俺はあの人の力になりたかった。
周りの誰にも寄りかかろうとせず、一人きりで何事もやりきってしまうあの人の。
けど、俺は知っている。
あの人はいつも自分の仕事に誇りを持っていて、誰にも負けない自信を持っているということを。
だからこそ、ほんのちょっと。
例えば、湯銭にかけるチョコを砕いたり、生クリームを泡立てたり、そんな些細なことでいいから。
手伝わせて欲しいなーと、そんなことを日々思ってるわけなのです。
カウンターと調理場の大きな狭間
今日も俺はカウンターの後ろの厨房に向かって頬杖を付き、じぃっと調理場を見つめる。
朝7時に起きたら、既に作業は始まっていた。
坂本くんがここに来てからというものの、俺は彼より早く起きたことが無い。
ピシッと白い調理服を着て、頭にはツバの付いたキャップを被っている(これが前の職場でのいざこざの原因だったのだと、長野くんから聞いた)
たくさんのケーキを作っている坂本くんは、何よりも楽しそうだった。
甘いものが嫌いだって言う割には、幸せそうな表情で。
慌ただしく調理場内をせかせか動き、一つ一つのスポンジに命を吹き込んでいく。
俺はまるで魔法のようなそれを、見ているのが好きなのだ。
・・・本当は、何か手伝えればもっといいんだけど。
「はー・・・」
「何だ井ノ原、ため息ついて」
「いやね、アンタって日常生活トロいのに、ケーキ作ってる時は素早いなーと思ってよ」
「五月蝿ぇ」
じろり、と俺に向けてキツイ一瞥をくれ、坂本くんの目はまたケーキに戻る。
これでもまだよくなった方だったりする。
引き抜いた当初、彼の目に映るのはケーキオンリー。
俺なんて居るも居ないも一緒、みたいな。
話しかけても返事はあーとかおーとか素っ気無かったし。
腹立てて構ってくれーと厨房に入ったら、めちゃめちゃ怒られた。
ここは俺の仕事場であってお前の仕事場じゃねぇんだよ入ってくんな、っつって。
いい大人なのに不覚にも泣きそうになっちゃったっけ。
その日の夜、坂本くんから謝られて、一緒に怒った理由も聞いた。
詳しいことはあんまり覚えてないけど、ごめんな、といつもより少し優しい声と、でっかい手が頭を掻き混ぜる心地よさだけは覚えている。
でも、俺は淋しくて仕方なかった。
厨房とカウンターに引かれた線が、俺と坂本くんとの間にある線みたいだったから。
「はー・・・」
「お前なー、顔がすっげぇことになってんぞ」
「うるせーなー、これは元々だっつのー」
「元々は結構和み系なのに、んな顔すんな」
「これはなー・・・って、いいや。争う気にもなれねーよ」
どうせ言ったって無駄だ。
この人と喧嘩でもして、ケーキ作ってもらえなくなったら俺が困るし。
それならば、せめて傍で見ていようと思う。
時折無理すんなよーと声をかけるだけで、会話が返ってくるだけで大進歩。
俺って、超健気。
へちょとカウンターにうつ伏せていると、おい、と声がふってきたから、顔を上げると。
近寄ってきていた坂本くんがこれ食って元気出せ、と俺の目の前に何かを差し出した。
反射的に手を出すと、ぽてっと置かれるそれ。
俺の手の中に落ちたのは、ケーキの上に乗っているマジパンだった。
お客さんに子どもがいたりすると、乗せてあげたら喜ぶんじゃないかっていう、俺の案で作り始めたみたいで。
だけど、坂本くんが作るマジパンのキャラはいつも可愛らしいのに。
俺にくれたのは目が垂れてて、眉が太くなってた。
口なんてだらしなくぱっかり開いちゃってるし。
馬鹿みたいに幸せだぜっていう気持ちを垂れ流しているような、そんな表情。
「なにこれ、失敗作?」
「ははは。そう見えるか?」
「うん。坂本くんが作るのはいっつも可愛いもん」
「そっか。俺は結構気に入ってんだけどなー」
何か和むだろ?と笑いながら、坂本くんは片付けを開始する。
和む、ねぇ。
いつもの可愛らしいヤツはきゅん、とするけど。
確かに、ちょっと失敗作みたいなものだと、和むなぁ。
食って元気出せって言われたんだけど、何だか食べるのが勿体無くて。
