俺の両親は金持ちだった。
二人揃って働き者で、発想力豊かで、人の上に立つべき人だった。
その二人の間に生まれた俺。
小さい頃は寂しいとかもっと一緒にいたいとかそんな気持ちがあったけど。
年を取る度、その感情は別に必要ないものなのだと分かった。
わがままを言っても叶うはずは無いのだ、と。
両親は揃って俺を可愛がったが、仕事ばかりの彼らが子供の可愛がり方を知っているわけもなく。
お金を渡せばいいのだと、金持ちにある典型的なやり方を執行した。
小学生の時はその意味が分からずに。
欲しいものが何でも手に入る状況に自分がとても愛されているのだと思っていた。
しかし。
中学生になってから、俺は親からまるで愛されていないのだと実感することになる。
参観日は一度も来たことがない。
父母懇談会も子供の意思を尊重する、の一点張り。
何かしたいと言えば金が降ってくる。
周りの友達は俺じゃなく、俺の持つ金目当てで近づいてきた。
・・・こんな。
こんな幸せなんか、いらない。
軽く捻くれかけていた、中学1年生の俺。
屋上で一人孤立していた時、そこで長野と会った。
「・・・何してんの、こんなとこで」
がちゃり、とドアを開け。
紙袋を抱えながら開口一番にキョトンとした表情で俺にそう声をかける。
「別に。お前には関係ねぇし」
「まぁねー」
あっさり俺の言葉を認め、長野はどっかりと床に腰掛けた。
ドサ、という重めの音に振り向けば。
「・・・・・・お前、それ全部食うの?」
思わずそう言ってしまうほどの量のパンが彼の手元にあった。
あの紙袋、全部パンだったのか。
ってか、昼ごはんだけで10個もパン食うヤツ、見たこと無い。
「んー?うん」
ぺり、とパンの袋を破り、中身を齧りながら長野は頷いた。
頷きながら手帳に何かを書き込んでいる。
なんだあれ。
ひょこひょこと興味を持って近づいてみれば。
「ここの会社のメロンパンは周りのカリカリ感が格別だなぁ。中に入ってるクリームは余計だけど」
なんてことをぶつぶつ言いながら手帳にそれを書き込んでいた。
え、なにこの人。
この年で料理研究家?それとも料理評論家??
クエスチョンマークで頭がいっぱいになりながら覗き込んでいた俺に。
不意に差し出されたのは食べかけのメロンパン。
「・・・・・・へ?」
「お腹、減ってるんでしょ?」
「べ、別に・・・」
弁解しようとした言葉に被さってぐー、とお腹が鳴った。
がーっと顔が赤くなる。
どんだけタイミングいいんだ、俺。
そんな俺を見て、長野は目を丸くしたあと、ぶは、と吹き出した。
「あっはっはっは!怖い顔してんのに可愛いんだねぇ!」
「五月蝿ぇ!いいだろ人間の生理的行為だっつの!えーと、誰!」
「誰って!普通オマエとかアンタとかじゃないの?誰って聞いちゃうんだ!」
「じゃあお前!名前は!!」
墓穴を掘る中で必死に聞きたいことを口にすれば。
「俺、長野っていうんだ。キミは?」
ふわりと。
優しげな笑みを浮かべて、長野は答えた。
男に言う言葉じゃないけど、それはとっても綺麗だったから。
くらり、と眩暈のようなものを感じて、踏み止まるのに意識を向ける。
「・・・俺は、坂本だ」
「へー・・・普通の名前だなぁ」
「お前も負けずに普通だろーが!!」
べしっと突っ込み。
友達に手を上げたことが無かったから、あ、と怯めば。
いい度胸だな坂本ぉ、と食って掛かってきたから。
怖い怖い長野さんごめんなさいとか言いながら俺も長野も笑ってた。
久々に笑った気がして。
何でだろうと考えたら、ああ、と思い浮かぶ考え。
長野は俺のことを金持ちだという目線で見てないからだ。
いい奴だな。
そっから昼休み時間いっぱいまで長野と話していた。
他愛も無い話を、延々と。
話しやすくてあっという間に気が合って。
今年3歳になる従兄弟がいるってのを羨ましがったら、家においでよってことになった。
差し入れとか持ってく?と聞けばなにそれ?と疑問詞で返される。
え、え。
そういうのいらないの?
