何の変哲も無い、どこにでもあるような町。
もう一本道路が違ったら町の名前が変わる、そんな隅っこに小さな店があった。
築何年かも想像がつかないほどにボロボロの外見。
にも関わらず、ドアにかかっている「OPEN」の小さな看板は手作りで可愛らしい。
ここのコーヒーと、毎日変わる手作りのケーキが大好きで、俺はたまに足を運んでいた。
何冊かお気に入りの本を持って、陽の当たる特等席で読むのがたまらなく好きなのだ。
もちろん、まだまだ学生なもんで。
自由に使えるお金なんてたかが知れてるから、毎日は無理なんだけど。
お店の人も俺の顔を覚えてくれたらしく、行く度に何かサービスをしてくれる。
そして、今日も。











































町の隅の小さなお店












































かろん、と心地よい音を立てるドアを開けば。
耳に障らない程度の人の話し声を背に、いらっしゃいませ、とカウンターに立っている男の人がゆったりと微笑む。
黒髪に長身で、低く甘い声。
上に着ていたジャケットをカウンターに引っ掛け、薄い水色のボーダーシャツに、黒いネクタイを締めている。
これ、このままなら格好いいんだけど。





「あら、岡田の准ちゃんじゃない!」





俺の顔を見るなり、急に嬉しそうにテンションを上げだした。
格好いい男があっという間に犬になる感じ。
常連さんにはこういった反応をするみたいで。
人懐っこいくせにどこか人見知りな、彼がここの店長、井ノ原さん。
井ノ原さんなんて他人行儀な呼び方しないでよーと言うから、俺は勝手にいのっちというあだ名を付けてあげたのだが。
それをいたく気に入ったらしく、いろんな人に俺いのっち!と嬉しそうに言いふらしていて。
気がついたら井ノ原さんをいのっちと呼ぶ客が殆どだった。
彼はいつもにっこにこと無駄に笑顔を振り撒きながら、俺を特等席に案内してくれる。
でも、今日は少し困った表情を向けてきた。





「ごめんね、今日はもう先客が居てさ」
「気にしないで。俺が本が読めればそれでええから」
「んもー准ちゃんってば超男前vありがとっv」





でへ、と緩んだ顔でお礼を言ういのっち。
俺はというと、自分と同じ席を選んだ人が気になって、ひょこひょことそっちに行ってみた。
日の光がまったりと当たって、本を読むのにも何かを飲食するのにもピッタリの場所。
そこには、色の白い男の人が座っていて。
メニューを片手に何やら真剣な表情でうんうん唸っている。
変な人だなぁと思って見ていると、俺の横に居たいのっちが彼に近づいた。





「長野くーん、いつまで悩んでんのさー」
「だってどれも美味しそうなんだもん。全部食べたい」
「ダーメ。他のお客さんの分まで無くなっちゃうでしょ?坂本くんもう寝ちゃったんだからさ」






いのっちの言う坂本くんは、この店にいるパティシエ。
怖い顔をしている割には、意外に繊細なデザートを作る人だ。
なにやら、有名なお店からいのっちが引き抜いたみたいで。
いのっちにそんな力は無いように見えるんだけど、実際坂本くんから話を聞いたから本当だ。
好きなものを好きな分だけ作っていいからという取引条件に乗ったのだとか。
何を言われてもにこにこと笑うのが苦手だった坂本くんにとってはありがたい申し出だったみたいで。
給料が少ないとぶちぶち言いながらも、楽しそうに働き続けている。
夜から朝にかけてケーキを作り、作業が終わると二階に上がって眠ってしまう。
まさにここのカフェの専属パティシエなのである。





話を戻そう。
聞いているとどうやら悩んでいる彼、長野くんといのっちは知り合いらしい。
しかも、パティシエである坂本くんのことも知っていそうで。
どういう人なんだろうと興味津々な俺に気付いたみたいで、いのっちに誰?と尋ねた。




「この子、岡田准一くんっていうんだよ!超男前じゃない?!日向ぼっこしながらぺらりと本のページを捲る瞬間なんて、俺コーヒー淹れるのも忘れて見とれちゃうもんv」
「あはははは。でもコーヒー淹れない店長なんてただの役立たずだよね」
「な、長野くーんっ」
「長野さん俺と気が合いそうですね是非お友達に」
「ちょっと、なに俺虐められてんの?!店長だよ店長!」





