じり、と熱を帯びる拳をもう片方の手で握り締める。
人を殴る行為は慣れているのに、辛い。
畜生、まだ痛ぇ。
あんの馬鹿、どこまで馬鹿だったら気ぃ済むんだよこの野郎。
怒りが収まらず、手近にあったダンボールを思い切り蹴り飛ばした。

































































































引導は僕の手で






































































































「死にてぇ」









ベッドに身を沈め、遠くを見つめたまま井ノ原はそう呟いた。
夕食(井ノ原の食事も俺が担当している)を運んできた俺は、危うくトレイを落としそうになって、踏み止どまる。
「な、に、言ってんだお前」
口にした言葉は動揺を隠せずに、途切れた。
ここは笑うところか?とも思ったけど、ヤツの表情は至って真面目で。
茶化してる場合じゃない空気を少なからず感じる。
かたん、と井ノ原の前にトレイを置き、食えと目で促すも、一向に動く気配は無い。









「死にてぇんだよ」









再び、井ノ原がそう言って。
俺の心の中は妙にざわついた。
何言ってんだコイツ。
死にたいって、なんで。









「何で?」
「生きてたって虚しいから」









井ノ原は俺の問いに即答した。
伏せた瞳。
長い睫毛が長い影を落とす。
前よりは少し痩せたのかもしれない。
栄養配分は完璧なはずだけど、コイツ全然食わないから。











「・・・イノ」
「さっき、発作が起きた」









俺の言葉を遮るように、ぽつりとそうこぼし。
ぎゅっと心臓辺りを握り締める。










「辛ぇんだよ、耐えんのが」










耐えて耐えて。
必死にこの世に残ろうとする行為が辛いんだ、と。
言いながらヤツは下を向いた。
顰められた太い眉。
細い目は先ほどの発作の際に泣いたのか、端の方が赤くなっている。













































































「・・・死にてぇとか、言うな」





















どうにか搾り出した言葉。
ありきたりなそれは多分、井ノ原には届かないだろうと知りながらも。
友達としてはそう言うしかないとも思ったから。








「死んだら、ほら、お前の好きな坂本くんとか、長野くんとか、悲しむだろうが」









懸命に考えて自分の言葉に理由をつける。
それで納得するなんて、思ってもいないくせに。
井ノ原は俺の言葉を耳にして、ふ、と短く鼻で笑い。
その行為は俺の怒りにちり、と火をつけた。








「何だよその態度はよ」
「悲しむわけねぇだろ。俺なんか居なくなったってあの二人の生活は変わんねぇんだよ」








昼に起きて、夜に人殺して、朝眠る。
俺が居ても居なくても、その流れは変わらないのだろうと。
井ノ原は寂しそうにそう言う。
言うんだけど。
俺はそれを見て可哀想だとは思わなかった。
思うわけ、ない。
それに勝るほどの怒りが俺を支配していたのだから。
困ったことに俺は血の気が盛んな方で。
一応病気でベッドに沈んでいるさっきまで発作で苦しんでいた親友の顔を手加減無く思いっきりぶん殴った。











「そう思うなら死ねよ今死ねここで死ね俺の目の前で死ね今すぐに!」
「・・・・・・」
「死にてぇ死にてぇ言って結局死ねねぇんだろうがこの嘘吐き野郎が!心配して欲しいならもっとマシなこと言え!!」
「・・・まつ、おか」









井ノ原の動揺した声。
口の端からは切れたのか血が流れている。
ざまあみろ。
俺がお前の戯言にいちいちいちいち付き合うわけねぇだろうが。
っていうか、正直ウゼぇ。
同じ部屋で同じ空気吸ってるだけでも腹立つ。
立ち上がってガン、と座っていた椅子を蹴り倒した。









「帰る」
「・・・・・・」
「あ、飯は食えよ残したらもう一回ぶん殴ってやるかんな」
「・・・松岡」
「五月蝿ぇ今お前とは言葉交わしたくねぇから喋んな黙って箸動かせ」









睨みを利かせてそう言えば、一瞬怯んだ表情をして、しぶしぶ箸を手に取る。
もう冷めてんだろうな。
・・・知るか美味いに決まってんだっつーの。
井ノ原が食べてるのを確認して、何も言わず部屋を出た。



