俺はそれを小さな皿に乗せ、カウンターの端っこにことんと置いた。
調理場では、迅速に片付けを終えた坂本くんが、腰や肩を叩きながらこっちにやってくる。
「うわ、ジジくさっ」
「悪かったな。・・・あれ、これ食わねぇのか?」
「んー、何か勿体無くてね。後で食べるよ、さんきゅー」
「おう。じゃあ、お先に」
「うーい、おつかれー」
よたよたと左右にゆったり揺れながら、坂本くんは二階に続く階段を登っていった。
店の中、俺は独りぼっちになる。
せめて誰かお客さんが来るまで居てくれ、と言ったことがあるけど、しかとされた。
一人になると淋しいんですけどー。
誰かと話して時間潰したかったのに、坂本くんのいけず。
ぷーっと頬を膨らましてカウンターに頬杖をついていたら、カロンと音が鳴った。
いらっしゃいませ、と声を上げると、よっちゃんおはようと声が返ってくる。
「長野くんだー!おはよー!」
「入り口の看板、オープンにしといたよ」
「あ、やべっ、ひっくり返すの忘れてた!ありがとー!」
「いいえ。坂本くんは?」
「ついさっき寝ちゃったよ」
俺の言葉に相変わらずだね、と言って長野くんが笑う。
いつもなら岡田と同じ席に座るんだけど、今日は何故かカウンターに座った。
朝から仕事なんだ、とふんわり微笑む長野くんは、とても坂本くんと一歳差とは思えない。
「何にする?」
「うーん、朝だからねー・・・いのっちブレンドとここからここまでケーキくれる?」
「・・・朝から一列ケーキ食べられたら十分だよ、長野くん」
「あはは、坂本くんの出来立てケーキは別腹だからねー」
とてつもないことを言い放つ長野くんに苦笑いを向け、俺は注文されたものを皿に取り分ける。
出来立てのケーキはまだほんのりあったかくて、タルト生地はナイフを入れるとさくりと音を立てた。
時間が経つとしっとりして、これまた美味しいんだよなー。
それをカウンターに並べ、ミルの中に豆を入れていると、あれ、と長野くんが声を上げる。
「これ、誰が作ったの?」
長野くんが指差したのは、さっき坂本くんが作ってくれたマジパンの失敗作くん。
お皿の上に鎮座する和み系の彼が気に止まったらしい。
「それね、さっき坂本くんがくれたんだ」
「坂本くんが?」
訝しげに言うもんだから、俺は首を傾げた。
マジパン乗っけたケーキなんて、何度も見てるはずなのに。
しかも、子ども専用だって言ってるのに乗せろvとか脅してきて結局3個食べたし。
だから珍しいものでもなんでも無いのになぁ。
うりうり、と長野くんが失敗作のマジパンくんを突いている。
ミルを回しながら、虐めないでよーと笑ってると、カロン、と再び軽い音。
あ、今日は朝からバイト頼んだっけ。
「健ちゃん、おはよーーーっ!」
「朝から五月蝿いんだけど。あ、長野くんおはよー」
「おはよ」
「え、ちょっと無視?無視??」
「あーはいはいおはようおはよう。お客さん居ないなら俺にもコーヒーちょうだい」
がたん、と音を立ててカウンターに座る健ちゃん。
言うと思っていた言葉と、そうじゃない言葉の両方に、俺は動きを止めた。
「え?健ちゃんはココアじゃないの?」
「岡田が飲めるのに俺が飲めないとか格好悪ぃじゃん」
アイツ年下だぜ?と腕を組んでぷぅ、と膨れる。
ふーん、と流していた俺と長野くんだったのだけれど。
「「・・・・・・年下?!」」
「うわ、二人しておっせー。そうだよ、アイツ俺の後輩だもん」
「み、見えねー」
「健ちゃんわっかーい・・・っていうか、岡田が老けてんのか?」
「ふふ、俺永遠の15歳だから。もう高校2年だけど」
「健が言うと冗談に聞こえないなー」
「いいの、俺は開き直ったの」
ちょっと前までは可愛いって言ったら怒ってたのに、今日の健は平然とそれを交わす。
コーヒー飲むとか言っちゃってるし。
成長しちゃっていのっち淋しい、と嘆いた俺は華麗にスルーされ、代わりに健の視線は長野くんの指先に向いた。
「なにこれ、マジパン?」
「うん、坂本くんが作ったんだって」
スルーされてしまった俺だけど、くじけずにミルを回す。
いいもん、俺はどうせそういう役目だもん。