「メロンとか包んでくもんじゃないの?」
「え?!家にメロンあるの?!」
しれっと言った俺の言葉に目をひん剥く長野。
そこ、ビックリするところか?
「うん。あと桃とかオレンジとか」
比較的安価のものを並べて言えば、ホッとしたような顔。
「あーよっちゃんオレンジ好きなんだよね。じゃあ坂本くん家寄ろうか」
「ん。じゃ、車呼ぶか」
「は?!」
再び目をひん剥く長野。
またまたー。
コイツもしかして俺のことからかってんのか?
「いや、だって車で行った方が早いだろ?」
「タクシーとかじゃ、なくて?」
「おう、車」
頷けば、俺と長野の間に空白が出来る。
どうやら今までの台詞を反復しているようだ。
そして。
「・・・・・・坂本くんってもしかしてかなり裕福な家柄だったりする?」
と、恐る恐る尋ねてきたから。
「あーうん。一応」
と答えてみた。
「そっか。でも今からそんな移動してたら年取った時に大変だよー」
「そうなのか?」
「うん。だから歩いて行こうよ。遠いところじゃないでしょ」
「ここから車で10分、だけど」
「近っ!環境汚染防止のためにも歩こうよ!」
本当に中学生かよ、という思考の持ち主の長野の言葉。
でも間違ったことを言ってるわけでもないし。
それ以上に長野が言った言葉に間違いがないだろう、と確信も何も持たずにヤツを信じている俺がいた。
「ん。長野がそう言うならそうするか」
素直に頷くと、長野はキョトンとして俺を見る。
「・・・・・・な、なんだよ」
「ねぇ、坂本くんってお金持ちなんだよねぇ?」
「だと思うけど」
「・・・・・・お金持ちって普通こう、金さえやれば何でも動く!みたいに考えてるようなもっと捻くれた人ばっかりだと思ってた俺」
「・・・・・・」
それウチの両親だ、と言おうとして止めた。
長野と話してるのは俺だ。
俺がどういう人間かについて話してるのに、両親の話題を出すなんてナンセンス極まりない。
「意外と素直だし、天然ボケっぽいし。まぁ金銭感覚はまるでないけど」
「・・・なぁ、それ褒めてんのか貶してんのかどっちだ」
「半々ってとこかな」
長野はそう言って俺の顔を見ると、あはは、とさも面白そうに笑った。
いい奴なのか悪い奴なのかわからなくなってきたけど。
とりあえず、いい奴なんだろう。
少なくとも俺を丸ごと受け入れてくれた友達は初めてだ。
家に帰るとざわり、と内側が騒がしくなった。
小さい頃から過保護な乳母(彼女の存在に長野はまたもやビックリしていた。何でだろう)に、学校を早退したことを酷く問い詰められ。
危うく長野が悪者扱いされそうになったから慌てて弁解した。
早退したのは俺の意思で。
長野は俺の友達だってことを必死に。
でもそんな心配はする必要が無かったらしい。
優しげな面立ちと礼儀正しさで長野はなんなくその場を凌いだ。
いや、凌ぐどころか乳母にかなり気に入られて。
二人では到底持ちきれないような量の手土産を押し付けられそうになったから、それから逃げるように家を後にしたのだったが。
「坂本くん」
「なに?」
「・・・金持ちっていうのも色々大変なんだね」
同情をこめた瞳で俺を見つめてくるもんだから、妙にむず痒くなってしまって。
「人生はどんな人でも大変だと思うぜ」
と、分かりきったように言ってみれば。
中学生なのに老けた考え持ってるよねーと容赦なくザクッと切られた。
なぁ、俺傷ついていい?と譲歩しようと口を開こうとしたら、長野の足がぴたっと止まる。
「・・・長野?」
「どこまで行くの坂本くん。ここ、俺んちだよ」
長野が指を差した先には、一般家庭よりは少し大きいくらいの家があった。
柵を抜けて鍵を開け、ドアを引けば、からんからん、とドアについていたベルが鳴る。
それを聞きつけたのか、中からバタバタと誰かが駆けてくる音がして。
足音の主だろう小さい子がぴょんっと飛んで長野に抱きついた。
「ひっくんっおかえりぃ!」
「ただいまよっちゃん。いい子にしてた?」
「うんっ!よしくん、いいこだったよ!」
周りにタンポポのような花が飛び散ってるんじゃないかという位にっこにこ笑って。
噂の3歳児はすりすりと長野に懐いていた。
長野の表情も今までに見たことも無い位緩んでいて。
これって兄馬鹿ってやつだよなぁなんて思いながらその様子を見ていたら。
3歳児の方が俺の存在に気づいたらしくこっちを見上げた。
ん、と目をやった瞬間。
じわり、と彼の目が涙で潤んだ。
「・・・・・・ぅえぇええー・・・・」
追って長野にしがみついて泣き出す。
え。
ちょっと、待って。
俺、何も。
慌てて長野を見れば、奴は人事のように笑っていた。
お兄ちゃんの顔が怖かったみたいだねーって。
お、鬼ぃ・・・!
