仕事に疲れてしまった時。
ミスを連発して自分を不甲斐無く思った時。
落ち込んでへこんで、一人じゃどうしようもならなくなった時。
俺には自然と足が向く、そんな場所がある。
保護者サラリーマン
よっちゃんが運営しているカフェは六時開店だ。
夜は七時閉店だから、他のカフェに比べたら少し長い時間ドアを開けていることになる。
最初は八時開店の五時閉店だったんだけど、丁度仕事に重なって来れなくなるなぁと俺がぼやいたのだ。
もちろん、冗談交じりの言葉だった。
でも、よっちゃんはそれを聞くなりすぐに時間を変更した。
この店は長野くんあってこそなんだから、なんて笑いながら言ってたっけ。
・・・少し昔の話をしようと思う。
このカフェが出来るずっと前、俺とよっちゃんは幼馴染みだった。
一人っ子で人懐っこいよっちゃんはまるで弟のようで。
学年が上がって学校が違ってしまっても、何かしら一緒につるんでは遊ぶ仲だった。
やがて、俺はしがないサラリーマンへの道に。
よっちゃんも遅れて俺と同じサラリーマンへとそれぞれ進み。
それから三年が経った頃、急によっちゃんが会社を辞めると言い出した。
『俺、ちっちゃくてもいいから自分の店やりたい』
『どうしたの、急に』
『ずっと夢だったんだ。でも、普通の人生を送るためにサラリーマンになった』
『うん』
『けど駄目なんだ。俺、やっぱり夢捨てらんないよ長野くん』
可愛い後輩は、思い込んだら一直線の熱い性格で。
こうなってしまったら俺が何と言っても聞く耳を持たないことは分かっていた。
三年間で出来るだけの貯蓄はしていたようで、少し田舎に行けば場所を借りられる。
けれど、サラリーマンの給料はそんなに多いものではなく、他には何も手を付けられない状態。
金融機関に金でも借りて、なんて言い出すもんだから慌てて止めた。
借金に追われて首が回らなくなったら本末転倒だろ、と。
『じゃあ、どうしろっていうんだよ?!』
『・・・お金は俺が出す。利子とか無しで、少しずつでも返してくれればいいから』
『長野くん、いいの?』
『その代わり、美味しいコーヒーとケーキを出すお店にすること。約束出来る?』
『う、うんっ!約束するっ!』
指きり!なんて言って差し出した小指に、自分の小指を絡める。
ずっと俺の背中を見て歩いていると思ってたけど、気付かないうちに大人になったんだな。
そう思えるほど、よっちゃんの表情は何処か大人びていたのを覚えている。
あ、ちなみに坂本くんは高校の時の同級生だ。
あの頃から人を寄せ付けない空気を纏っていて、会話なんて殆ど成り立った試しがなかった。
でも、俺は何となく坂本くんの傍にいたし、坂本くんも何となく俺の傍にいた。
卒業間近、そんな彼が俺はパティシエになる、と言い出した時は思わず笑っちゃって。
後から本人に「あの時は本当に傷ついた俺」と聞かされたんだけど、当時の彼を見たら仕方ないと思う。
連絡先を交換することもないまま卒業して、お互い音信不通になり。
まぁこんなもんだったんだろうなーと思っていたら、ひょんなところで再会したのだ。
それがこのカフェだったんだから、物凄い偶然の重なり合いだな。
坂本くんについてはあんまり思い出が無いや、俺。
・・・話を戻そう。
俺が店を訪れるのは殆ど仕事に行く前だ。
仕事が溜まっている時は夕方になっちゃう時もあるけど。
店の入り口に足を運ぶと、そこには決まってCLOSEの看板がかかっている。
腕時計は六時をとっくに過ぎているから、開店時間。
まぁいつものことなんだけど、と思いながら俺はそれをOPENに変えて店の中に入った。
「いらっしゃいませー!あ、長野くーん!」
「よっちゃん、また表の札が逆になってたよー」
「あ、忘れてた。ごめんごめん」
満面の笑みで迎えてくれたよっちゃんに反省の色は無い。
長野くんがやってくれるからいいじゃん、という気持ちが滲み出ている。