そんなこと言うならコーヒー淹れてやんないよ、とぷーっと頬を膨らます子どもみたいな抵抗に、俺と長野くんは顔を見合わせて笑う。
とりあえず、コーヒーが出てこないのは嫌だからごめんね、と言えば。
細い目をぱちぱちと瞬かせ、にひっと笑顔が戻ってきた。
長野くんもごめんねよっちゃん、とその黒髪を優しく撫でている。
飴と鞭の配合が上手な人なんだろうな。
いのっちの全身が長野くんだいすき!オーラを出していて、それもまた面白くて。
その様子を見守っていたら、遠くからいのっちーと客が彼の名前を呼んだ。
途端、カフェの店長の顔に戻る。





「はーいっ!今いきまーす!」
「いってらっしゃい、よっちゃん」
「うん!あ、岡田は長野くんと一緒に座っちゃって!ケーキおまけしてあげるからv」
勝手に俺と長野くんを合席にして、いのっちはダッシュで呼ばれた方へと走っていった。
俺はにこにこと座っている長野くんに伺いを立てる。
「・・・邪魔にならへんですか?」
「大丈夫。食べ物は誰かと食べた方が美味しいもん」
「よかった」





ホッとして向かい側に座って、メニューを開く。
オマケのケーキ、チーズケーキにしよう。
コーヒーは、一番安くて一番美味しいいのっちブレンドだ。
長野くんもメニュー内容をやっと決めたようで、よっちゃーんと声を上げる。
ちょっとの間の後、はーいと向かってくるいのっち。
誰にでも懐く犬のようだなぁ。
俺たちの座っている席に辿り着くと、腰ポケットから伝票を取り出し、バッと構えた。
いつもより少し力の篭っているそれに首を傾げていた俺だけど。
その理由はすぐに分かることになる。




























「えーと、コーヒーはいのっちブレンド。それからケーキ一種類ずつここからここまでちょうだい」










長野くんが指でなぞったのは、確実にメニューに乗っているケーキ全部で。
それを見ていのっちはホッと胸を撫で下ろす。
え、普通慌てるんじゃないの?
というより、さっき全部食べたいって言ってたのをいのっちがダメだって制止してたはずなのに。
俺の視線で何となく悟ったらしく、いのっちがあのね、と説明を始めた。





「さっき長野くんが言ってたのは、店のケーキ全部ってことだよ」
「え、ええっ?!」
「この人坂本くんのケーキには目が無くてさ。メニューひとつずつならまだまだ大丈夫。坂本くん結構作り置きしてくれてるし」
「そ、そうなんや・・・」
「岡田はどうする?」
「・・・俺、ベイクドチーズケーキといのっちブレンドで」





動揺する気持ちをどうにか抑えてそう注文すると。
いのっちは手際良く伝票にそれを書き、ちょっと待っててねーと楽しそうにカウンターに戻っていった。
実は彼のコーヒーを挽く姿が好きだったりする。
コーヒーに向ける視線は、いつも真剣で楽しそうで。
ミルに豆を入れて、ゆったりとハンドルを回しながら削っていく。
店中に広がる香ばしい匂いと、店内にかかる古い時代の名曲を聴きながら、それぞれが思い思いの時間を過ごすのだ。
長野くんはいのっちを優しい視線でじぃっと見つめていた。
この人もちまちまと動いているいのっちを見るのが好きなんだろうな。
話をする空気でもなかったから、俺はいつものように持って来た本を取り出し、しおりを挟んでいるページを開く。
すると、玄関のカウベルがかろん、と鳴り響いた。
忙しそうだなと人事のように思っていたら、こんにちはー!と元気な声がする。
どこかで聞いたことのある声だ。
入ってきた人物にいのっちが満面の笑みで対応した。





「いやー待ってたぜー!忙しくなってきたから早く着替えてきて!」
「はいはい。やっぱこのカフェには俺の笑顔が無いとね!」
「当ったり前でしょー!今日もお日様みたいな笑顔でお客さんを癒してあげてv」
「任せとけー!」