豆を多めに挽いてたから、健の分も用意出来る。
紙フィルターを折って器具にセットし、中に挽いた豆を入れて上から垂らすように少量のお湯を加えると、ぷわっとコーヒーが膨らんで、店中にアロマが広がった。
この瞬間が一番大事で、一番好きだ。
ふにゃーんと匂いに顔を緩ませている俺の傍で続く会話。
「へぇー結構似てんじゃん」
「健もそう思う?」
「うん。いいんじゃない?一応この店の看板だし」
「あの坂本くんがねー進歩したねー」
にこにこと言葉を交わす二人の視線にはマジパンくんが居て。
カウンターには会話の意味が全く汲み取れない俺が居る。
絶対おかしい。
だって、健より俺の方が長野くんと一緒に居て、話してたのに。
どうして二人しか分からない会話になるんだろう。
悶々と考え事をしていると、段々とコーヒーがしぼみ始めたから、今度はゆっくりとお湯を注ぎ込む。
中心部分から弧を描くように、そんでもってお湯を切らさないように。
基本的なことだけど、常に忘れないように頭で反芻している。
いつだってお客さんには美味しいコーヒーを飲んで欲しいから。
「お待たせー。長野くんはブラック、健はどうするー?」
「俺岡田と一緒がいい」
「えー、お前にブラックはまだ早いと思うよ」
「馬鹿にすんなよ。岡田が飲めんなら俺が飲めないはずないじゃん!」
ぷん、と膨れた健に折れて、俺は二人にブラックを手渡した。
長野くんはにこにことそれを口にしつつ、ケーキをぱくりと頬張っている。
それを確認して、健もコーヒーカップに口をつけ、一口。
「うっわ、苦ぇー」
「でしょ?砂糖入れろよ」
「ううー・・・長野くんケーキー」
「あはは、はいどーぞ」
長野くんが笑いながら、健に向かってイチゴのムースの乗ったスプーンを差し出した。
それをぱくっと口に入れ、ようやく一息といった様子に、俺と長野くんは二人揃って笑ってしまう。
予想してたことだけど、予想以上に反応が可愛かったから。
そういやこの前、似たような反応をしたヤツが居たっけ。
健みたいにちまっとしてて、格好つけてブラック頼んできて、何度か咽てた。
あんまりにも可哀相だったから、サービスでオレンジタルト出してあげたら、高い味がする!とか変な感想言って。
お前面白いヤツだなーって言ったら、まぁね、なんて得意気にしてた。
名前は・・・聞くの忘れちゃったけど。
また来るわっつってたから、きっとまた来るんだろう。
ちょっとだけ坂本くんに雰囲気似てたなーアイツ。
「おーい、よっちゃーん」
「・・っん?!な、なになに??」
「会計よろしく。俺そろそろ行かなきゃ」
差し出される伝票。
カウンターの上を見ると、既にお皿は空っぽだった。
「げ、もう食ったの?!早っ!!」
「別腹別腹。ご馳走さま。健、またね」
「うん、是非またお越しくださいませー」
長野くんはにっこりと日向のような笑顔を向ける健の頭をそっと撫でて。
財布を取り出し、伝票に書いてある分のお金をきっちり出した。
レジを打ってレシートと、今日から始めた割引券を一緒に手渡す。
「お、割引券?」
「いのっちブレンド限定だけどねー」
「岡田辺りが喜ぶんじゃない?」
「アイツ可愛いからまとめて10枚くらいあげちゃおっかなー」
「・・・よっちゃん、お店の売り上げちゃんと考えてる?」
呆れた口調で長野くんにそう言われて、冗談だよと笑い返した。
俺の言葉はあまり冗談に聞こえないらしい。
普段の行いが行いだもんね、と健の横やりが入る。
いのっち、いっつもいい子ですけどー。
言いながら膨れると、二人に笑われてしまう。
ひとしきり笑った長野くんは帰り際、あ、と何かに気づいたような声を上げた。
「どしたの?」
「よかったね、よっちゃん」
「?何が?」
「坂本くんとの距離、ちょっとずつ縮まってるじゃん」
「・・・何で?」
「あのマジパン、よっちゃんそっくりだよ」
そう言ってじゃあね、と手を振り長野くんは店を出て行った。
いつもならいってらっしゃいって送り出すのに、俺は彼の台詞を反復するので大忙しで。
マジパンが俺?
