ばたばたと慌しい足音。
普通の人よりはかなり細い目をした青年、井ノ原は。
長野フラワーショップと書かれた看板の店に、そのままの勢いで駆け込んでいった。
自動ドアが開くのを待つのももどかしいらしくその場で足踏みをして。
開いた瞬間身体を中に滑り込ませて、レジに向けて顔を上げる。
上げて、速攻で頭を下げた。








「ごめんなさい長野くん遅刻しちゃった!!」








レジに立っていた長野は彼の姿を認め、ふんわりと笑った。
優しげな笑み。
だが、親しい人は皆それが偽モノだということを知っていた。
特に今は店内が込み合っており、人手が足りないことが見て分かる。








「よっちゃん、10秒で着替えておいで」








張り付いたような営業スマイルでそう言う長野にぶんぶんと大きく頷いて見せ。
井ノ原は更衣室に駆け込み、ロッカーを無理矢理開けると中からエプロンを引っ張り出して、腰にそれを巻きながらレジに舞い戻った。
舞い戻って、気づく。
店内に見知らぬ人がいることを。
つんつん頭の童顔な男の子が、懸命に接客をしていた。





「あの子誰?」
忙しそうに立ち回っていた長野に聞けば、新しいバイトの子、と返事が返ってくる。
「そんな余裕ないじゃん、長野くん」
「遅刻魔よっちゃんをそろそろリストラしようと思って。あ、それは200円ですよ」
営業をしながらさらりと酷いことを言われ、井ノ原は顔中を悲しそうな表情にして見せた。
長野はそれを見て、嘘だよと笑う。
「お客さんの入りがいい時だけ手伝ってもらうだけ。あの子、健っていうんだけどね。俺の親戚だから」
よしよし、と長野に頭を撫でられ、あっという間に井ノ原の機嫌は元に戻る。
ふぅんと唸りながら少年の方に目をやった。
特徴的な声色でありがとうございましたー、と元気よく挨拶をする様子に、何だか仲良くなれそうだな、と思いながら。
手近にあった花の補充でも、と後ろを振り返った時。



















目の前に鮮やかな紫の薔薇を差し出された。























差出人はここの店の店長、長野で。
珍しい色の薔薇に、彼が何を言わんとしているか言葉もなく理解する。
ほんの少し、笑顔を顰めながら。







「坂本くん?」
「・・・以外に誰が居るの」
「だね。行ってきます」
言って薔薇を片手に走り出した井ノ原。
彼の背に、長野の声が飛ぶ。
「今日はオムライスって伝えといて!」
「はーーいっ!!」
ぴょこ、と大きく宙に身体を浮かせるように飛び。
そのままスピードを緩めずに走り去っていった。
その様子を見ながらにこにこしている長野に、健が近づいて首を傾げる。
「あの人誰?」
「バイトの子」
「ふぅん。何か犬みたいな人だね」
健の意外に的を得た言葉に、長野は小さく吹き出しながらも。
彼を仕事に戻るよう促し、井ノ原の走っていった先を少し悲しげに見つめていた。









































































































































































井ノ原は跳ねるようにして道を走り。
少し離れたところにある古ぼけた建物の前で急ブレーキをかける。
ツタで殆ど壁が見えないそれは、門までもツタに絡まって使い物にならなくなっていた。
長野は無理矢理ツタをぶち破っていたのだが、井ノ原はひょい、と身軽に塀を飛び越える。
すたすたと足を進め、古ぼけた扉の前で再びぴたりと止まった。
そして、すぅっと息を吸い込む。











「さっかもっとくーーーーーーんっ!!!」











その呼び声の後、30秒くらいの間を開けて。
がちゃり、とドアが開いた。
開いたと言っても1センチ程度の隙間で。
しかし井ノ原は気にすることなく、それを少しだけ広げて身体を滑り込ませ、ドアを閉めた。
閉めた途端、すぅっと人影が現れる。
身長は井ノ原と同じくらいで、浅黒の肌。
黒いマントで身体を包んでいる坂本は、井ノ原を見て溜め息をついた。








「お前、家の前で俺の名前絶叫すんの止めろっつってんだろーが」
「だって叫ばないと家の中に聞こえないじゃん」
「聞こえてるっつったろ!薔薇置いてさっさと帰れ!」








坂本の言葉に井ノ原はへらり、と笑ってみせる。
全く反省する気も、止める気も無いらしい。
その様子に早々に諦めたのか、坂本は無言で井ノ原の手に握られていた薔薇を奪い取った。
途端、井ノ原は目をキラキラさせて坂本を見た。