長野の従兄弟の名前は快彦というらしい。
居間に招かれてソファに座ってから長野から教えてもらった。
人懐っこい割には結構な人見知りでもあるらしく。
まぁ妥当な反応だから傷つかなくてもいいよ、と変な慰め方をされた。
いやでも人見知りとはいえ、初対面で泣くことなんてないだろ。
俺って、そんなに顔怖い?
そうやって尋ねたら、確かに顔は怖いと思うよ、と返答をいただいた。
中身を知っちゃえば全然怖くないけど、というフォロー付きで。
そんなフォローいらん。
快彦は最初、俺のことを怖がって長野の背中からちらちら俺を見ていたんだけど。
試しに手招いてみれば、恐る恐る近寄ってきた。
どうすんだろ、これ。
子供との接し方なんて知らねぇし。
あ、意外と目が細いんだな。
って、んなこと関係ないしなー。
とりあえずそっと手を伸ばして頭を撫でてやれば。
少しビックリしてから、ぷわぁっと笑った。
うわ。
なにコイツ。
笑った顔、超可愛い。
「おにいちゃん、だれ?」
「俺は坂本昌行っていうんだよ」
「んと、まーくんは、ひっくんのともだち?」
「そ、そうだよ」
こてん、と俺の目を覗き込むようにして首を傾げて尋ねるから、頷く。
っていうかまーくんって。
まーくんって俺のあだ名?
博でひっくんだから昌行でまーくん、か?
「ひっくんのこと、いじめない?」
「い、いじめないよ」
どっちかと言えば俺が苛められてる気がするけど。
そんなこと長野を目の前に言えない。
言ったら瞬殺される、絶対。
実際、横から長野の目線が刺さってきてる。
牽制かお前。
「よしくんとも、おともだちになってくれる?」
「うん」
こっくんと頷けば、快彦は再び満面の笑みに変わった。
ぎゅむっと抱きついてきて、困惑すれば。
「ぎゅうってしてあげてよ。よっちゃんそれが大好きだから」
と、長野に言われ、ぎゅむーっと抱きしめた。
それが、最初で。
快彦はみるみるうちに俺に懐き。
長野と俺と一緒に買い物に行ったり、家に泊まったりするまでなった。
その頃、俺は親に今いる家を出たいという旨を伝え。
家から少し離れた空き地に小さめの一軒家(長野曰く小さくはないらしいけど)を建ててもらった。
ついでに収入源として親の手持ちである住居者のいないアパートも貰った。
この辺が一般人とはずれているらしい。
坂本くんってやっぱりお金持ちなんだよねぇ、と呟いた長野の姿を今でも覚えている。
でも。
俺はあることに気づいた。
誰かを自由自在に使うためのお金はいらない。
だけど、快彦にオレンジを買ってあげたり、筆記用具を用意してあげたりするお金は必要だ、と。
幸か不幸か、俺はたくさん金を持っている。
それを誰かのために使うことは、悪いことではないのだと。
俺の閃きは早速、快彦の入園式で。
丁度退園手続きを取りに来ていた兄弟で実現することになったのだった。
というのは建前で。
ただ単に入園手続きを待っていたのが俺と快彦で。
退園手続きを待っていたのが山口と松岡で。
待ってるのが暇だからと口を開いたら意外にも山口と俺の気が合って。
困ってたからじゃあアパートにどうぞ、と勧めたっていう。
だって公園の土管の中で生活してるなんて言うもんだからビックリして。
今のご時勢、そんな人もいるのか?!と驚けば、何てことはないように山口はけらけら笑った。
後から聞いた話だと、あの時の俺の顔が余りにも滑稽だったから笑ったらしいけど。
横に座っていた山口の弟の松岡は小さいのにしっかり者で、おれたちおかねないけどいいの?と聞いてきたから。
土管に住んでる人からお金は取れないだろ、と返せば。
あにぃ、いえかしてくれるって!とキラキラした目をして山口に訴えてた。
物凄く嬉しかったのか、松岡は快彦をぎゅむっと抱きしめてぴょんぴょん飛び跳ね。
快彦はお前ホントに人見知りなのかよ?と問いただしたくなるくらい、松岡と一緒にきゃあきゃあ楽しそうに飛んでいた。
それから約一年後。
あんな事件が起こるなんて思ってもみなかった。
ハッキリした記憶は、ない。
ただ、人質に取られてしまった快彦を助けられなかったことだけ。
それだけが、未だに俺の中に居座っている。
まーくんっ!!!!
