どうにか落ち着いた松岡をひょいと抱きかかえて運び、寝室に寝かせた。
さっきコイツが浮かべていた表情には少なからず見覚えがある。
あの事件の時に、俺が病室で目を覚まして最初に見た松岡の表情とそっくりだった。
確証は無いけれど、俺の勘がそう言っている。
あにぃしんじゃやだ、と。
形振り構わず叫び続けていたコイツは、何度も病院の外に追い出されていたのだと、坂本から聞いた。
小さい子とは言え、病院で騒がれたら困るからだろうけれど。
けど、ある日。
不思議なことに松岡が一切そのことを口にしなくなったのだと言う。
同時期に、井ノ原も。
俺が目を覚ました時は既に、二人揃って前みたいに楽しそうにはしゃいでいた。
二人からは事件のことがすっぽりと抜けていて、何を聞いても首を傾げるだけで。
坂本と俺は揃って不思議に感じながらも、こんな忌まわしい思い出なんて消えた方がいいから、と判断し。
自分達の中からもあの事件の話は一切消してしまうことにした。
といいつつも、坂本はある程度もがいていたし。
俺も、未だにあのことに関しては記憶の断片がじりじりと疼くほどだから、あまり実行には移せていないのだけれど。
「・・・山口」
シゲさんの声に俺はハッと我に返った。
そういやシゲさんと長瀬、放置状態だったっけ。
二人に向けて悪い、と謝ると、ふるふると首を横に振られた。
「松岡、大丈夫か?」
「ああ。今は寝てるだけだから」
「そうかぁ・・・」
シゲさんはもそもそと眠っている松岡に近づき、その頭を撫でる。
なんだかんだ言って、この人は松岡に甘い。
まぁ松岡だけじゃなく、長瀬にも甘いんだけど。
けど、今目の前の動作はいつものそれと違うような気がして、疑問に思う。
何て言えばいいのか・・・雰囲気が、纏っている空気が、違うのだ。
まるでこんなことは一度や二度や無いのだと、手馴れているかのような動作に、違和感を感じた。
「・・・シゲさん」
「なん?」
「・・・松岡、俺が居ない間もこうなったりするのか?」
「いや、一度もなったことは無いけど。なぁ、長瀬」
「はい・・・」
尋ねられた長瀬は口数少なくしょんぼりとしてそう頷いた。
コイツが居るからこそ、増す違和感。
目の前であんな松岡見たら普通、こういう反応をするはずなのに。
と、思ったら、ぐううぅぅ、と物凄い音がして、俺とシゲさんはバッと音の鳴った方に目を向けた。
鳴らした本人は相変わらずしょんぼりと項垂れ。
「腹、へったぁ・・・」
呟くような哀愁の漂うその言葉に、俺とシゲさんは同時にずっこける。
えええええ。
長瀬は松岡が倒れたことよりも腹が減ったことがショックだったようだ。
「そうかぁ、松岡、用意してる途中やったもんなぁ」
「うん・・・マボ飯ー・・・」
「・・・お前ら、色々と変だぞ」
「「そう?」」
「・・・・・・いや、聞いた俺が馬鹿だった」
ピントのずれたボケコンビの応酬にかなり精神力を削られた俺。
これをいっつも松岡一人で対応してんのかと思うと、ある意味尊敬する。
ぐったりと眠りについている弟を置いて、俺はキッチンに向かった。
まな板の上に材料が切ったままで放置されている。
今日は炒飯だっつってたし、後は飯と卵と材料を炒めるだけだろ。
それくらいなら俺にも出来るな。
「おい、二人とも。俺でいいなら作ってやるぞ」
「ホントっすかぐっさん!」
「おう。味の保障は出来ないけどな」
「ぐっさん飯ー!」
「おー楽しそうやなぁ長瀬ー」
「はいっ!」
飯が食えることで嬉しそうににぱにぱ笑顔の長瀬と。
それを見てほっこりと幸せそうな笑みを浮かべるシゲさん。
二人の期待を背負って、俺はフライパンを片手にコンロに火をつけたのだった。
夕食も無事終わり(料理の方はまぁやっつけでどうにかなったようだ。二人とも美味そうに食べていた)
隣に帰っていく二人を見送りながら、俺はふーっとため息をついた。
うちの弟はかなりの世話好きらしいことが身に染みる。
ドアを閉め、部屋に戻って椅子に腰掛け、飲みかけのビールを手にとって口に運んだ。
少し温くなってしまったそれはお世辞にも美味いものではなく、ため息混じりに飲むのを中断する。
『・・・あにぃ、しんじゃ、やだ・・・っ』
頭の中に蘇る松岡の声。
それはさっき聞いた言葉ではなく、あの事件の時に微かな意識の中で耳にしたものだった。
あの頃の松岡はとにかく俺が居ないと極端に寂しがって。
何でも俺と同じようにしないと気がすまないくらい、べったりだった。
あにぃあにぃとちょこまか後を着いて歩き。
普段は一生懸命大人のフリをしてるのに、抱き上げると途端に子どものように笑い出す。
そんな松岡が、あの日事件に遭遇して。
俺が怪我を負ったことで酷く動揺してしまったのだ。
何かと背中にいく視線。
さっきの動揺した声。
事件の後遺症が未だに残っていると考えれば、辻褄が合う。
けれど、コイツは一度忘れてしまったはずだ。
あの時の事件のことを、全て。
何故、思い出したのだろう。
さっきのやりとりをもう一度思い返してみた。
松岡の様子がおかしくなったのはいつだった?