「・・・なんだよ」
「だって坂本くんの食事風景ってすっげぇ綺麗なんだもん。俺、好きなんだ」







にへ、とだらしない笑顔を浮かべながら井ノ原はそう言い。
坂本は一瞬眉を顰めたが、すぐに無表情になって薔薇を手に取り、花の部分を丸ごと毟り取った。
それを手の内にいれて、上に向かって手を差し伸べ。
口を開けて上を向きぎゅうっと握り締めると、手の隙間から零れ落ちる紫の液体。
キラキラと光りながらそれは坂本の口の中に入っていった。
ごくり、と喉を鳴らしてそれを飲み込み、口元を腕で拭う。
横でそれを同じようにキラキラした表情で見守る井ノ原。
目が合い、坂本はまた眉を顰める。








「・・・お前、なぁ」
「なに?」
「人の食事してるとこをジロジロ見んな・・・って」






















はた、と。
坂本は何かに気づいて言葉を止めた。
止めて、井ノ原の首筋に自分の手を伸ばす。
ある箇所を触られた瞬間、井ノ原の表情が変わり、
物凄い勢いでばしりとその手を払い除けた。

























































































「触んな」


















































































































いつもの笑顔はなりを潜め、冷たい表情が坂本を見返す。
ぞくり、と背筋に寒気が走ったのを坂本は実感した。
我に返ったかのようにすぐさまその表情は消え、普段のへらりとした笑顔が戻る。








「・・・・・・いのは、ら」









動揺した声。
初めて感じた恐怖に、坂本は震えを隠せなかった。
目の前の男の首筋に残るのは、紛れも無く。








「ごめんごめん。ビックリしちゃった?」
「お前、それ」








震える手で井ノ原の首元を指差す。
その先には、ぽつりと赤くなった丸い傷が二つ。
井ノ原はそれを優しく指で触れ、ふわりと柔らかく笑った。








「これ?これねぇ、虫に刺されちゃったの。そんだけ」
だから心配しないで、と井ノ原は言った。
坂本はこの問いを続けることに恐怖を感じ、口を閉ざす。









「・・・じゃあ、俺帰るね」








自らこの話題を断ち切るように井ノ原はそう言い、くるりと坂本に背を向けた。











































































































「・・・・・・おい!」














































































細身のその身体を見ながら、思わず呼び止める。
ぴたりと止まり、だが振り向かないそれに。






「・・・俺以外に吸血鬼が居るのか・・・?」






そう、小さく呟くように声をかけた。
彼自身、信じられなかったのだ。
吸血鬼は既に絶滅した種族で、もう残っているのは自分一人だとそう教えられて育ってきたから。
しかし、井ノ原の首筋にあったのは紛れも無く吸血の痕で。
自分以外の吸血鬼の存在を信じざるを得なかった。
井ノ原は一瞬戸惑い、下を向き、やがて顔を上げる。









「・・・・・・俺の、弟だよ」








坂本の方は見ずに。
ただそう言って、何かに気づいた素振りを見せて振り返った。








「そうだ。今日はオムライスだって長野くんが言ってたよ」








忘れるとあの人怖いから気をつけて、とアドバイスを残し。
にっこりと作られたような笑みを坂本に向け。







「毎度ありがとうございました。また、来るね」







と。
他人行儀にそう言い。
井ノ原は足を進めて家のドアを開け、最初にそうしたように身体を外に滑り込ませるようにして出て行った。
残された坂本はぱたん、とドアの閉まる音を聞きながら。













「・・・俺と、同じ」














寂しげにそう呟いて、床に目を落とした。

















































































































































































































































すっかり陽も沈み、店もさっきまでの忙しさが嘘のように静まり返った。
客足は減り一人でも事足りる状況に、長野はぐるりと店内を見渡して健と井ノ原を呼んだ。
「ご苦労さま。今日はもう帰っていいよ」
長野はにっこりと笑って健と井ノ原に向かってそう言い。
どっと疲れた表情をして、二人はロッカー室へと足を運んだ。
井ノ原は帰ってきた後、健と仕事中にも何度か言葉を交わしていて。
彼の人懐っこい性格もあってか、二人はあっという間に仲良くなったのだった。








「井ノ原くんさー、普段は何やってんの?」





エプロンを取りながら健は井ノ原にそう尋ねる。
もそもそと着替えをしながら、彼はよくぞ聞いてくれました!とばかりに満面の笑みを浮かべた。





「俺?俺はねー一応学生してんの。大学1年生。凄いっしょ?」
「へぇ。あ、俺高校生だから・・・3歳上なんだ」
「お!俺先輩??井ノ原先輩って呼んでいいよ健ちゃんっv」
「うわ何か気持ち悪ぃ」
「ひっどーーーい!」





ぷぅっと頬を膨らませて抗議の姿勢を取るも、健は至って平然としていて。
あそういえば、と勝手に話題を変えた。









「さっき長野くんが夜ご飯一緒に食べないかって言ってたけど、井ノ原くんも来ない?」









健の申し出に井ノ原はニコニコと笑顔を向ける。
それはさっき坂本に向けた作り物の笑みで。
けれど、付き合いの浅い健はそれに気づかなかった。





「うーん、有難いんだけど俺、用事あるから」
「何?学校の宿題?」
「うん、そんなとこ。ごめんねぇ」
やんわりと健の誘いを断り、少ない手荷物を持つ。
「じゃあね、健ちゃん。また手伝いに来てねっ楽しいから」
「井ノ原くんがリストラされることを祈っとくよ」
「・・・さすが長野くんの親戚」
「何だって?よっちゃん」
「っうわっ!!」