・・・で、冒頭に戻るわけ。
ダンボールを直しながら思い出す話じゃねぇけどな。




































































































































































「なしたん、松岡」







帰って来るなり茂くんが声をかけてきた。
ダンボールを蹴飛ばした音を聞きつけて来たらしい。
蹴んなきゃよかった。
今俺誰とも話したくなかったのに。







「・・・何でもねぇよ」







言いながら冷蔵庫を開けてビールを取り出し、ソファにどすっと腰を下ろしてプルタブを開ける。
一気に喉に流し込めば、炭酸特有の衝撃が通り抜けていった。
でも、いつもより美味しくない。
ああもう。
全部アイツの所為だ。
ぷは、と息をつくと、横で苦笑する声。







「・・・ぁんだよ」
「別に。何も言ってないやん」
「今笑った」
「人間笑て何が悪い」
「・・・悪かねぇ、けど」









上手く言いくるめられたようで、ふっと気が抜ける。
この人と話してると、緊張が解けるっつーか、和むっつーか。
これで殺し屋家業やってたっていうんだから凄ぇ。
俺がターゲットなら一発で殺られてるね。賭けてもいいや。
広げていた足をたたんで、体育座りをすれば。
のほほんとした雰囲気を纏ったままで茂くんが横に座ってきた。
手にはお茶。
ぴったりだな。
横をちらりと見ればニコニコした笑みを向けられて。
居心地が悪くなって前髪を弄っていると、ぽふ、とあったかい手が頭に落ちてきた。







「何だっつーの・・・」
「傷ついた顔、しとるよ」
「・・・どこが」
「全部」
「証拠は、あんのかよ」
「ちっさい頃からずーっと見てて癖は熟知しとる。前髪を弄るのはオロオロ迷ってる証拠や」







違うか?と尋ねられて、頷けずに顔を下に向ける。
少なからず当たってることが面白くない。
そんで、それをどこかで嬉しく思っている自分も。
子どもかっつーの。







「・・・井ノ原と喧嘩でもしたんか」
「っ何で分かんだよっ?!」
「カマかけただけやのに。簡単に引っかかるなぁ」








戦線から外して正解やったわ、と茂くんは笑いながらそう言った。
それ言われると悲しいんだけど。
っていうかこの組織に入ったこと自体俺間違ってたんじゃねぇの?
いつの間にか飯炊き状態になってるしさ。
悶々と考えていたら、ぎゅっと唇を抓まれて慌てる。








「んぶっ!な、何すんだよっ!」
「アヒルさんになっとるで」
「俺は人間だ!」
べしりと額を叩けば痛いわぁ、とわざとらしい声を上げた。
でも、顔は笑ってる。
俺のことからかってんのか?とか思うんだけど、そんな感じでもなく。
呑気そうな茂くんの顔を見ていたら、喉元がうずうずして。
話しても悪くないかな、なんて。
ほら、もうバレてるし。
隠す必要なんて無いわけで。
・・・って、何だか言い訳がましいんだけど。


















































































































「・・・イノと、喧嘩した」
「何で?」
「だって、アイツが、死にてぇなんて言うから」









思い出しただけでも腹が立つし、同じくらい悲しくなる。
そんな言葉は簡単に使うもんじゃない。
自分を傷つけてるつもりかもしれないけど、同時に周りの人だって傷ついてんだ。
そう、一気にまくし立てれば。
茂くんは目を丸くして俺を見つめてきた。








「・・・・・・何?」
「井ノ原が、言ったんか?」
「何を」
「死にたいって」
「言ったよ。だから死にてぇなら死ねっつってぶん殴って部屋出てきた」









正直にそう吐けば、茂くんは声を上げて笑う。
ここ、笑うとこだっけ?










「松岡らしいなぁ」
「・・・どーいう意味よ」
「誰に対しても手加減せぇへんのやなぁ思て」
「ダチに手加減してどーすんだよ」










特にアイツは。
イノは、手加減されるのが誰よりも嫌いだし。
俺だって、手加減したことを言い訳にするのは嫌いだから。
遠慮なく言うし、言われる。
それをお互い居心地よく思ってるはず。
少なくとも、俺はそうだ。










「そうかそうか」
「何一人で納得してんの?」
「いやいや」
ちゃうねん、と顔の前で手を振り。
んーと言葉を選んでいるのかしばし考えて、口を開く。










「松岡やから井ノ原はそんなこと言うたんやと思うよ」
「・・・なんでだよ」
「だって、僕の時も坂本や長野の時も、井ノ原は一度だってそんな弱音吐いたこと無いもん」
「そう、なの?」