言いながらエプロンを巻き、カウンターに乗っているケーキの山をお盆の上に乗せてやってくる彼。
その顔を見て、合点がいって思わず立ち上がってしまった。





「健くん!」
「あれ、岡田じゃん。何でここにいんの?」
「俺ここ行きつけやねん。健くんは今日から?」
「違ぇよ、もう一週間。あ、長野くんこんちは!この時間って珍しいねー」
「いっつも朝早くに来てるからね。今日は仕事で遅くなっちゃったんだ」
「そうなんだ。えーと、こっちが長野くんの分で、このチーズケーキが岡田のね。坂本くんに今日のオススメ書いとけっつったのに、あの人めんどくさがりなんだからなー」





ぶちぶちと文句を言いながら、健くんはテーブルの上にケーキを並べていく。
あっという間にテーブルはケーキが占領し、長野くんの表情が幸せいっぱいになった。
片手にナイフ、もう片方にフォーク。
食べる度にへにゃ、と嬉しそうな顔をするもんだから、俺まで何だか笑ってしまう。
健くんは他のお客さんに呼ばれて、嵐のように駆け抜けていった。
それと入れ替わるように、いのっちがコーヒーを持ってやってくる。
そのお盆の上に見たことの無いケーキが二つ。
レアチーズケーキの中に、クランベリーがちらりと垣間見えるそれ。
形が歪で、坂本くんが作ったものでは無さそうだ。





「それ何?よっちゃん」
「俺が作ってみたケーキ。坂本くんが教えてくれた通りにやってみたんだけど、店に出せるかどうか二人に見てもらおうと思って」
「なるほど」





いのっちからケーキを受け取るなり、長野くんはくんくんと匂いを嗅ぐ。
そして四方からそれを観察し、持っているナイフとフォークで丁寧に切り取って口に運んだ。
もぐもぐもぐ。
長野くんの口の動きを、いのっちと俺が緊張の面持ちで見つめる。
ごっくん、と喉が鳴った瞬間、いのっちがどう?と間髪入れずに尋ねた。





「家庭用としては合格」
「ホント?」
「・・・でも、坂本くんのケーキに比べたらまだまだだね」
「やっぱり。坂本くんにも同じこと言われた」
「どうしてケーキ作るん?坂本くんが居るから十分やん」
「俺朝ヒマだし、手伝えたらいいなーと思ってさ」





あの人無理ばっかりだから、といのっちが苦笑いをする。
よく考えてみたらそうかもしれない。
メニューに載っているケーキは10種類ほど。
それを手伝いも無しに一人で毎日作り上げているのは、凄いけれど無理と言えば無理だ。
横で見ていたいのっちが手伝いたいと思うのも頷ける気がする。
でも、と長野くんが続けた。





「坂本くんはそうやって自分の仕事に手出しされたり、同情されるの嫌いだからねー」
「そうなんだよー!今日も俺がケーキ作りたいから教えろっつってやっとだもん!」
「へぇ、そうなんや」
「手痛そうにしてるから病院行けっつっても聞かないし、休めっつっても休まないし、超頑固!」
「まぁ、それが坂本くんだからね」
「うん・・・」





何だかしょんぼりとしているいのっちだったけれど。
美味しそうにコーヒーとケーキを食べている長野くんを見て、元気を取り戻したみたいで。
他のお客さんに呼ばれて、また満面の笑みで行ってしまった。
その後姿を見送っていると、長野くんが微かに笑った気がして。
振り向いてみたら、優しげな目で見返されたから驚く。





「なしたん、ですか?」
「・・・いや。あの子が来る前ね、坂本くんってもっと凄かったんだ」
「凄かった・・・?」
「人は誰も寄せ付けないって感じで、会話だって一週間に10度あったら良い方だったし」
「うわ」
「それが井ノ原と会ってから、段々と丸くなってきたんだよ。きっと、あの一生懸命さが伝わったんだと思う」





長野くんの言葉に、俺も頷いた。
いのっちはいつでも他人を一番に考えてくれる人だから。
カフェの居心地がいいのも、もう一度来たいと思うのも、彼の人柄が滲み出ている証拠だ。
やってきたコーヒーを啜りつつ、俺はぼんやりとそう思う。
内情はよく知らないけれど、この居心地の良い場所がいつまでも存在することを願いながら。
俺はチーズケーキを口に入れ、読んでいる小説の続きに目を落とした。






END


2008.1.8