突然現れた長野に本気で驚く井ノ原。
その姿を見て健は楽しそうに声を出して笑った。






「長野くん仕事は?!」
「ん?もう閉めちゃった」
「いいのかよそれで?!」
「いいの。どうせもうお客さん来ないし」






あっさりとそう言い、長野は井ノ原の頭を撫でる。
井ノ原はその手にすり、と擦り寄ってふにゃんと笑みを浮かべた。
長野の目線が井ノ原の首元を掠め、そのまま健を見る。







「健。先に二階行ってて。俺井ノ原に話あるから」
「わかった。井ノ原くん、とうとうリストラだね☆」
「不吉なこと言わないでよ健ちゃん」
「いや、強ち嘘じゃないかもね☆」
「長野くーーーんっ」
再び頬を膨らませた井ノ原を見て、健は笑いながら二階への階段を登っていった。

































































残ったのは長野と井ノ原で。
長野は井ノ原に座るよう促した。
ぺたん、と座り込み、長野を見上げる。
その目は不安そうに揺れていて、悲しみを湛えていたから。
いつものように長野は井ノ原の頭を撫でた。
それだけで、井ノ原はふわりと普段の笑みを取り戻す。













































長野の手は、井ノ原にとって唯一の救いだった。












































「・・・よっちゃん」
「なに?」
「准ちゃん、元気?」





その名前を聞いた途端、井ノ原は泣き出しそうな表情になる。
口をへの字に曲げ、ふるり、と身体を震わせた。





「・・・げんき、だよ」
「そっか。ご飯はよっちゃんが?」
「うん。だって、食べないとしんじゃうから」





准は食べようとしないから俺が無理矢理あげてる、と井ノ原は言って笑う。
それを聞いて長野はうん、と相槌を打った。
髪を撫でる手はそのままに。
優しく腕を自分の方に引けば、容易く井ノ原は長野に寄りかかる。
ぴとりとくっついた頬に、流れる涙。
それを肌で感じて、長野は思わず一緒に泣き出してしまいそうになった。





「よっちゃん、辛いね」
長野の言葉に井ノ原はふるふると首を横に振る。
「おれより、准がつらいよ」

















血吸わなきゃ生きていけないのに、それを拒んで。
他の人を傷つけたくないから、誰にも近寄らないで。
俺さえも遠ざけようとして、一人になろうとするから。










































































































「・・・おれが、いてやらなきゃダメなんだ」




































































井ノ原はぽつり、と呟いた。
まるで、自分に言い聞かせるかのように。
長野はそれにそっか、と返し、ぎゅうっと井ノ原を抱きしめる。








「いつでもいいから、ウチに引っ越しておいで」










他人よりずっと細身の身体。
それがいつまでこの生活に耐えられるのか。
そう長くは無いと、長野は思っていた。
このままでは井ノ原が死んでしまう。
それを黙ってみてるよりは、俺が、と。
しかし、長野の誘いに井ノ原は再び首を横に振る。










「そんなことしたら、准、じぶんで外に出てしんじゃうよ」










それだけは嫌だ、と。
断固拒否する井ノ原に、長野はそれ以上強要しなかった。
これまで何度も誘いはかけている。
だが、一回も井ノ原が頷くことはなかったのだ。
それどころか、極端に話をすること自体を嫌がった。
広い目で見れば進歩したのだと、長野はそう思うことにしたのだった。










「・・・帰るね、長野くん」
「うん。・・・無茶、しないでね」
「大丈夫。分かってるよ」
ありがと、と笑いながら井ノ原は家路を辿って遠ざかっていった。
その背中を長野は優しく見つめる。















どうか、よっちゃんにとっての救いが俺であり続けますように。
そう、祈りを込めて。







END
ぽめさまリクエスト小説でしたー!遅くなってすみませんっ!
坂本さんが血液アレルギーで花を主食とする吸血鬼、長野さんが花屋さん、イノッチが花屋のバイトな設定の話。
・・・・・・で、全員出演を目標に頑張っていたのですが、伏線でしか出てないです、すみません。
ちなみにカミっ子の設定としては、バイトの健ちゃんと、普通の吸血鬼な岡田くん、そして吸血鬼を嫌う少年剛つんという感じで。
本当はもっと長く・・・!と思っていたんですけど、収拾がつかなくなってしまいまして。
少し時間を置いてから、出来れば続きを書きたいなぁ、と。
出来ればですのでどうなるかは分かりませんが、もし書ければ!頑張ります。
ぽめさま、リクエストありがとうございましたー!
2007.9.20