ふと俺が朝に来ない日は一体どうしてるんだろう、と疑問が過ぎった。
坂本くんか健か、他のお客さんが変えているんだろうか。
いや、坂本くんはケーキを作り終えたらさっさと寝ちゃうし。
健が朝からバイトで入るのは休日くらいだろう(たまに朝からケーキ目当てに来てるけど)
「ねぇ、俺が来ない日は札ちゃんとやってる?」
「え?まぁ、うん。ぼちぼちね」
「ちゃんと開けないとお店にお客さん来ないんだからね。しっかり店長」
「あは。はい、コーヒー」
「ありがと」
いつも注文しているからか、さっとコーヒーが出てくる。
おまけに付いてくるのはよっちゃんの笑顔。
この顔を見てると、悩みとか疲れとか怒りとか、そういった類のものが何処かに飛んでいく気がするんだよな。
俺がまったりとコーヒーを飲んでいる間に、彼はいそいそとケーキを切る。
頼む量が膨大だから、ケースを取り出しては切って仕舞い、また別のケースを取り出しては同じ作業を繰り返していた。
コスト的には十分割が普通なんだけど、いつも少し大きめに。
長野くんだけの特別サービスvとか言っちゃってるけど、お金の無い学生さん(例えば岡田とか)にも同じことをやってるのを知ってます。
損得勘定がまるで無いから、経営者としてはかなり心配だ。
人間としては本当、いい子だと思うんだけど。
「俺、会社辞めてここの会計やろうかなー」
「ホント?長野くんならいつでも大歓迎だぜー!」
「こら、もう一人雇うようなお金無いでしょ」
「うーんと、俺の給料から差し引けばなんとか」
「・・・お前は本当、欲が無いね」
「へへ、この店のことで相当欲張っちゃったからね。もうなーんにも要らないんだ」
腕の立つパティシエと、太陽みたいなバイトのウェイター。
それから、ここに来てくれるたくさんのお客さん。
それだけで満足なのよーとよっちゃんは笑いながら俺の前にケーキを置いていく。
最後の皿の次に置かれたのは、茶色の袋。
「これ、今月分。毎回ちょっとでごめんねー」
「いいって言ったのに」
「駄目!借りたものはちゃんと返す!」
「はいはい、律儀にどうも」
茶色の袋を受け取りカバンの中に仕舞うと、よっちゃんはホッとしたように微笑んだ。
しかし、これがよっちゃん貯金として貯蓄されることを彼は知らない。
よっちゃん貯金とは、この子がトラブルを抱えた時の保険である。
主にコーヒー器具や坂本くんの調理器具の修繕に使われます。
過保護だとは思うんだけど、まぁ昔からだし、弟みたいなもんだしよっちゃんは。
こーんな美味しいコーヒーとケーキを提供してくれる場所だから、無くなっちゃうと困るしね。
もぐもぐとケーキを頬張っていると、階段を降りてくる足音が聞こえてきて。
のそっと眠そうな顔の坂本くんが現れた。
お、珍しい。
「いのはらー何か軽食・・・って、うわ」
「うわって何だよお客に向かって失礼だな」
「ホントだよー長野くんが来なくなったらこの店終わりなんだからね!えーと、サンドイッチでいい?」
「食えれば何でもいい」
言いながら、坂本くんはどかっと乱暴に俺の隣に腰を下ろす。
早い時間に起きてケーキを仕込んでいたからだろう、大きな欠伸を連発しながら新聞を開いている。
おっさん全開じゃん、俺と一歳しか違わないのに。
「相変わらず愛想無いね」
「五月蝿ぇな。俺の分までコイツがアホみてぇに笑うからいいだろ」
「アホって何だよアホってよー!アンタの分のサンドイッチ食っちゃうぞ!」
「まぁアホっぽいのは否めないけどさー」
「長野くんまで酷いー!」
よよよ、と泣き真似しながら、よっちゃんは坂本くんの前にサンドイッチとコーヒーを置いた。
食パンでハムとチーズと野菜をたっぷり挟んだものが半分。
もう半分はよっちゃんがぱくついている。
この二人、朝食を疎かにするもんだから俺が毎日注意してたんだけど効果が無くて。
でも、ようやく聞く耳を持ち出したようだ。