快彦の叫び声と。
わき腹を蹴られ、突っ込んだゴミ捨て場。
起き上がりたくても、起き上がれなかった。
身体がいうことを利かない。
怖い。
刃物を向けられて怖くないはずがない。
けど。
視野だけははっきりとしていた。
しがみ付いた子どもが、地面に打ち付けられて。
上から覆い被さった大きな背中が切り裂かれ、真っ赤に染まる。
追って、泣き声。
快、彦。
「・・・・・・本くん、坂本くんっ」
「・・・んぁ・・・?」
ゆさゆさと揺らされる感覚に目を開けた。
どうやら俺は眠っていたようで。
目の前には困ったような長野の顔、が。
かしかし、と目元を擦れば、現状が見えてくる。
身支度を整えた長野と、ふらふらしている井ノ原。
「・・・・・・帰るのか?」
「うん。よっちゃん眠そうで一人で帰らせるの危なっかしいからね」
「・・・・・・そ、か」
なんとか返事をしてぽけ、と呆けた。
今のは全部、夢か・・・?
「おーい、坂本くんってば」
ぱたぱたと目の前で手を振られて、我に返る。
「ふぇ?」
「大丈夫ー?よっちゃん以上に一人にしておけない状態だけど」
「だい、じょうぶ。俺、もう子どもじゃねぇし」
「そう?ならいいけど」
じゃあね、と俺の肩を叩き、長野と井ノ原は帰っていった。
テーブルの上は綺麗に片付けられている。
きっと長野が気を利かせてやってくれたんだろう。
あー。
駄目だ、ボーっとする。
覚醒するのが遅い。
あまりにも見た夢が鮮明すぎて、現実に戻って来れてない。
ぱつん、とテレビを付けたら箱の中の人が大笑いしてる。
最近はこういうお笑い番組が増えたよなぁ。
俺の小さい頃なんかはお正月位にしかやらなかったけどなぁ。
こういうのはたまに見るからいいんであって、毎日のようにやられちゃうと飽きるんだけど。
テレビの電源を落とし、ため息。
ふと、テーブルの上の新聞に気付き、手に取った。
この適当な畳み方は井ノ原だな。
テレビ欄しか見ないくせに、ないと怒るんだよなアイツも。
よく、わかんねぇやつ。
手持ち無沙汰だったのもあり、ぱらぱらと捲って目を通す。
活字がここまで多いと子供向けではないよなぁ。
スポーツ欄に、芸能欄。
繰っていた俺の手が自然に止まる。
見覚えのある顔が、そこには映っていた。
くしゃり、と持っている部分に力が入り。
震えが止まらなくなる。
なんで。
なんでお前が。
忘れるわけがない。
忘れたくても、忘れられない。
憎くて憎くて仕方なかったやつの顔が、とても晴れやかに輝いていた。
何、笑ってんだ。
自分がしたことを悔やむこともしないで、コイツは。
ただ俺は。
俺たちにしたことを悔やんで、謝罪してもらえればよかったのに。
そんな俺をあざ笑うようにして札束を向けてきた。
今やヤツは大手会社の社長の跡取りとしてデカデカと記事にされていた。
ぐしゃ
ぐしゃぐしゃぐしゃ
ビリビリビリッ
カサ
「・・・・・・っはははははは・・・・っ」
原形を留めないほどに引き裂いた新聞紙を見て、こみ上げてきたのは涙じゃなく、笑い。
人間って極限状態になるとおかしくなる。
こんなことしたって、アイツはいなくなったりしないのに。
アイツが犯した罪は消えやしないのに。
・・・・・・なぁ。
罪人が堂々と表に出て人の上に立つなんて。
そんな現実、あるかよ。
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2007.4.3