういうんじゃねぇぞ。両親も仕方なかったんだよ、多分」
「・・・・・・うわー」
「だから聞かなかったことにしてやるっつったんだよ。こんなもん、聞かなかった方が幸せだったろ?」
困ったような声と表情。
・・・ああ、そうか。
この人は事実を知っていて、わざと俺を遠ざけたんだ。
真実を知ってしまえば傷つくのは彼じゃなく、間違いなく俺だと知って。
ぶっきらぼうなその優しさに、俺の動揺がふぃっと薄らぐ。
「・・・いや、きっと、知らない方が、不幸だったと、思う」
「何でだよ」
「だって、知らなかったら謝ることも出来なかった」
「馬鹿、お前が謝ってどうすんだ。チビの頃だし不可抗力だろ」
「でも俺が懐かなかったらアンタは!」
「んなこと言いに来たんだったら尚更だ。帰れ」
「もう聞かなかったことには出来ねぇ!」
「しつこいヤツだな、今更謝ったところでどうにもならねぇだろうが」
「・・・けど!」
「済まなく思うならあの二人の子どもとして真っ直ぐ生きろ。それだけで俺は十分だよ」
ぐしぐしと俺の頭を乱暴に撫でて、彼はふっと目を逸らした。
真っ直ぐ生きる。
その言葉が俺にぐさりと突き刺さって、ふと、一つ頭に考えが浮かんだ。
いや、本当は最初からそうしたかったのかも。
真実を知って、その気持ちが一段と強くなったのかもしれない。
「・・・そういうアンタは今どうしてるの?」
「色々あって求職中だ。お前、職場に電話した時あらかた聞いただろ」
「ちょっとしたいざこざがあったって。ねぇ、まだ仕事場見つかって無いんだよね?」
「あぁ。それがなんだ?」
「俺、今カフェ開こうと思っててさ、そこのパティシエを探してるんだ。よかったら来てくれない?」
「・・・罪滅ぼしのつもりだったら断る」
「違うよ、ずっと考えてたんだ。初めて会った時に食べたケーキを出せたらいいなって」
待ってる間に食べたケーキはとっても美味しくて。
運んできてくれた女の人が、ここのパティシエが作ったものなんですよ、と教えてくれた。
後からやってきた兄貴は生クリームのついた白衣を身に纏っていて。
ああこの人が作ったんだ、って気付いた時から俺の中では決まっていたんだと思う。
彼をウチの店のパティシエに、と。
俺の顔を見る彼は未だ固さを保っていて、眉間には皺が寄っている。
「・・・兄貴にはならねぇぞ」
「それでいい。赤の他人でいいから、俺の店に来て欲しいんだ」
「周りには何て説明するんだ?」
「前に居たホテルから引き抜いたってことにすれば誰も疑わないよ。嘘もついてない、だから」
お願いします、と。
まるで団体お見合いの最後の告白シーンよろしく、俺は立ち上がって手を出して頭を下げた。
少し間があって、ダメかな、とほんのり諦めていた時、俺の手はぎゅうっと握られる。
勢いよく顔を上げれば、何となく気まずそうな表情が見えて。
「・・・俺は色々と五月蝿ぇぞ」
「いいよ」
「厨房にはキャップで入るからな」
「そんなの、全部好きにしてくれていいよ」
「・・・分かった」
よろしくな、と言いながら彼はぎこちなく笑みを浮かべ。
それに俺が満面の笑みを向けると、物凄くまぶしそうに目を細めた。
「よろしく、坂本さん!」
「・・・んな畏まらなくていい」
「じゃあ、坂本くん!よろしくー!」
「・・・おう」
これが、俺と坂本くんの出会いだった。
「へぇ、そんなことがあったんだ」
初耳だよ俺、と言いながら長野くんはケーキを頬張る。
それを見て毎日毎日よく飽きないなーと思う俺。
汚く食べるんじゃなく、綺麗に片付けてくから見てて気持ちいい。
じーっと彼の手元を見ていると、急にむにっと頬を抓まれた。
「いてっ!なにするのさ長野くーん!」
「別に。でもどうして今までずーっと黙ってたの?言ってくれればいいのに」
「言ったって仕方ないじゃん。もう終わったことだし」
「そういうのってすっごく寂しいんですけどー」
「だから今日言ったでしょー?ホントは必要ないかなって思って言う気なかったんだから。これ話したの長野くんだけだよ」
「ふーん、ならいいけどね」
「いいんだ」
あっさりしすぎてちょっとアンニュイな俺。
もうちょっと粘って長野くん。
ほら、あれだよ、もっと拗ねてくれたって全然いいんだぜ!
寂しいって言ってくれたから思わずときめいちゃった俺が馬鹿みたいじゃないかー!
そんな俺の内心も知らず、長野くんは伝票を手渡してくる。
「うん。あ、ご馳走様。会計はこれね」
「いつもどうも」
「いいえ。・・・坂本くんはもう二階で寝てるの?」
「多分ね。なに、伝言とか?」
「ううん、自分で行くからいい」
にっこりと笑顔を浮かべ、長野くんはすたすたと階段を登っていく。
その姿を見送って食器を洗っていると、どすん、だかばすん、だか変な音が聞こえて店が揺れた。
そして、何事も無かったかのように長野くんが降りてくる。
心無しかすっきりしたみたいな、笑顔。
それを見て、とてつもなく嫌な予感が俺の背中に走った。
長野くんがこういう笑顔を浮かべてる時ってあんまりいいことが起こった試しが無いから。
「長野くん、今」
「なに?」
「・・・いや、何でもないや」
「あはは、変なよっちゃん。じゃ、行ってくるねー」
「うん、いってらっしゃーい!」
意気揚々と出て行く背中にぶんぶんと手を振って。
さて洗い物の続きでも、と振り返るとそこには頭を押さえている坂本くんが居て超ビックリした。
「なんだよー居るなら居るって言えよー!」
「・・・ながのに殴られた」
「え?!」
「どんな理由があってもよっちゃんを泣かせた罪は重い、とか言って・・・お前アイツの前で泣くなよー」
「泣いてなんか・・・・・・って、あ」
はた、と思い出したのは昔の記憶。
酒の力を借りて長野くんの前で思わず泣いてしまったこと。
確かに色々と喋ったけど、まさか長野くん、あの時からずっとぶん殴ってやるとか思ってたのか?!
にこにこ笑顔なのに、意外と執念深いんだなぁ。
「いてーよアイツ本気で殴りやがって・・・井ノ原、氷くれ」
「・・・やっぱ俺、一人っ子でいいや」
「は?何の話だよ」
「何でもない。氷ねー」
氷冷機の氷を袋に詰めながら、繰り返し思う。
前言撤回。
俺、一人っ子でよかった、と。
とりあえず、意味も分からず殴られてしまった可哀想な坂本くんを手厚く看病してあげようと俺は一人意気込むのだった。
END
2009.1.9