帰ってきた時は普通で、俺に今日の昼ご飯のメニューを楽しそうに話していた。
シゲさんと長瀬が訪ねて来た時も、隙あらばツッコミしてたし。
その後、俺がグラスを割って、その破片を拾おうとして怪我をした。
掃除機を持ってくるはずの松岡はその場でガタガタと震えていて。
そして、気を失った。
よく考えると俺が怪我をしてから、松岡の様子がおかしくなったのかもしれない。
怪我。
・・・これもまた、あの事件に関係あんのか・・・?
「・・・兄、ぃ・・・?」
寝室から小さく俺を呼ぶ声がしたから、ハッとし立ち上がって傍に寄る。
綺麗な二重の、色素の薄い瞳が俺を見ていた。
それはもう落ち着きを取り戻していて、ホッとする。
こんな図体のでかい男を取り押さえるのは俺でもちょっと大変だから。
「目、覚ましたか」
「うん・・・俺・・・」
ごめんね、と掠れた声で謝られたから首を横に振って見せた。
お前は何も悪くないという意を込めて。
頭を撫でてやると、ちょっぴり目を細めてされるがままになっている。
相当、弱ってんなこれ。
「茂くんと、長瀬は・・・?」
「帰った。あ、飯ちゃんと作ったから」
「兄ぃ出来たんだ、料理」
「おう。つってもお前の用意した材料放り込んで炒めただけだけどな」
にぃっと笑って見せたら、松岡も一生懸命笑みを返してきた。
血の繋がらない、でも、大切な弟。
昔からどこか気ぃ使いで、お節介で、あまり手のかからない弟だった。
いつの間にか松岡に俺は甘えすぎてたのかもしれない。
そのツケがまとめて、今になってやってきたんだろうな。
「・・・兄ぃ・・・?」
不安げな松岡の目が俺を伺うように見つめる。
真っ直ぐ目を見返して、ぽんぽんと頭を手で優しく叩いてやった。
「ちょっと寝てろ。俺出かけてくっからな」
「どこ・・・?」
「ん、友達の家だ」
あえて坂本の名前は出さなかった。
今は出来るだけ松岡が過去を思い出すキッカケを作りたくなかったから。
いってらっしゃい、と小さな声で松岡は俺にそう言い、目を閉じる。
この言葉だって今まで何度も聞いてきた。
俺は平気だよ、なんて言うくせに、部屋に戻る松岡の背中はどこか寂しそうで。
何度も引き返して、頭をくしゃくしゃに混ぜてやることは出来たのに。
自分の傷を隠したくて、見られたくなくて、俺はずっと松岡から逃げ続けていた。
心配ばっかりかけて何が兄貴だ。
本当は、松岡を一番安心させてやりたかったのに。
「・・・今日中には絶対に戻るからな」
俺が言った言葉に、松岡の瞳が再び開いて、丸くなる。
今までは帰る時間をコイツにきちんと伝えたことなんて無かった。
何故なら、俺がその行為を嫌っていたからだ。
予定を変えたり帰宅が遅れたりしたら、それは嘘になってしまうから。
何よりも嘘が嫌いなくせに、一番大切な弟には何度も嘘ばかりつき続けてきた。
もう、色んな意味できっと限界なんだろう。
「絶対帰ってくるから、お前はここで待ってろ」
「兄ぃ・・・」
「俺はお前を残しては死なないよ、まぁ」
大分前に使わなくなってしまった昔の呼び名で松岡を呼べば。
心配気に揺れる瞳がふっと緩んで、縦に首を振る。
再度コイツの髪を撫でると、ぱたりと目蓋が閉じられた。
落ち着いていく呼吸を見計らって立ち上がり、ふ、と短くため息を吐く。
松岡に昔を思い出させることは、今以上の不安を与えることにもなりかねない。
自分の判断が正しいのかどうかなんて、分からないけれど。
「・・・なるようにしか、ならねぇわな」
黙っていても、話したとしても、きっとなるようにしかならない。
けれど、もう黙っているわけにはいかないと、俺の勘がそう言っていた。
松岡が思い出しかけているということは、井ノ原も似たような状況に居る可能性がある。
過去の話を二人にしようと言ったら、多分坂本は断固として反対するだろうけど。
二人を守りたい気持ちは、俺も坂本も一緒だから。
そう思いながら俺は、足早に家を出た。
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2009.2.2