「ちゃんと朝食食べるようにしたんだ。偉い偉い」
「違うのよーちょっと聞いてよ長野くーん!坂本くんがねー、せっかく人が作ったこれをねー、一人じゃ多いっつって文句言うから喧嘩になったんだよー!」
「腹一杯になったら眠れねぇんだよ。太るし」
「で?その喧嘩からどうやって今の状態に収まったの?」
「俺がもう半分食えばいいやって開き直った」
「最初からそれでよかったのによー、無駄に喧嘩っ早いんだよお前は」
「それ、坂本くんに言われたくないんですけどー!」
「はいはいはいはい。朝から暑苦しいから止めなさいね」
二人で顔を近づけてガン付け始めたから、間に手を入れてそれを止めた。
この二人は場所とか場面関係無く火がつけば喧嘩する。
仲直りが早いからカフェの営業に支障が出たことは今のところ無いけど。
それにしても、こんな生き生きしてる坂本くんを見る日が来るなんて思っても見なかったな。
黙々とサンドイッチをぱくつく二人を見ながら、俺もケーキを食べる。
俺が頼んだものを綺麗に食べきった頃には、坂本くんは二階へと上がっていき。
店の中にはぽつぽつと人が入りだして、よっちゃんがコーヒーを淹れながら笑う。
こんな空間の中に居られて幸せなんだろうな、この子は。
「ご馳走様。よっちゃん、お会計よろしく」
「はいはーい!」
手馴れた動作でレジ打ちをし、お釣りを俺の手のひらに載せて。
財布にそれを仕舞って行こうとしたら、ちょっと待って、と呼び止められた。
言われたとおり待っていると、透明で小さな袋に入ったクッキーを二袋渡される。
「俺が焼いたから味の保障は出来ないけど、よかったら昼休みにでも食べてよ」
「ありがとう。これ、新商品?」
「まぁそんなもんかな。長野くんが気に入ってくれたら本格始動するかもしんない」
「じゃあ食べた感想は明日ね」
「うんっ!」
大きく頷くよっちゃんに笑みを向け、髪の毛をぐしゃぐしゃと掻き混ぜた。
甘えるようにしていた彼はいのっちー、と呼ばれる声に我に返り、はいはーい!と元気な声で応答。
バタバタとカウンターに戻っていく姿を見て、俺はカフェのドアに手をかける。
かろん、と音が響くとよっちゃんの大きな声が俺の背中にかかった。
「頑張れ、長野くん!」
「うん、頑張るよ。ありがとう」
この毎日のやりとりが、俺にとってはとても大切で。
たくさんの元気を貰ってること、あの子は知らないんだろうな。
ぱたん、とドアを閉めたら、ふと現実に引き戻される感覚に捕らわれるけれど。
よっちゃんのくれたクッキーが、カフェの余韻を俺にもたらしてくれた。
不恰好で、色んな形にくりぬかれたそれ。
あ、変な顔した何か分からない動物がいる。
よっちゃん、相変わらず絵はそんなに上手くないんだなぁ。
ま、会社着いたらこれ食べて、今日も一日頑張りますか。
そう思いながらクッキーの袋をカバンの中に入れ、俺は朝日を浴びながら会社へと急ぐのだった。
END
イノさんって計画もそこそこに勢いで始めるタイプだよなーという想像から。
で、それを影で支えるのがヒロス兄貴。
最初は仕方なく、でも最近はお店の存続の為に進んで投資する、といった感じで。
実はこっそり裏設定。
お店の札はヒロス兄貴が朝に来る時一番に注文出来るようにと、イノさんがわざと変えていないのです。
兄貴が来ない場合は8時にきちんと開店しています。
あと、まーくんがサンドイッチを半分しか食べないのは、無理にでもイノさんに食事をさせるためだったりします。
無理強いしても食べないイノさんへの苦肉の策ということで。
イノさんクッキーは元気の無いヒロス兄貴のために製作されました。
まーくんに無断だったので、後で小麦粉が減ってる!とみっちり叱られます。
一人称で書いていたら説明付属しないと分からないことが湧き出てきますね(笑)
いつかマンハッタン風なイノさんの一人称を書きたいと思っているということは私だけの秘密だ←あ
2008.12.4