慌ててカウンターのマジパンくんの元に戻って、もう一度じーっと見つめてみる。
目が垂れてて、眉は太め。
口はだらしなくぱっかり開いちゃってるし。
馬鹿みたいに幸せだぜっていう気持ちを垂れ流しているような。
・・・って、あー。
今更、全てのことに合点がいった。
長野くんと健の会話は、これだったのか。
横に居た健に目を向けると、俺の顔を見て笑っている。
ようやく気づいたのかよ、と言わんばかりの表情で。
「これ、俺?」
「どう見てもそうじゃん。アホみたいに笑ってるとことか、そっくり」
「・・・健ちゃんってたまに酷いよねー」
「井ノ原くんだから言ってんじゃんよ」
愛情愛情、と頭をぽしぽし叩かれ、少し機嫌が宙に浮く。
そうかー健ちゃんの普段吐く毒は全部俺に対する愛情だったのねー・・・って無理あるだろっ。
突っ込む前にカロンとドアベルが鳴って、お客さんが来たことを知らせる。
健は玄関に歩いていき、いらっしゃいませーと明るい声を投げかけた。
俺はマジパンから目を離せず、カウンターに頬杖をつく。
『俺は結構気に入ってんだけどなー』
これは、進歩・・・なのか?
でも、あの時少しだけ、坂本くんの中に踏み込めた気がした。
というか、坂本くんが俺の方に来てくれたような。
調理中に何かくれるなんて、珍しいし。
しかも俺の顔のマジパン作ってくれるなんて、前までじゃ考えもつかなかったことだ、よな。
そう考えてみると、ようやく湧いてくる感動心。
おおお、すげー!
食べられるいのっちなんて、ちょっとだけグロテスクだけど。
だけど、やっぱ、嬉しい。
「いーのーはーらーくんっ!!」
「うっわ、ビックリした!なによなによ?!」
「緩んだ顔してんじゃねーよ!いのっちブレンド2つと、イチゴのムースとチョコケーキ1つずつよろしく!」
「おっけー!」
健の特徴的な声に、俺もテンションを上げる。
カフェイノハラは元気と笑顔がテーマですから。
コーヒーを飲み終えたお客さんが笑って出て行く、そんなお店だからね。
小さなお皿に乗ったマジパンは、レジの横に置いておく。
今日の仕事が終わったら、ちょっと可哀相だけど食べちゃおう。
せっかく坂本くんがくれたんだから、元気の補給に。
「いらっしゃいませー!」
入ってきたお客さんに大声で挨拶を。
アルバイトの健ちゃんと共に、笑顔無料配布に勤しみます。
坂本くんが作ったケーキに、俺の魂込めて淹れたコーヒーを添えて。
注文を貰ったコーヒーを淹れながら、俺はカウンターでひっそりと幸せを噛み締めるのだった。
END
2008.2.6