ビックリした。
俺はてっきり周りにも似たようなことを言って困らせてんだとばっかり思ってた。
坂本くんにも長野くんにも、茂くんにも。
死にたいって喚いてるもんだと、思ってたから。







「おん。こっちが心配しても大丈夫、の一点張りやで。今日の発作だって死ぬほど苦しかったはずなのに、懸命に笑て」
「・・・・・・」
「お前が来て、気ぃ抜けてしもうたのかもしれんなぁ」





発作が出て、周りの誰もに心配かけないように気、張って。
そんな時に気使わんでええ松岡が来たもんやからぽろっと本音が出たのかもしれんな、と。
茂くんはそう言いながら笑った。






















本音。
イノの、本心。
いつも嘘をついてばかりのアイツの。












俺はそれを聞いて、ヤツが望む言葉をやれなかった。
やる方法すら見えなかった。
だから、逃げたんだ。
死にたいっていう言葉に怒ったんじゃなくて。
力になれない自分が不甲斐無くて。
そんな自分を見るアイツの居る部屋から、逃げたかったんだ。


































































































































































































































「・・・俺、イノが死ぬの、やだ」




































噛み締めるようにそう呟けば、茂くんの手が俺の肩を叩く。
同時にこみ上げる、涙。
何これ。
何だ、これ。
俺はそんな弱い人間じゃないはずなのに。
何で泣いてんだ。
畜生。







「それをあの子に伝えてやり。照れくさいなら松岡なりの方法でええから」
「・・・・・・っ」
「きっとそれが、お前の探してた答えなんやろ?」







茂くんの問いにぶん、と首を縦に振って見せれば、ぎゅうっと抱きしめられて。
耐え切れずに俺は、その薄っぺらい胸の中で泣いた。











































































































































































































































食事のトレイを下げておいで、と茂くんがどうにか落ち着いた俺の背を押し。
行きにくい雰囲気を必死に振り払いながらイノの病室にたどり着く。
ノックをすれば、返答。
ちっ、寝てりゃよかったのに。





いやいや、駄目だろ。
伝えるんだろ、俺。





がちゃり、と音を立てて病室のドアを開ければ。
俺の姿を目にするなり、目を見開いて気まずそうな表情になるイノ。
ああ、そっか。
俺だけじゃねぇんだ、この気まずい気持ちは。
そう思ったらふっと気が抜けて。
いつも通りの足取りでトレイに向かって歩く。
さっき言った言葉が効いたのか、中は全部空っぽだった。






「・・・食えんじゃん、お前」
「お前なんかに殴られたくねぇからな」
「へぇ。なら毎回そうやって脅してやろうか」
にやりと笑いながら言えば、イノは露骨に嫌そうな顔をした。
トレイを手に抱え、さっさとドアに向かって足を運べば。
























































































































「・・・・・・おい」











































イノが。
俺の背に、声をかけてきた。














「あ?」
「・・・さっきは、悪かった、よ」







途切れ途切れの言葉。
恥ずかしくて仕方ないのか、顔は伏せられたまま。
俺は小さくため息をついてイノを見る。








「いいって別に。殴った俺も悪いし」
「・・・・・・」
「でも、もう簡単に死ぬなんて、言うな」














分かってんだ。
これじゃさっきと何ら変わりないことだっていうのは。
だけど。
これだけは、思った。









































































































































「どうしても、どうしても死にたくなった時は、言えよ。そん時は俺が殺してやるからさ」


















































































前線は離れていようとも、俺だって殺し屋の端くれだ。
人の殺し方だって手馴れている。
もし他の誰かの手でお前が殺されるくらいだったら俺が、と。
そう、思ったんだ。











俺の言葉を聞いてイノはきょとんとした表情になり。
しばらく呆けた後、にぃ、と笑った。












「馬ぁ鹿」
「五月蝿ぇ」
「お前って本当気ぃ使いだな」
「喋んな」
「じゃあ、一つだけ」
「・・・なんだよ」



















尋ねるような視線を向ければ、返される目線。











































「もう死ぬなんて言わねぇ」












































お前なんかに殺されてたまるか、と。
イノはそう言って、また口の端を持ち上げた。
だから。



























「・・・上等。今の言葉、ぜってぇ忘れんなよ」



















そう言いながら。
俺もヤツと似たような笑みを浮かべて見せた。






END
2007.6.17